禁断の話題、親ガチャ。
流行ってるのは知ってたんだけど。
僕はミーハーだ。
流行に乗りたいタイプ。
でも書くの難しいなー炎上やだなーと思ってここまできていた。
いろんな意見の人がいるからね。
親ガチャ論争。
もちろん答えはない。
いろんな意見があるし、どれが合ってるとか間違ってるとかない。
ここから先の話は完全に私見なので、聞き流していただければ。
ごく一部の人にでも、「そんな視点があったのか!」と思っていただければ幸いです。
親ガチャ。
賛否両論あるでしょう。
僕はお察しの通り『賛』の立場で。
うまいこと言うなーと思っている。
で。
賛も否も、それぞれの意見があっていいと思うんだけど。
この辺言及すると炎上しそうだし。
僕さ、この話題でいっつも思うことがあるんだけど。
言っていい?
なぜ親目線なの?
これなんだけど。
親ガチャ『否』の人からこんな意見が出る。
わかるよ?
わかるんだけどさ。
それって大人の立場からの意見ですよね。
僕、不思議なんだけど。
なぜ親の立場で「悲しい」とか「言っちゃいけない」とか「子ガチャ」とか領域展開されちゃうんだろう。
親ガチャって言ったの、子どもよな?
子どもがそう言ったんだから、「その子にとっては」そうなんだよ。
まずここにスポットが当たらないのが、不思議でならない。
子どもの話なのに親の立場で領域展開されたら、無限が広がっちゃうと思うんだ。
つまり、噛み合わないよなと。
この子は、親に不満な部分があったのだろう。
だから「親ガチャ失敗」とか言い出したわけで。
じゃあさ、どこが不満でどう感じたか、その子の考えを聞くのが先じゃね?
なぜ反射的に「大人の立場から」反論しちゃうんだろう。
親と子ども、力の差もあるわけだし。
まずは言い出しっぺの子どもの話を聞くことからだと思うんだよ。
わかるよ?
親だって頑張って育てたよな。
子どもは、親の苦労なんて分からずに親ガチャとか言ってるよ。
現実の見えていない、理不尽な要求よな?
わかる。
わかるけど、それは大人目線の意見だ。
子どもが不満を抱いたのは、大人目線で見ると理不尽なポイントだ。
子どもだからね。
見えてないから。
※ここの説明のために、前回と前々回の記事を書いた。この話への助走だった。
でもさ。
その偏った視点から、でも確実に不満だった。
じゃあまず、それを聞いてよって思う。
子どもならではの偏った、でも柔軟で面白い意見。
ぜひ聞きましょうよ。
と僕は思うんだよ。
僕、親ガチャ論争を聞くといっつも思うんだけどさ。
セクハラってあるじゃん?
あれの線引きって、「された方がセクハラと思ったらそれはセクハラ」なんよな。
加害者の意見で決まるんじゃない。
パワハラ、モラハラ、マタハラとかもそうじゃない?
された方がそうだと思ったら、そうなのだ。
いじめだって、いじめられた方がそう思えばいじめだ。
毒親だって、「子どもが毒親だと思うこと」が定義でいいと僕は思っている。
全て被害者視点。
年齢や立場、力関係で優位にある者から、弱い立場の者への迫害行為。
すべてシンプルに「された方が嫌だったらアウト」でよいと思っている。(僕はね)
なのになぜ親ガチャは、加害者、つまり親側目線の議論になってしまうのだろう。
子どもが親ガチャ失敗って思ったのなら、「その子にとっては」そうなんだよ。
俺ぁセクハラしてない!
相手も同意していた!
いくらそう言ったって、相手が嫌だったと主張するのならそれは立派なセクハラなわけで。
やっぱり、主役は子どもだと思うんよ。
親ガチャ発言があったってことは、多かれ少なかれ子どもからのNoの意思表示だ。
された方が不快だったから「課長、セクハラですっ!」って言うわけで。
「親ガチャ」って表現が良くない?
ゲームに例えて軽すぎる?
気持ちはわかるけど、じゃあ「毒親」って言ったら今度は重すぎるって言うでしょ。
子どもだって、そこまでの深刻な不満じゃないからあえてラフな言葉を使ってるんだと思うし。
そもそも「親ガチャ」って、なんJ民が言い出したんじゃないの?
なんJの言葉を真に受けても……ねぇ?
彼ら、ふざけてしかいないでしょ。
自嘲的にふざけて使った言葉(ある程度の不満はありながら)が、思いのほか広がっちゃったんだと思うんだよ。
目くじら立てても、ねぇ?
こどもは「親ガチャ失敗した」と思った。
これは事実だ。
だから、まずはそれを聞いてほしい。
「あなたはそう思うのね」だ。
いつものやつ。
僕の思う親ガチャ失敗って、親が話を聞いてくれないことだ。
たくさんの子供たちを見てきたけど、親の収入とかスペックに対して腹を立てている子は見たことがない。(小中学生の話ね) (それ以上になると貧困に対する不満なども出てくるんだろうけど) (でもこの場合も、問題の根本は貧困じゃなくて親子の信頼関係なんだと思うし)
スペックレベルの親ガチャ失敗発言なら、それこそなんJレベルとみなして受け流していいと思うしさ。
「なんでウチはお金がないのー? 最新のおもちゃを持ってる〇〇ちゃんズルい!」
「へー、そう思うのね。でもウチは不要なものは買わないわよ。」
でいいと思う。
※そのあとで「親ガチャ」という言葉の使い方や言われた方の気持ちを諭すなら、全然そうすれば良いし。理不尽な要求をしっかり断ってくれたら、親への信頼が増すと思う。(そのときは反発するだろうけど、それこそ後々わかるでしょ。)
親ガチャ発言の問題の根幹。
親を信頼できないことだと思う。
自分の不満に向き合ってくれない親なんて、信頼できない。
翻ってこれは、子どもが自分を信頼できないことにつながる。
親が信頼できなければ、その子どもである自分も信頼できない。
自己肯定感が低下する。
この2つがないと、子どもの見る世界が敵ばかりになっちゃう。
すごく冷たい世界を生きることになってしまう。
これに対して子どもは「親ガチャ失敗」って言ってるんじゃない?
味方ばかりの暖かい世界に送り出してくれれば、「親ガチャ失敗」なんて言わないんじゃないかなー。
「親ガチャ」は、まずは子どもの目線で論じられるべきだと思う。
大人視点の話はそのあと。
子どもがそう言ってるんだからさ。
まずは子どもの話を聞いてよ。
セクハラやパワハラだって、まずは被害者の話を聞くじゃん?
同じだと思うんよ。
まずは子どもの立場
親ガチャ論争について、僕はシンプルにこれだけだと思うんだ。
大人の立場を混ぜて論ずるからワケ分かんなくなるのであって。
主役は子どもだ。
子どもの話を泥棒しちゃダメだと思う。
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①子どもの話をちゃんと聞くこと。
②親自身の人生を楽しむこと。
ありがとうございます。
よく言われれることですが、これが一番大事なんですね。
今後、意識して改善できていくとして・・
既に引きこもってしまった我が子にも、良い影響あるでしょうか?
とある掲示板で騒ぎ過ぎで自己中、貴方みたいないなのを親ガチャって言うと言われた事があるのですが、子どもにはそうは思われてないと思います。
学童で作成するバースデーカードの大切なものや好きなものの欄には、いつも家族と書いてくれました。
でも、親の自分自身、毒親だよなぁ~と思っています。
つい感情的に叱りつけてしまうし・・・
立場が違えば思いが違う。それは家族でも。
他人から見たら××と思う状況でも、当人の間では○○って事もある。
(正しい判断が出来ない精神状態を除いてもの話)
問題ありすぎて入退院繰り返してる(治療方針でもあるけど)関係でも、家族関係が破綻してるとは思っていない。
ハタから見たらあり得ないんだろうけど。
今回のお話とても参考になりました。
思い返せば私の母は、子供から母に対するNOは受け付けません!っていう感じだったな…と思い出しました。
ちょっとした要望レベルの事言っても、母自身が否定されてると捉えるようで、「ママだって頑張ってるのに…」って空気が
悪くなってしまったり。
子供なりに衣食住をちゃんとしてくれてる親に、NOを言い出すなんて親不孝で、わがままでしかないと思ってました。
今回「子供の話をちゃんと聞く」の中に、子供の視点での話をしっかり聞く事と、NOを突き付けられる事もあるし、それに腹を立てるのではなく、きちんと内容を聞く事と必要なら謝ったり改善策を考えたりする事が入ってると分かりました。
社会生活で考えても、NOを適切に言う練習も必要だし、反対にNOを言われて怒って言い訳しまくる対応は1番良くないと思うので、親ガチャに外れたと言われないために、しっかり子供の話を子供の視点で聞いてあげたいと思います!
初コメです。いつも拝読させていただいております。
私が子供の頃に、父に不安であることや相談事を話すと、共感しながら向き合ってくれました。でも母には何か話すと「私の方が辛かったからね。」「みんな苦労している。辛いのはあなただけじゃないからね。」「あなたは恵まれている(あるいは健康な)ほうだからね。」という結論に収束するので、相談をしても心が晴れませんでした。(これは私が成人した後でも変わりません。)
母は不安感が強い人なので、子供には愚痴を聞かせるけど、子供の愚痴は聞きかない人でした。
自分はまだ学生で、子育てをしているわけではありませんが、家族とコミュニケーションを取る時の参考になります。いつもありがとうございます。
わかります。
親ガチャとか毒親とかいうと、
育ててもらったのに…!
いい大人がそんなこと言うなんて…!
とか言われます。
私は大人だけど、元・子どもなんですよね。
子どもが感じたことがすべて、なのに。
親になったらわかるとも言われますが、ぜんぜんわかりません。
むしろ、なんでこんなひどい育てられ方をされてきたんだろうと思います。
母は精神疾患で余裕がなかったから、しょうがないと納得させていますが。
私は幼児期、学生期は優等生で頑張り続けられましたが、社会人になってからうまくいかなくなりました。
その場合って親が悪いじゃなくて、本人の問題と扱われる場合が多いです。
自己否定が強い、
周りとの人間関係の構築が苦手、
幼少期からの過大なストレスによる副腎疲労、
私のような人間が幸せになっちゃいけないという感情…
すべて、毒親育ちの後遺症です。
そのせいで人生ハードモードなのに、親からも周りから理解してもらえないのがつらいです。
まあ、理解してくれる親なら毒親にはならないんでしょうが。
親に親の役割を期待することが難しいと実感したので、自分が理想の親となって自分育てをしているところです。
何度かコメントさせて頂いていますが今回も共感しかありません。
私も親に対して思うことがあり折に触れて伝えてきましたが、「事情があったんだから仕方なかった!」と返されるのでいつも消化出来ずに終わります。私も親になり親には親の事情があったのも分かります。
でも私は嫌だったし悲しかったんだからそれに対しては素直に「ごめん」と言ってほしいです。その気持ちさえ伝われば多分私は全て水に流せるのに…と思います。
なので子どもがいつか「あの時こうしてほしかった」「これが嫌だった」など言ってきたら自分の事情は抜きにしてまずは必ず謝ろうと思っています。
子どもはそんなにバカでも非情でもない!気持ちさえ分かってもらえたら境遇に対して恨むことはそうないんじゃないか…と思います。