この話から。↓
ここから関連し、不登校やそれに類する子に言われるテッパンの言葉。
みんなも学校に行きたくないのに頑張って行っている。
だからあなたも頑張りなさい。
誰だって学校はイヤなもの。
我慢しなさい。
これさー。
僕、ずっと思ってるんだけどさ。
それって誰得?
昔から嫌いなんだよね、この手の言い分が。
思うんですよ。
そもそも、「みんな」って誰?
ホントに「みんな」学校が嫌いなの?
少なくとも僕は、学校は好きじゃないけど、さほど不満もなかった。
今でも、教育の場として一定の合理性はあると思う。
「みんな」って誰?
ちゃんと統計とった?
周囲の数人のレベルじゃないの?
そして、百歩譲って大多数が「学校は嫌い」だとして。
その「嫌い」ってどのレベル?
人によって、「ちょっとめんどいなー」から「心を潰して行っている」まで幅があるんじゃん?
イヤな部分もあるけどトータル行った方がおトクだから納得して行ってる、って人も多いだろうし。
一括りに「みんな嫌いよねー」は、あまりに暴論だ。
自分も学校はイヤだったけど、我慢して行った。
だからあなたも頑張りなさい。
これ、明らかに違うと思うんだ。
だって、別の人だから。
なぜAさんが我慢したら、Bさんも我慢を強いられるの?
我慢の連鎖。
誰得?
※日本には「一人だけズルしたら村八分」の空気があるのは承知。その上で、でもこれってめっちゃ非合理的だと思う。
別の人だもの。
Aさんは、Aさんの判断で我慢したのであって。
Bさんには、Bさんの判断があって然るべきと思う。
そもそも、「私だって我慢したんだから」がおかしいと思うんだよ。
Aさんも、学校がイヤならケアされるべきだった。
何がイヤで、どう合わないのか。
どこを落とし所にして、どんな選択をするのか。
ここがケアされないで、多少なりとも傷になって残っている。
だから「私は我慢したんだ」「みんな我慢してるんだ」という発言が出るわけで。
ケアされなかったのが不適切なのであって、その不満をBさんにぶつけるべきではない。
私は我慢して学校に行って、結果正解だった。
だからあなたも頑張りなさい。
この理屈もそう。
これは結果論だ。
Aさんは結果論として登校を続けて良かった。
それは良いことだ。
でも、だからといって別の人に押し付けるべきではない。
BさんにはBさんの価値観がある。
もしかしたらBさんは、それどころじゃないかもしれない。
「将来的にお得」よりも、「今この瞬間がつらい」が大きすぎてどうしようもない状態かもしれない。
実際「学校に行きたくない」と言い出す子って、どうしようもなくて、最後の最後にやっと言えるケースが多いようだ。
「勉強が遅れる」「自分に不利になる」とか、本人がとっくに納得しようとしてる。
さんざん自分に言い聞かせて、でもダメで。
その上でのSOSだったとしたら、頑張るエネルギーなんて残ってるわけがない。
分けて考えるべきなんだ。
だって、別の人だから。
みんな行ってる?
みんなイヤ?
だから、何?
「その子」はしんどいんだ。
その子の物語は、その子の物だ。
ここを否定しちゃいけないと、僕は強く思う。
上述の通り、もし「みんな学校がいや」なら、「みんな」がケアされるべきだ。
当たり前だけど、登校しているから問題なしってわけじゃないし。
心を潰して、でも他に選択肢がなくて登校している子もいるだろう。
知的障害に気づかれずに通常級に在籍し、授業がさっぱり分からない子だってきっとたくさんいる。
登校してるけど、意味ない。
意味ないどころか子どもを追い詰め、マイナス効果だ。
突き詰めると、登校していようが不登校だろうが関係なく、一人ひとりがケアされるべきなのだ。
学校は合っているのか、合わないならどこがどの程度か、性格的に納得して受け入れられるのか。
もし「みんな」合わないなら、それこそ学校制度自体を変えるべきだし。
こうなるともう、社会問題だ。
上記、僕だって分かっている。
その上で、僕はここに切り込む気はない。
実際には、僕は目に見えて問題を抱えている「不登校の子」にフォーカスするのが現実的で。
※前から書いている通り、不登校は「機会」を失う。勉強の機会と、同世代とのコミュニケーションの機会ね。だから、別の方法で機会を補っている子は別に問題なし。平和な不登校は、マジでそれでいいと思う。そうじゃなくて、機会を失いっぱなしの子をどうするかってのが目の前の問題。
ケアされない子の溜まった不満を、他の子にぶつけるべきじゃない。
「イヤだけど頑張った子」は、その子の問題。
「イヤすぎて頑張れない子」は、この子の問題。
分けて考えるべきだ。
一緒くたにするメリットって何?
マジ誰得?
って昔から思ってる。
兄が不登校になると、弟も真似する。
確かに、あり得る話だ。
弟は身近に不登校のモデルを見るわけだ。
「そんな手があるのか! じゃあ自分も」となるのは想像に難くない。
でも、これって兄の責任?
クラスに不登校の子が出ると、他にも不登校が出る。
最初に不登校した子の責任ですか?
続いて不登校になった子はその子の問題を抱えているわけで、そこをケアすべきで。
「不登校という選択肢を見せなきゃいい」なんて単純な話ではない。
僕にはこんな子たちの経験がある。
これ、先人の問題ですか?
違う、この子自身の問題だ。
最初の人が悪い、そんな選択肢を与えなければ問題が起きなかった、なんて単純な話じゃないんだ。
その選択肢を知って、実際に模倣してしまった。
ここには理由があるはずで。
こっちをケアするべきだ。
不登校も、リストカットも、過量服薬も、拒食症も、世の中に存在している。
隠せば解決ってわけじゃない。
それを選ばざるを得ない心理に寄り添うべきだと、僕は思う。
とりとめのない話になってしまった。
完全に個人的な見解で、別の意見を持つ人がいることはわかっている。
ただ、僕は昔からこれを強く思っていて。
別の人なんだから、分けて考えるべき! と。
その子にはその子の物語がある! と思うんだよ。
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「みんな辛くて辛くてでも我慢して学校行ってるって思ってた、だから僕だけ楽しくて楽な支援級に入るのは悪いなぁ〜って気分だったんだよね・・でもこの前、休み時間に体育館で遊んでいる皆んなをボォーと見てたら 楽しそうだったの!僕驚いちゃった! 学校が楽しくて通っている子どももいるんだね」
と最近息子から報告あり。現在小4。
小1から行き渋り、コロナ休校明けに不登校になっていた息子が言っていた言葉です。
彼はASDがあるので自分の感覚を他者も感じてるに違いない!って思う所があり
あんな地獄みたいな1ミリも面白くない学校に、皆んな我慢して通っているんだから、それが当たり前で本当はやらなきゃなんだけど
「僕には出来なーい!」ってコップの水が溢れちゃったんです。
今は支援級に移り、理解ある担任の先生にサポートしてもらい週に二回の午前中だけ登校。
すごく意欲的に勉強もするようになりました。