いやー。
連休で、やっとコメント読みました。↓
あのねー。
これ、一冊の本になるんじゃね?
ってくらいのボリュームだった。
コメントの一つ一つに、その家庭の物語が透けて見える。
文章になっていない、行間の、裏の葛藤が見て取れるような。
なんて言ったらいいかわからないけど。
ありがとうございます。
ひき肉です! (←使い方、合っているんでしょうか) (そしてもう別に流行っていない気がする)
とりあえず、
不登校ビジネスちょっと待った!
ツボ買うな!
数珠買うな!
パニックで数十万払うなら、相手は僕にして!
ってことですね。
みんな、焦って僕の口座に振り込むといいヨ。
いやー、引きこもり引き出し屋もいいんだけどねー。(実際に使った話も聞くし)(あながち悪いもんじゃない)(むしろ唯一の突破口だったりする)
使い方は慎重に。
適応はよく考えて、ですからね。
焦って依頼するのは、やめた方がいい。
とにかくパニックの親御さんに向けて。
僕的に端的にまとめるなら、こうです。↓
子どもが不登校になったとき。
親御さんにできる行動は、
のどちらかしかない。
情報を集めたり、状況を整理したり、本人の気持ちを推測したりはできるけど。
実際に、子どもに取れる『行動』って、
登校刺激、
だけだ。
中途半端はない。
前々から不登校を予測し子どもの『玉』を見ていた親御さんなら、「いい塩梅で押す」が可能だろうけど。
晴天の霹靂!
親がパニック!
なら、中途半端はダメ。
押すにも押さないにもメリット・デメリットがあるのだけれど。
中途半端は、どちらのメリットも享受できないばかりか、どちらのデメリットも被ることになる。
なので基本、
の二択だ。
情報があろうがなかろうが、選ぶしかない。
納得しようがしまいが、選ぶしかない。
この極端な二択を、親御さんは迫られることになる。
このときに。
押しちゃダメな子は、マジで押しちゃダメ。
ものすごーーーーーくリスクが大きい。
一方、
押さなきゃダメな子は、押し始めるのが数ヶ月遅れたところで、大きな傷にはならない。
↑これですかね。
僕が、「最初の最初」、親御さんに伝えるとしたら。
これを知っておいてほしいと思った。
実際不登校には、押しちゃダメな子と、押さなきゃダメな子が混在する。
体感的には8:2くらいの割合でしょうか。
どっちかわからないのなら。
晴天の霹靂! なら。
とりあえず、押さないのが安牌。
でしょう。
まず休ませて、時間をかけてその子の『玉』を観察する。
観察には時間がかかるヨ。
同時に、不登校の予後とか、別の居場所、今後の進路なんかを検索しつつ、親が落ち着く。
初動はこれが、攻守最強だと思う。
最初は多分、気づかないんだけど。
不登校、親にはスタート、子にはゴール
だ。
不登校の選択をした時、子どもはすでに頑張りきって、限界を迎えている。
でも、親にはここからがスタート。
元気な親が、フルマラソンを走りきった子どもに鞭打つ構図となりやすい。
とりあえず、押さないのが安牌。
↑理屈はわからなくても、納得できなくても、とりあえずこの結論だけ知っておくと良いと思った。
親御さんがパニックになるのはわかる。
不登校の、最初の最初。
フルマラソンのスタート地点。
まだゴールも全く見えず、ペースも掴めず。
焦る気持ちは非常にわかる。
でも、上記の通り、中途半端はよくない。
特に、親御さんの不安で、押したり押さなかったり。
「休んでいいよ」って言ってみたり、でも不安になって「そろそろ学校行かないとヤバいでしょ!」と突っついてみたり。
これ、よくない。
このブレがプラスに働いた例を、僕は見たことがない。
だもんで、
親の不安と子の不安を分ける。
「課題の分離」という。
親御さんの不安は、大人が処理する。
子どもにぶつけない。
不安なのはわかる。
当然だ。
でも、それをぶつけないようにグッと耐える。
配偶者とかにグチりまくってさー。
不登校の最初の最初、親御さんがすべき行動はこれだけだと思う。
この対応で、大外しすることはおそらくない。
そこからゆっくり時間をかけて、個々のケースを考えていく。
この子は一体、どんな『玉』を持つのだろう?
でね。
結構「人による」なーと思ったのは。
って意見と、
って意見の両方があったこと。
逆やん!(笑)
しかも、両者それぞれ複数個、同様の意見があった。
我々も、対応に困る。(笑)
相談される際は、
具体的なアドバイスがほしい
もしくは
とにかく話を聞いて、落ち着かせてほしい
のどちらが希望か表明した方が、望む対応が得られやすいかもしれない。
僕も聞こうと思う。
進路や居場所の情報がほしいという意見も多かった。
正直、自治体や地域によって内容が異なるので、一元化できないところだ。
学校にその情報があるといいんだけど、学校って基本的には「ここに来る前提」の場所だからなー。
前提に反した、しかも少数派(静岡県民の頻度)のためにこの情報をまとめてくれるかというと、ちょっとアレだ。
静岡県民だけじゃなく、「東海地方一派」くらいの頻度になったらやってくれるだろうか。
先日、左利きの苦労を当事者から聞いた。
少数派って、やっぱやりにくい。
左利き用のハサミって少ないし。
駅の改札も自動販売機も右利き用に作られていて。
ラーメン屋では肘が当たり。
医療現場でも、処置の向きが逆になる。
左利きの研修医が、右手でエコーの練習をしていた。
少数派はやりづらい。
情報も機械も道具も制度も少ない。
将来的に今よりは便利に情報収集できるようになっても、基本は不便なままだろう。
この原則は変わらない。
時間をかけて、もがきながら情報を集めるしかないだろうと思う。
結局さ。
発達の問題を受け入れ、工夫とともに生きることが問題であって、不登校はその問題によって現れる症状の一つです。
↑コレなのよ。(コメントでいただいた一文)(もう、まさに「それな!」と思ったので引用させてもらった)
不登校かどうか、復学したかどうかは、たいした問題じゃなくて。
その子のちょっと変わった『玉』。
そこから発生した問題の一つが、不登校ってだけなのだ。
目の前の不登校をどうにかしても(無理やり登校させても)、「普通」に戻るわけじゃない。
その子は、やっぱり変わった『玉』を持つ。
反対に、不登校にならず、一見「普通に」登校を継続してきた子。(現大人含む)
この人が変わった『玉』を持つなら、それは問題だ。
受け入れて、工夫して、どう生きるかを考えるべきで。
「不登校じゃないから全部オッケー」とは、ならなくて。
不登校って、たいした問題じゃない。
これで人生決まるなんて、とんでもない。
本質は、
その子(あなた)はどんな人?
じゃあ、どう生きる?
という問いであって。
変わった『玉』を持つ少数派の人は、生きづらい。
その生きづらさの表現系の一つが、その子の場合は不登校だったってだけだ。
少数派にも道はある。
むしろ、不登校になってよかったとすら思う。
今でよかったじゃん?
子どものうちで。
周囲には一緒に考えてくれる骨拾い係(親とか先生とかカウンセラーとかその他)がいてさ。
失敗しても、子どもだもんでリカバリーが効いて。
そして、子供のうちにこれがわかると、その後はめちゃ強い。
一生の武器だ。
自分がどんな人か、知っている。
すべき工夫を分かっている。
いやマジめちゃ強じゃん。
社会で、その子らしさを発揮してくれるものと信じている。
不登校の予後はよい。
だいたいみんな、社会で自分の居場所を持ち、ステキな個性を発揮している。
だから焦らず、むしろボーナスステージと思ってさ。(実際、誰でも行けるわけじゃないからねー)
ゆっくり、そのステキな『玉』を観察し、誰にもない色を磨いていただければと、僕は思う。
View Comments
素敵です!ファンになっちゃいます!
p先生、コメント100記念として、ぜひとも出版してください!
不登校保護者の何よりもの励みになります!
タイトル募集しちゃいません?