不登校

不登校がダメな理由 〜仮説②:ブラック校則理論〜

もう一つ、不登校がなぜダメかについて僕が考えたこと。

 

みなさん、ブラック校則って知ってます?

  • ツーブロック禁止
  • 下着は白のみ
  • 靴下は白のくるぶし丈、ワンポイント不可

とか、こんなの。

 

正直、どーでもいーんじゃね? ってやつ。

 

理論的に、それがダメである説明がつかない。

むしろお店で白無地の靴下を探す方が難しかったり、洗濯が大変だったり。

非合理的な側面の方が明らかに大きい。

 

でも、校則で決められている。

納得いかない!

ってやつ。

 

ブラック校則 〜誕生秘話〜

最初に断っておくが、僕は校則については否定的な考えだ。

好きにすればいーじゃん、と思っている。

 

その上で。

物事がヘンになるには必ず理由がある。

ホイ奇祭。

 

物事がヘンになるのには、必ず理由がある。

ブラック校則は、明らかにヘンだ。

ヘンな校則ができたのには理由があるはずで、その理由を考えてみる。

 

 

思うに、靴下の色なんてどーでも良い。

じゃあどーでもいいから明日から靴下は自由! とした場合を想定してみる。

 

僕の予想では、正規分布する。

『模範的な靴下』から『いっちゃってるもの』まで、広く正規分布するだろう。

 

どゆこと?

 

クラスの5%くらいは、従来通り白のくるぶしソックスを選ぶかもしれない。

大多数はお気に入りのワンポイントのついたものや、汚れの目立たない黒いもの、ちょっとオシャレな紺のハイソックスとか、常識的に許容範囲の選択をしてくると予想される。

 

そして残りの5%。

この子たちは、とんでもない選択をしてくる。

常識もセンスもちょっと疑うような選択。

「なぜコレを?」と思うのだが、当人は断固たる意志でそれを選んでいる。

 

↑この図、天才の仕事だと思うんだけど。

今作ったんだけど。(制作5分)

靴下の割合って、こんな感じの正規分布になると思うんだ。

 

 

さて。

この図の右寄りの靴下たちですが、結構ヤバくないですか?

こんなの履いて街をうろつかれると、学校の品性が問われるというか……。

僕は好きなんだけどね。

でもこんなふざけた靴下、ちょっと社会的にどうかと思う気持ちも分かる。

 

これをどうするか、という問題になる。

このぶっ飛んだ靴下。

「自由」にすると必ず「めっちゃダメ」なことをするヤツが出てくる。

それはもう、絶対に出る。

 

じゃあ線を引こうと思うんだけど、何がよくて何がダメか、万人を納得させることなんてできっこない。

例えば上の図だと、どこまではよくてどこからがダメですか?

それはなぜですか?

答えは出ない。

 

いっそのこと、「白無地一択! 例外は一切認めない!」としちゃった方がラク。

 

するとどうでしょう。

「めっちゃダメ」な子は出ない。(禁止してるので)

OKとNGの線引きも明確なので、議論の余地もない。

これは管理しやすい。

 

ってことで、極端な規則が制定され、ブラック校則になっていくのだと思う。

 

ガチガチに規定することの弊害

さて。

この考え方、犠牲になっている人がいますね?

そう、「常識的な選択ができる大多数」だ。

 

男の子
男の子
 ワンポイントの靴下くらいいーじゃん。

 

男の子
男の子
 極端なことはしないから、ある程度自由にさせてくれよ。

 

この子たち。

自分で考え、選択する力があるにもかかわらず、ぶった斬られてしまう。

ここがすごく不幸だと思う。

 

僕はこの子たちを尊重したい。

ボリュームゾーンのこの子たちに、選択の自由を与えたい。

そのためには「めっちゃダメな子」が出るのは想定内として許容していきましょうというのが、僕の個人的な考え。

 

不登校でも同様?

不登校ダメ、ゼッタイ派の人も、こんな考えなのでは?

 

「不登校いーよいーよ自由にしようぜ」にする。

するとそのまま何もせず、結局社会的に自立できないとか、反社会的な行動を取るとかって人は、絶対に出る。

(不登校ダメ! にした方がこういう人は増えるんだけど、今はその話はしない)

 

その時に、「不登校OK」って言っちゃった手前、この人たちをどう扱えば良いかわからない。

大人になって、「今から頑張れ社会適応しろ」では整合性が取れないし、臭いものにフタをするのもあのとき無理やりにでも復学させなかった自分の責任になっちゃう気がする。

 

じゃあ、「全員必ず学校に行くべし」が最適解なのでは?

 

ってことかしら。

 

 

犠牲になる人

さてさて。

この考え方、さっきのブラック校則の話と同様に、犠牲になる人がいますね。

 

そう、不登校してゆっくり休めば、また自分の足で立ち上がって社会復帰できたはずの人です。

そしてこの子たちが多数派。

この子たちが、自分で考える機会、納得して居場所を選択する機会を奪ってしまうわけだ。

僕はこれがイヤ。

 

僕は子供たちを信じている。

自分で立ち上がって、また歩き始められるって信じてる。

そのチャンスを保証したい。

だから、不登校を肯定する。

学校なんてやめちまえ! と思うことすらある。

 

ってことはつまり、「全然ダメ」な子が出ることも想定している。

にっちもさっちも行かず、社会適応できない子。

絶対に出る。

(この子たちが不幸かというとそんなことは全くないと思っているのだけど、それはまた別の機会に)

 

これを認めている僕は、きっと冷たいんだろうなと思う。

不登校ダメ派の人のほうが、落ちこぼれゼロを目指しており、優しいんだと思う。

ただ、天秤にかけて、僕はやっぱり自分の足で立ち上がれる大多数の子を優先したいなと思う。

だから、優先順位の問題なのかな? と思った。

 

どうでしょうか?

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