前回の話から。
『結果』より『過程』を褒めるのがよさそう。
その子が何を意識して、どこをがんばったのか。
大人はよく見極める必要がある。
その話から。
こんな親子がいた。
子どもの動画視聴時間に関して、診察室内でケンカが始まったところだ。
ただ、宿題とかやることをちゃんとやってほしい!
曰く、相当ゆるいルール設定にしていると。
寝る時間までに宿題その他もろもろを終わらせてほしい。
いつやるかは問わない。
とにかく、寝る時間までに完了してくれれば。
それさえ守れば、何をしていても文句は言わない! と。
一方、子供の言い分は全く異なる。
動画見てたら絶対に文句言うじゃん。
時間内でも超言うじゃん、超ウソじゃん!
曰く、YouTubeを見ている間中チクチク小言を言ってくる、と。
課題の進捗とは無関係に。
あとでやろうと思ってたのに、やる気なくなった!
ちっとも動画に集中できないし、超イライラする! と。
どちらの主張が正しいのか、僕は現場を見ていないので判断しかねる。
でも、これだけはハッキリ言える。
めっっっちゃズレとる!!!
親子間で主張がめっちゃズレてる。
同じ状況を共有しているハズなのに、見えている景色が全く異なる。
認識がズレてる。
解釈がズレてる。
まぁ、よくあることなんだけど。
上記の会話を聞いて、ぼくはふと思った。
子供って一般的に、結果とか結論はあまり見ていない。
今この時を生きてる! ってやつ。
「今ココ目の前!」しか見えていないこともしばしば。
だったら親御さんに対する視線も、「今ココ目の前!」になりがちなんじゃ?
子供は「今ココ目の前!」の視点で親御さんを評価しているんじゃなかろうか。
つまり、こういうことだ。
上述の親子、親御さんは
トータルでつじつまを合わせなさいよ!
と言っている。
全体を見ているわけだ。
「時間までにタスクを完了する」という結果を重視している。
一方のお子さんの側は、
お母さんは「今」文句を言っている!
と思ってる。
「今小言を言ったお母さん」しか見えていない。
母はなぜそう言ったのか、何を狙って言ったか、どうすれば言われなくて済むのか、全体像が見えていないのだ。
だから
そんなことよりお母さんはいつも文句ばっかり言って!
気分で言って!
となる。
この子が「今ココ目の前」しか見ていないと仮定すると、上記主張もうなずける。
「今言ったじゃんムカつく。以上! それ以上でも以下でもないっ!」ってことなのだ。
親子の意見は、よくズレる。
マジこれ、非常によくズレる。
そのズレの原因に、視野の違いがあるんじゃないかと思った。
大人は、結果や全体像を見る。
子供は、人生経験が短すぎて「今ココ目の前」しか見えない。
(これが前回の「結果じゃなくて過程を褒めて」ってところにつながるんだと思う)
じゃあさ。
この視野の違いをうまく使って、上手に手を抜くことも可能かもしれないと思った。
「ちゃんとした料理」「綺麗な部屋」「キラキラした生活」「いつもきれいな母」「世間体」とか、気にしなくていいんじゃないかって思う。
子供、あんまり喜ばないかもしれない。
それより、「今ご機嫌なお母さん」の方が嬉しいかも。
結果を出すより、「今気分よく過ごしている姿」を見せる方が大事かもしれないと思った。
だとしたら、親御さんは「ちゃんとしよう」と頑張りすぎなくてよい。
別に子供が求めてないなら、上手に手抜きができるといいなーなんて思ったりした。
子供は「今ココ目の前」を見がちな傾向がある。
対して大人は全体を見て結果を求めがち。
この差ですれ違ったり、努力が空回ることがあるように思う。
この特性を踏まえて考えると、子供の主張が理解しやすいかもしれません。
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初めての子育ての時の話です。長男は、小さい頃「今ココ目の前しか見てない」傾向の強い子だったので、切り替えが大変でした。歯磨きの時も、しばしば大泣き。眠いか、遊ぶのをやめさせてるからだろうと思っていたんですが。先日「お母さん、僕結構遅くまでお母さんに磨いてもらってたよね。」「うん。大声でずっと泣いてて、お母さん近所の人に申し訳なくて」「あれ、飛沫が口の周りにつくの嫌だったんだよね。でも幸せだったなあ。泣いてて疲れてきて、もういいかなあと思った頃に、お母さんが膝の上で磨いてくれる」....
親子のあまりのズレに、もう唖然としました。
これってまさかの感覚過敏?(これくらいは普通で気づかなかった私が雑?保育園では普通に歯磨きしてたはずだけど)、そして先日のP先生の記事の「どこまでわがまま聞いてくれる?」「こんな事もやってくれちゃう?」の「内弁慶」のコンボ?いずれにせよ、成長と共に視野が広がって、友達に時間を合わせたくなったためか、スケジュール管理能力も上がりました。歯磨きも、しないと自分が気持ち悪いからと、する様になりました。
昔の私に言いたい。「どうして歯磨き嫌なのか聞いてあげて」「今は自分のしたい事しか見えない子だけど、大人になったら、僕は社会の歯車になれたらそれでいいとか言い出すし、ちゃんとできる。大丈夫だよ」
それにしても、私は普段、もっと優しいお母さんだったはず。よりによって、私が一番子供が嫌だった瞬間が、子供が家を出て成人後にしみじみ思い出す、親子の幸せだった思い出とは。複雑です。
それはそうと、「今ご機嫌なお母さん」大事ですよね。子供がある程度大きくなって、手元にはまだ居ても、ストレートに甘える事はもうない状態は、母親も既に、目立たない形の、空の巣症候群なのかもしれませんね。
親も孝行できるほど近くにいないし、ペットは飼えない。動画を見るなどの消費してしまえば終わりのものも面倒。例えば川柳の応募ならいつでも明るく頭をひねれるし、やってみようかなあ。お題に沿って色々考えれば、モノの見方の幅も広がりそう。自分には誰かに継続的に伝えたい事はない、でも誰かに何かを伝えるための言葉を、自分の中から掘り出すのはやっぱり好き、と最近自覚しました。
「こども」って高校生も含みますか?
ADHDの息子(高1)がいます。
もうそろそろ長期的な視点も持ってほしいと思うんですが、まだ難しい事なんでしょうか…?
“「ちゃんとした料理」「綺麗な部屋」「キラキラした生活」「いつもきれいな母」「世間体」とか、気にしなくていいんじゃないかって思う。
子供、あんまり喜ばないかもしれない。”
ホントにそうだあ~!!
時々見えを張っちゃうゴリ母の胸にも刺さります。
今日もありがとうございます。
“それより、「今ご機嫌なお母さん」の方が嬉しいかも。
結果を出すより、「今気分よく過ごしている姿」を見せる方が大事かもしれないと思った。”
そうなんですよね・・・。
もうちょっと、
笑っていよう、
笑おう私って思いました。
感謝です。