すげー余談なんだけど。
前回いただいたコメントで、妖怪骨食いババァって書いた人がいたw
しかも二人いたwww
違うから。
骨拾いババァだから。
骨は拾うんだよ。
後始末するって意味。
食ったらwwwwwダメwwwwwww
めっちゃウケた。
妖怪骨喰いババァ、本当にいそう。
こんなヤツ。↓
ごめんなさい。
自分も誤字脱字勘違いめっちゃ多いくせに、ウケてしまった。
しかも二人いたってことは、コメントしてないだけでそう思ってる人がたくさんいるってこと。
ってことは僕の文章力の問題なんだけど。
笑ってすみません!
でもウケた。
※書いた人マジですみません。笑ってゴメン。許して!
そしてコメント本当にありがとうございます。内容はすごく素晴らしいです!!!
先回りしちゃっていいの?
閑話休題。
コメントでもあったけど、明らかに失敗しそうなことを大人が先回りしちゃうって問題。
先回りして、失敗させないように、小石を全部取り除いちゃう。
親の心配もあって。
これね。
僕も難しいと思ってて。
できない課題に心折れるくらいなら、サクッと『合理的配慮』した方がいいのは、そうだと思う。
僕は個人的に、どうしても「逃げる」を選びがち。
たたかう
▶︎にげる
割とカーソル固定。
ドラクエでいうとはぐれメタルだ。
FFでいうと、チキンナイフ(逃げれば逃げるほど強くなる。なんて武器だ。)の標準装備。
僕はね。
どこかで背中を押さないといけないのは分かってるんだけどね。
トライすると、世界が広がる瞬間がある。
わかっちゃいるけど、自分は逃げがちな自覚がある。
先回りする目的
これさ。
結局、
ゴールは苦手を自覚すること
なんよな。
合理的配慮や先回りをする目的って、
本人が自分の特性を理解し、よりよく生きていくため
なんよね。
今傷つかないため、じゃなくて。
苦手とわかった上でなら、戦うでも逃げるでもどちらを選ぶものアリ。
極論すれば、今傷つかなくても苦手に気付けなかったら意味なくて、今めっちゃ傷ついても自己理解が進んで今後の人生に活かせればそれは意味があったわけ。
将来的に、この子は自分で切り開いていかなきゃいけない。
苦手を自覚し、自分で上手に選択する必要がある。
今は大人が先回りできるけど、ずっとくっついて回るわけにはいかないんだ。
じゃあ、『今』じゃなくて、『未来』を見据えた配慮であるべきで。
ここを忘れると、おかしなことになっちゃうと思うんだ。(僕も忘れがちだけど)
例えば書字が苦手なら、
みんなと同じように書けなくても将来はパソコンを使えばいいから、小学生の今は課題を減らして貰うのが合理的よね。
って提示する。
全員一律に同じ! じゃなくて、うまく避ける道もあるよーって教える。
そうすることにより、この子の自尊心がズタボロになる(みんなが出来ることが自分はできないから)のを防ぐとともに、自己理解を促す目的がある。
この場合、本人は
自分は書字が苦手だから今は配慮してもらっている。
将来はパソコン入力を基本とし、手書き作業は極力避けるようにしよう。
と自覚する必要があるわけね。
これが、
理由は知らんけど、わーいわーい。
とか、
僕はおミソなんだ。
居心地悪い……。
とかになったら、せっかくの合理的配慮が台無し。
意味ないどころか、その子にとってマイナスに作用する可能性もある。
進路選びなんかでも同じで。
例えば、
あなたは現状不登校だし朝が苦手だから、体力に合わせて通信制高校を選ぶのが合理的よね。
って提案する。
本人は、
確かに今の自分には、全日制は厳しい。
地に足をつけて通信制を選ぼう。
これは人間的に劣っているということではないし私には価値がある。
将来的にも自分に合う環境(人間関係、仕事内容、体力的な負荷など)に身を置くことが大事だ。
と理解すべきで。
人より劣っているから通信制しか選択肢がない。
とか、
不本意!
とかなっちゃうと、せっかくの配慮も台無しだ。
でも、大人のアドバイスってなかなか素直に聞けなかったりするよね。
反抗期のムズカシイお年頃だと特に。
だから、本人に「こうしたい」という希望があるなら、尊重するのが良いと思う。
無理めな希望でも、とりあえずやらせる。
その失敗は自己理解につながると思うから。
自分の意図があって、やってみて、でもダメだった。
じゃあどう考えるか、次はどうするか。
きっと向き合う。
さっさと逃げて、次を探すのが正しいと僕は思っている。
この時に、妖怪骨拾いババァが生きてくる。
失敗と向き合う際に、逃げる場所(つまり家)があれば、建設的に考えられる。
逃げ場がないと失敗と向き合うなんて怖くてできない!
↓
せっかく失敗したのに何も学ばない。
↓
また同じ失敗を繰り返す。
なので骨拾いババァ、子どもが失敗したときが出番ですぜ!
失敗する経験の重要性
学生の今、失敗するのは別にいいじゃん?
問題は自分の特性を自覚せず、大人になってからやらかすことだと思うのね。
大人になったら、周囲は配慮してくれない。
できるって言ったなら責任持ってやれよ! ってなるだけだろう。
なので、子ども自身の希望があるなら基本的には尊重するのが良いと思う。
失敗しても、その失敗はおそらく意味を持つ。
問題は、本人の希望がないとき。
何も言わないとか、よく分かってないってときだろう。
子どもの失敗する姿は見たくないので、大人はどうしても先回りしてしまう。
わかる。
それは別にいいと思う。
僕は、先回りは良いと思うんだ。
ただその時に、
ゴールは本人が苦手を自覚すること
って忘れないようにしたい。
目的は、『今』傷つかないことじゃない。
目の前の失敗を回避することで、その先にどんなメリットがあるか?
これを意識して先回りするのが良いと思う。
先々を意識すれば、必然的に「失敗させなきゃ」と思い至る。
多少なりとも、失敗の経験が必要だ。
自分で失敗して、経験して、自分のものにする必要がある。
つまり、その子の人生を生きさせる、子どもの人生を子どもに返すってこと。
これがどうしても必要という結論になってしまう。
子どもには失敗する権利がある。
失敗も含めて、その子の人生だ。
良いことも悪いことも、味わうのは本人。
大人は、骨拾い係に徹するべきときがあると思う。
子どもの人生を肩代わりすることはできないのだ。
そして、人生を味わうことが本人にしかできないのは、大人も同じ。
子どもについては骨だけ拾う覚悟で、あとは放っときましょ。
大人は大人の人生を謳歌するのが良いと思う。
みんなで妖怪大運動会でも開きますか!