玉と窓と矢印の話から。↓
まず、この話は圧倒的に僕の感覚なので、ご理解いただけるか不安だった。
「わかりやすかった」という意見をいただきホッとしている。
一人にでも届けば本望です。
よく分からんかった人。
それはあなたが悪いんじゃなく、僕の文章力です。
もっと分かりやすい説明が世の中に落ちているはずなので、そっちを参考にしてください。
あと、近所の和菓子屋さんで「おぐらのもなか」を「モグラのおなか」に空目した。
ちょっと考え……あ、「小倉のモナカ」ねと。
自分疲れてるなと思うと同時に、やたらファンシーな空目にフフッてなった。
すごい関係ないけど。
閑話休題。
上記玉と窓と矢印の話で、こんなコメントをいただいた。
変な影響を与えないように、親は黙っておくべきですね。
これね。
他の場面でも、育児関連の話でよく聞くんだけど。
親は余計な口出ししない。
お口チャック。
これ、僕は以前からちょっとした違和感を感じていて。
いや、そんなにへりくだらなくてもいいんじゃ? と。
確かに、親が子どもに与える影響って大きいと思う。
親が見るように子どもも世界を見ると、個人的には思っていて。
その子が何を気にするか、つまり『窓』は親から引き継ぐ部分が大きいだろう。
だから、要らん窓を継承するとその子が生きづらくなっちゃうよねって話。
なんだけどさ。
引き継ぐのは、要らん窓だけじゃないじゃん?
いい窓も絶対に引き継ぐはずなんだわ。
育児とか発達関係の情報って、どうしても「困ったこと」にフォーカスしがち。
困りごとを解決する目的で発信するからね。
だから、要らん窓の話が出がち。
だけど、あんまり話題にはならないけど、良い窓も絶対に継承してると思うんだよね。
社会のルールとかマナーとか、助けてもらいかたとか、楽しいものの見つけ方と楽しみ方とかさ。
この辺全部含めて「しつけ」であり、悪い方面ばかりでなく、役立つ窓も教えてるハズなんだよ。
見落とされがちだけど。
そもそも、どれが「いい窓」で「要らん窓」かは、判断が難しい。
時と場合によって変わる。
親御さんにとっては必要な窓でも、お子さんには不要かもしれないし。
出産年齢が30歳だとしたら、親と子が生きる世界には30年のタイムラグがあるわけ。
30年経てば、そりゃ世の中の仕組みも変わるでしょうし。
そもそも置かれた環境とか周りの人とかで、どの窓が有用で不要かなんて、全然変わるわけ。
パッと思いついた例だと、昔は学歴をつけて大企業に入ればほぼほぼ人生安泰だったけど、今はそんなことないとか。
職務上の立場によって、協調性と積極性のどちらが大事か変わるとかさ。
だからさ。
そりゃ明らかに要らん窓は植え付けないでほしいけど。
でも、意図せず不要な窓を作ってしまうことは、避けられないだろうと思う。
どんな親だって、多かれ少なかれ、要らん窓を子どもに植え付ける。
それこそ、マザーテレサだってナイチンゲールだって、自分の子どもに要らん窓を作ったハズだ。
きっと作ったに違いない。
それくらい、完璧な親なんて存在し得ないのだ。
……今調べたら、二人とも生涯独身だってクソが。
完璧な子育てなんてない。
どうしても、要らん価値観、要らん窓は植えつけてしまう。
そのくらい親の影響力は絶大だ。
だったらさ。
良い影響も植え付けまくろうぜ!
と、思うんだ。
先述の通り、窓には良いものも悪いものもある。
悪い窓をゼロにすることができないなら、その分良い窓をたくさん作るってのは、どうでしょうか。
具体的には、
この世界は楽しいよ
という視点(窓)でしょうか。
とか、こんな感じ?
実際、親から継承した「良い窓」って誰にでもあると思うんだ。
とか
とかさ。
もちろん、こんな崇高な話じゃなくても良い。
人に誇れる内容じゃなくても、親が楽しそうなら、ステキな思い出として子どもの心に刻まれる。
両親が人生を楽しむ姿は、ステキな窓となって子どもに継承されるハズだ。
僕は、私は、どんな楽しいことに出会うんだろう。
そして出会ったら、心の底から思いっきり楽しんでいいんだ。
人生楽しそうだな!
めっちゃいいじゃないですか。
めっちゃいい窓。
お子さんは、親御さんの様子をよく見ている。
実際に親と同じ職業や趣味を持つ子どもも多いわけだし。
ふとした折に人生の指標になるのは、やっぱり親御さんから受け継いだ価値観だったりする。
両親が楽しそうにしていた姿を思い出す子は多いだろう。
もちろん、ポジティブな面だけじゃない。
嫌なことがあって落ち込んでも、そこからどう折り合いをつけて立ち直るか。
これも良い(とても有用な)窓として受け継がれる。
どの情報を受け入れ、どこは閉じるのか。
「考えなくて良いトラブルは、考えない」と窓を閉じる行為。
ライフハックとなる大事なスキルだ。
「要らん窓」は多少なりとも継承されてしまう。
それより、「良い窓」をたくさん見せようぜ!
つまり、親御さんが人生楽しんで! ってことですね。
余計な洗脳をしないようにと、過度にビクビクする必要はない。
※そりゃ明らかに非合理的な押しつけは控えてほしいけど。
それより、
この世界は楽しい!
って姿をたくさん見せてあげてほしいと思う。
ってことで僕は、モグラのおなか、じゃなかった小倉のモナカを買って帰ります。
和菓子がおいしい! 程度でも、お子さんに「良い窓」として継承される可能性は十分あると僕は考える。
レッツエンジョイ人生!
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P先生、いつもありがとうございます。この場合、萎縮する ビクビクするを、あえて親を非難する形にならない形で言い換えられた結果が、へり下るって言葉なんだろうと思いました。ただ単純にへり下るのをやめたら、思った通りにやれって事になるけど、そういう事を言ってらっしゃるわけでもない様ですし。保護者の気分を上げようとされての言葉のセレクションでもあるのかなと。
一読した時には全然違和感を感じませんでしたね。コメント書こうかなと思わなかったら、気が付かなかったかも知れません。子供のための正解を探して懸命になってるタイプの親に更にダメ出しする形になったら、楽しい事を見つけられる精神状態から更に遠ざかってしまうのではというお気遣いなのかなと感じました。
あと、1人の人間が無意識にチェックする項目の数って多分そんなに変わらないので、楽しい事に目を向ける事が増えれば、その分嫌な事、今考えてもどうにもならない事に目を向ける数も自然と減るんじゃないかと。
もなかを楽しむ事も人生エンジョイを見せるにつながるって、誰でも実行できそうなスモールステップで、笑みが浮かびました。
私が、子供の時に言われた父の言葉で一番印象に残っているのは「高校で運動部の部活に打ち込みすぎて、教師も誰も自分が現役で大学受かるとは思ってなかった。どうせ受かってないだろうと思って家にいたら、(地元の大学だったので)高校の担任から合格を知らせる電話が家に入ったんだけど、その時入浴中だった。合格に誰よりも自分が驚いた。」ですね。
世の中意外となんとかなるんだなあと、30年以上経った今でも、その言葉を思い出してはそう感じます。ただそう感じたのは、そのエピソードを語る父が、単純に自分の嬉しかった思い出を語っているだけ、そしてその表情で本当にその部活が好きだったのが感じ取れたからだからだとも思います。誰かが嬉しそうにしてるって記憶に残りますね。