夏休みの宿題の話から。
あえてやらせないって選択肢も浮上した。
でも、ホントにそれで大丈夫?
って思った親御さんが、全国に数名はいらっしゃると思われるので、いっちょ背中を押すデータをお示しします。
確か海外のデータだったと思うんだけど、こんな文献を目にした。
小学生は、宿題をしてもしなくても、その後の学力に有意差が出ない。
中学生は、ちょこっと差が出る。
例の如くソースは失念したのだけれど、一応ちゃんとした論文だったように記憶している。
脳科学とか心理学系の本で読んだような。
つまり、小学生は宿題しても意味ない! らしい。
中学生はちょっとだけ意味ある! らしい。
もちろんこのデータ全てじゃないし、海外のひとつの論文でしかないし、宿題のメリットも分かっているつもり。
宿題できる人はやればいいと思うんだけど。
でも、どーしてもできない人。
やっても意味あるコレ?
ってゆーか、親子関係の崩壊とか自己肯定感の瓦解とか、マイナス面の方が大きいんじゃ⁉︎
って人。
ダークサイドに堕ちかけてる人。
背中を押す意味で、このデータを信じてみても良いのではないかと思うのですよ。
自分に都合の良いデータだけ、とりあえず信じてみる。
こんな戦略も、人生で役立つことがあると思うわけです。
「宿題意味ない説」について、個人的には確かにそうかもしれないと感じる場面がある。
僕の外来にくる人。
つまり知的な問題とか発達障害特性とかこだわりとか愛着の問題とか二次障害とか、もろもろ抱えている人ね。
親御さんが宿題をスゲーやらせてたりする。
もしくは、本人がこだわってスゲーやってたり。
でも、身についているか? と問われると、おそらく……ってケースをよく目にする。
「やったこと」がゴールで、肝心の学力は上がっていない。
いや「やったこと」をゴールとする明確な狙いがあるなら全然いいんだけど(不安が強くて絶対に怒られたくない、提出が目的で成果は度外視! とかね)、そうじゃない場合。
せっかく努力したのに、実を結んでいない。
非常にもったいない。
こんな子こそ、正しく努力し、正しく評価される経験を積んでほしいのに。
むしろ親子関係が悪化したり、「こんなに努力したのに。自分はダメだ!」とか自己否定につながったり。
もうさ、宿題しなくていいんじゃね?
手を抜いたら?
そうアドバイスすることもしばしば。
『普通』じゃうまくいかない人。
『普通じゃない』やり方でやったって、全然いいと思うんだ。
最後に辻褄が合えば、それでいい。
こと勉強に限って言うと、この
と、以前書いた
に背中を押してもらってもいいと、僕は思うんだ。
コレね。↓
これはもちろん、コツコツまじめにやってる人をdisるわけじゃない。
それが合う人はもちろんそうすればいいし、その努力は本当に素晴らしいと思う。
そうじゃなくて、どーーーーーしても『普通』が合わない人は、別の道を探してもいいんじゃない? ってこと。
最後に頂上につけば、裏道でも獣道でも、いいんじゃない?
※そして大抵、『普通』の道が一番歩きやすいのだけれど。裏道は難易度が高い。獣道はさらに高い。でも承知の上で獣道を選択するのは、全然アリだと思うんだ。アリ寄りのアリ。
その時は勉強しなくても、あとで辻褄が合えば良い。
ゴールを学歴とするなら、極論すれば大学受験の当日に学力が発揮できればよいわけですよね。
そこに至る道筋は問われない。
さらに言うと、ゴールは学歴じゃなく、その子がその子らしく生き生きと人生を送ることだ。
ここに学力は不要と判断するのであれば、勉強を頑張る必要すらなくなるわけで。
この辺はその人の価値観だ。
他人がとやかく言う内容ではないので、各々考えていただければと思う。
もしかしたら宿題って意味ないかもしれない。
「普通」じゃうまくいかない子は、こんな選択肢を持ってもいいのかもしれません。
その子に合ったやり方で、うまいことお得に生きていってください。
【以下余談】
※読まなくていいです。僕のクズっぷりが綴られてるだけです。
ちなみに僕は小学生の頃、夏休みの宿題を全然やらなかった。
夏休み初日から「やらない!」と決めていた。
※理由は、親の協力が得られないから。ドリルとかは自力でできるにしても、自由研究なんかはムリ。工作の材料を買ってもらえないんだもん。不服の表現として、「全てやらない」という選択をした。「お前ら(親)のせいで、俺は宿題やらないぜぇ?」っていう当て付け。効果なく撃沈したけど。
案の定、二学期に先生に叱られ、黒板の端っコに名前を書かれる。
「宿題未提出の人」って意味だ。
晒し首。
これがどうなるか?
最初は恥ずかしい。
気まずい。
そりゃあね。
でもそのうち、誰も気に留めなくなる。
時間の流れと共に風化し、文字も消えかけてくる。
機を見計らって(10月くらいか)、おもむろに黒板消しを手にとり、そっと消す。
黒板消し当番の日が不自然さがなくてオススメ。
成功すれば、なんと宿題が水に流れ、「なかったこと」に!
僕は夏休みの宿題から、「宿題はやらなくても水に流せる」と学んだのだ。
今に活きる、大きな学びとなった。
ホント、宿題ってスバラシイね!(クズかよ)
まぁ理屈で考えても、宿題って自分のためのものであり、やらなかったら自分が損するだけだ。
叱責される類の性質のものではない。
ぶっちゃけ先生もめんどくさかっただろうし、うまいこと水に流してお互いwin-winよな。
こうして僕は、宿題から「協調性」をも学んだのだ。(マジでクズかよ)
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ASD次男と私、お互い泣き叫びながら何とか終わらせた8月初旬。なかなか大変でした。
やらないという選択肢が私にはあるのに本人にはなく、やるしかなくなってしまい、ただやる気はなく。
読書感想文は私が書いたようなもんですが、書けたので良し!としました。書字苦手な子がほんとがんばったと思います。
ただ次男は「しない」という選択肢があるものの、定型児の長男にしたらそれは「不公平」なんですよね。宿題はやって当たり前なんで。
もちろん同じように長男にもしなくて良いとは言いますが、長男はしないことに納得できないので、宿題するしないで兄弟ゲンカ勃発です。
来年には三男が小学校へ入学するので三兄弟の宿題を見れるのか今から不安な私です。
小1息子。
夏休みを満喫すると言っていたので、まずいと思い、初日から宿題をいつも通り、コツコツ一緒にやりました。
息子の性格から、のんびり習慣ついてから、やらせるのは無理だと判断しました。
字を丁寧に書くことが今の課題なので、必須の宿題を終わらせた後、読書感想文もやりました。
読んだり、内容を理解したり、文章を作るのはできるので、本人がツラツラ口頭で言った感想文を文字に打ち込んで印刷。
それを見ながら、ひらがな、カタカナの練習がてら、マスの大きな作文用紙に800字書き終えました。
なかなか丁寧に字が書ける様になりました。
本来の宿題のやり方ではないけど、本人の特性に合わせて、切り捨てることも必要かなと。下書きの部分は、肩代わりしました。
他のお母さんに言ったら、ズルだよ!と言われましたが、文字の練習なんで、別にイイ〜!本人が作った文章ですからw
絵日記も観察記録も終わったので、あとはいつもの通信教材だけ。
のんびり夏休みを満喫してます。
うちの子は中学生の時に「これ(宿題)は自分のためのものじゃない」と言い出しました。確かに子供1人1人出来る所、出来ない所は違う。やらなくても出来るのにやらないといけない面倒な所と、やっても出来ないので写すしかない面倒な所の中に、自分にちょうど良い難易度の問題があるだけで、自分の創意工夫出来る場所も少ない、学力向上を目指すには無駄が多い物ですよね。もちろん、やらないよりは学力がつくので、全部やり遂げられる子にはいいとは思いますが、量をこなせない子には非効率的。
他校に通ってた友人の娘さんが中3の夏休みに宿題が終わらなくて、高校受験の内申点のためにドリルを途中から親がやったけれども、ドリルの途中からいきなり親の字に代わっていても、特に問題はなかったという話を聞きました。大学以前の宿題で求められているのは学力の向上じゃなくて、従順性なんだと思いました。その娘さんは自宅から通える私立大の中で1番難関に合格、大学の課題もちゃんと自力で出来てます。大学受験の結果だけ見ると、宿題全部できてなくても、その中学にいた子の中で上の方。
うちの子は色々あって、最近の言動を私が意訳すると、「教師に捧げる無意味な従順性はない」みたいな感じに見えます(根がすごく真面目なので、反抗的な言動はしませんが)。元々宿題は苦手なのですが、教師に対する感情が学習意欲に直結。昔からこの人が喜んでくれると自分も嬉しい、と思える時にしか頑張れなくて、自分自身のために頑張りたいという気持ちが薄い。仲間の喜びだけが自分の行動の原動力、みたいな感じなんですが、これってHSCの自他の境界が薄いという事と繋がっているのかな、と考えています。
わたしは小学生の頃真面目に宿題をしましたが、分からない箇所があって埋められませんでした。それが理由で提出出来ない子でした。先生はわたしが提出していない事などチェックもしていませんでした。なんて存在感のないわたし。
今年は学校の宿題はしないと決めた娘。
口では容認していましたが、実はこっそり不安になっていた私…。
先生のブログで吹っ切れました!ありがとうございました。
P先生のトライ&エラーのお話、楽しかったです!
( ╹▽╹ )
この夏休み、コロナ禍だし宿題しなくてイイよ、と娘にお勧めしたら、先生に怒られるからイヤだと反対されました。
世界的にも辛い時を過ごしてるのだから、夏休みで位気楽に過ごしてよ♡と思いましたが撃沈しました(笑)
ふふふ…
たまに出る先生の自称クズ史も素敵です。当時の先生はそれはそれは苦い思いだったと思いますが…。
私は子供の頃から人の言葉を言葉のまま受け取る&真面目な性格で「ある程度手を抜いても大丈夫」を知らずに育ち、宿題や忘れ物その他ルールにビクビクする学生だったため、大人になってから“昔の私、気の毒だったなぁ“と思います。
「本音と建前」とか「いい塩梅」の実際を、社会に出てから認識し出したようなものだったので、もっと早く程よいユルさを会得しときたかったです。
だから我が子には、カッチリキッチリしなくても案外大丈夫、と、往々にして伝えて行きたいと思います。世の中ナメすぎない程度に。少し前の記事に書かれていた‘愛されキャラ’がいいですね(^。^)
うちの息子は夏休みの宿題の一部をやらずに2学期を迎え、もちろん最初は提出するように担任から言われたのですが、2学期終わりの個別懇談会で、うちの子未提出の夏休みの宿題があるのですが・・・と伝えると
担任は忘れてました。
結局、出さないまま進級しました。(笑)
まわりには大物になれるって言われました。
今年は1学期未提出の宿題も夏休みの宿題に上乗せされてますが、まぁ出さないでしょう。