前回、ゲームとTP (Tanoshisa Point)について書いた。
その続き。
ゲームに飽きているハズなのに、一向にやめない。
なんでなの?
飽きているハズなのにゲームをやめない。
その時のゲームっ子の頭の中。
こうです。↓
ゲームに飽きないわけじゃない。
飽きてる。
でも、現実世界のTPがめっっっちゃ低いの。
現実がツライから、TPゼロでもゲームの方が楽しいの。
ゲームのTP0
リアルのTPマイナス50
これはゲームをやめない。
ゲームには飽きてるんだけど、それでも現実世界の方が断然ツライから。
何度も書いているが、僕はゲーム依存そのもが問題なわけではなく、「ゲームに逃げざるを得ないくらいしんどい現実世界」が問題なのだと思っている。
この辺。↓
ゲームは、TPマイナスにはならない。
ゲームは攻撃してこない。
文句を言われたり、否定されることはない。
画面から出てきてぶん殴られたり、「こんなんじゃどこにも通用しないぞこのクソ味噌が!」とか人格否定されることもない。
だから、「楽しくないけど害もない」のが最低の状態。
プラマイゼロだ。
マイナスにはならない。
一方、現実世界のTPは容易にマイナスになる。
人生には波がある。
嫌なことが重なると、「この世界はクソだ」なーんて思ってみたり。
「自分の全てがダメなんだ」とかけちょんけちょんに自己否定してみたり。
寝る前に「明日がこなければいいのに」とか。
誰でも経験あるでしょ?
そんなとき、ゲームは優しい。
ネット、テレビ、漫画、YouTube……おおよそ子供の依存しそうな世界って、おしなべて優しい。
「攻撃してこない」
「マイナスにはならない」
現実世界がしんどいと、それだけで相対的にすごく優しく思える。
それならばとマイナスの現実世界から逃げて、ゲームの世界の住人になる。
至極合理的な判断だ。
↑これよ、これ。
これがゲーム依存の成り立ちだと思う。
加えて昼夜逆転もしちゃってるなら、もう決定的。
夜という誰もいない(人目のない)時間に活動したい。
つまり、現実世界(この場合は特に家族)と接したくない! ということだ。
昼夜逆転は、「家族と顔を合わせないよう生活時間帯をずらし家族との衝突を避ける、子供の優しさ」だからね。
だからゲーム依存って、ゲームに依存しているという『結果』よりも、なぜ依存したかという『原因』が焦点だと思う。
原因が大事。
圧倒的に大事。
目の前にゲーム依存の子がいれば、依存先であるゲームを取り上げたくなる。
気持ちはわかる。
逃げ場を取り上げれば現実を見るんじゃないかって。
でも、リアルのTPがマイナス50のままゲームを取り上げたとしても、別の何かに依存する(逃げる)のがオチだと思う。
別の何かって、例えばテレビとかSNS、買い物、非行、異性、自傷、精神疾患……。
次に逃げる先は何でしょうか。
ゲームって楽しい。
すごく楽しいんだけど、TP100(個人差あり)以上にはならない。
それがゲームの限界だ。
人が作った世界だ。
限界がある。
でも現実世界は、TP1,000にも、10,000にもなる。
マイナスにもなるけど、上も限りがない。
人は人を欲する。
人と接することでしか満たされない気持ちがある。
自分以外の人がいるから、世界は面白い。
これは人間の根源的な欲求だと思う。
だからゲームは、リアルには絶対に勝てない。
リアルの生活が充実してくると、自然とゲームの時間が減る。
大人になるとゲームと距離ができるのは、リアルでクリアすべき課題が増えるからだと思う。
どんなにゲームにのめり込んでいても、頭のどこかで「現実世界」を意識しているのが普通だ。
現実世界の妨げにならなければ、何時間ゲームしようが「ゲーム依存」とは呼ばない。
なんだけど、現実世界が楽しくない子はゲームに逃げて現実と向き合わない。
そりゃそうだ。
向き合いたくないからゲームしてるんだもの。
やるべきことなんて、やるワケがない。
当然、日常生活に支障が出る。
トラブルや問題が起こる。
↓
でも当の本人はゲームの世界の住人になっているので、問題と向き合えない。
↓
向き合わなければ解決策が出るわけがない。
↓
解決されないので、現実世界はもっと生きにくくなる。
↓
TPはマイナス100。
↓
さらにゲームにのめり込む。
これがゲーム依存だと思う。
ゲームにのめりこんじゃうと、現実世界の問題について自分で判断できなくなる。
判断できないから問題が大きくなり、もっとゲームにのめり込む。
実にもったいない。
現実世界のTPはいくらでも下がる。
んだけど、同様にいくらでも上がるのだ。
1万でも10万でも、天井知らずに上げることができる。
その広い世界を見ずに、ゲームの世界に籠っている。
ホント、超もったいないと思う。
現実世界のほうが絶対に楽しい
これ、真理だと思う。
現実世界のほうが絶対に楽しい
そうなんだけど、昨今のゲームではこれを逸脱しちゃう理由がある。
そう。
オンゲ(オンラインゲーム)だ。
次回その話。
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現実の世界ポイントが上るのが大変。暇になっても対人恐怖っぽく現実世界へ踏み出せない。出口が無い。。オンラインは人が相手になるから、居場所ができる。外につながる感覚がある。そこから本当に外に興味持つ場合もある。悩ましい問題です。次回、とても興味あります。
>一方、現実世界のTPは容易にマイナスになる。
↑
これはとても正しい意見だと思います。
世の中には自殺する人がいます。
何故人は自殺するのか?
死ぬ気になればなんだってできる。
↑
この意見は本当に死ぬ気になったことのない幸せ脳な人間の意見にしか過ぎません。
私は天国も地獄も信じていません。
死ねばすべての思考が停止するだけ。
あの世なんてものはない。
そこにあるのは『ゼロ』です。
死とは、すなわちゼロ!
で、本題になりますが何故人は自殺するのか?
それは人生はプラスの面とマイナスの面があるから。
ほとんどの人間はプラス側にいます。
相当しんどくてストレスを抱えていたとしてもギリギリプラスにいたりするものです。
ブラック企業勤めで遊ぶ時間がほとんどなくとも、金を使う暇がない分、好きなキャラのフィギュア収集を趣味とする人がいます。
それはまだプラス側の人間です。
しかし、マイナスの人生は確実にあります。
会社でパワハラを受け人格を否定される。
学校でイジメに遭い人格を否定される。
こういった現象は会社や学校を辞めてしまえば状況を打開できるのですが、その考えすらに至れない状況を鬱と言います。
たとえば知り合いに騙されて人生かけても到底返せない借金を背負わされたり?
毎夜、闇金が自宅のドアを叩きにきたり?
そういった状況もマイナスの人生。
死はゼロ、人生にはプラスもマイナスもある。
プラスの人が自殺しないのはプラスからゼロに向かうベクトルがマイナス方向だから。
しかしマイナスの人にとって死はマイナスからゼロへ、ベクトルがプラス方向になるわけです。
つまり死が救済になる。
以上が、私の考える自殺の概念です。
高校2年の息子が高校1年の3月から完全不登校中。
オンラインゲームに1週間に50時間費やし、この分を勉強にあてれば慶応大学に、はいれるかも?と友人とゲームをやりながら話していました。哀しい。
オンラインだと常に学校から帰宅した友人や夜中の友人(定時制?社会人?大学生?)と朝までオンラインゲームを継続。最近、賞金総額という声もチラホラ聞こえてくる。
課金はしてない!と言ってるので信じてます。
今までは過干渉を親の私と同居の祖母(人格否定までする・お前はうちの子供でないから出ていけ!とかゲームばかりで勉強しないで不良になる!→不良?(不登校?)現実化してしまった)で10年以上もやってきてしまった!
今は、親側がじっと待つしかないのかな?
過干渉やっている親自身がHSPだし、せっかちだし、不安症だし、待ってあげることがしんどい。
もう、家庭内にいるのがつらい。
最近、ごはんをつくるのも面倒で、出来合い弁当ばかり。
かえって子供は喜んで食べてます。
先がみえない!!
この先の人生、ひきこもりになるのかな?
まさに、息子。不登校に年間でゲームにYouTubeに没頭して、最近飽きたようだ。。
その代わりに訪れたのは、暇だ暇だー!!どうしよう!することがない!暇暇攻撃です。
することがないけど、面倒なことはイヤダ。面白くないことはイヤダ。
結局何もできません。唯一、以前やっていたカードゲームを再開して、いそいそとカードショップに通っています。
ゲームの世界に逃げて、現実を見ようとしない…
まんま。
次々といろんなゲームに手を出していることからも、飽きていると推測できます。
不登校ですが、たまに部活には顔を出したりします。
自信があるスポーツなので。
現実と向き合うには、どうしたらよいのか…。
外の世界に目を向けさせるにはどうしたらよいのか…。