発達障害の診断。
センシティブな話だ。
診断するのか、しないのか。
診断されるのか、されないのか。
曖昧にしておきたいような、ハッキリさせたいような……。
どう考えますか?
先日、発達相談窓口的なところに行った際、こんな話を小耳に挟んだ。
診断されたくないらしい。
この子を「発達障害」にしたくない。
でも、日々の生活で困りごとがある。
だもんで発達相談窓口に来たんだとか。
なるほどなー。
そういう考えもあるよなー。
僕は病院勤務なので、病院に来たくない人に会うことがない。
「行きたくない」とハッキリ聞く機会は皆無と言っていいだろう。
考えてみれば当たり前だけど、「病院はイヤ」って人もいるのだ。
診断や治療といった「医療」をされたくない。
気持ちはわかる。
僕のところに来るのは「病院に行きたいと思った人」のみだ。
ある種バイアスのかかった人たちだと改めて認識されられた。
でね。
一般に、発達障害の診断をされたくない人がたくさんいるのは理解できる。
よく聞く。
「この子は普通だ」って。
そんなにこの子を障害者にしたいのかって。
理解はできる。
でも、個人的には同意はできない。
特性で困っているなら、知っておいた方が良いと僕は思うんだ。
かんしゃくを起こしている子を前に、
なぜこんなにワガママなのか。
親を困らせようと、ワザとやってるんじゃないか。
と考えるより、
先読みができないから、イレギュラーな状況に不安になったんだな。
こりゃ落ち着くまで待つしかないヤツだ。
と知っている方が、解決が早い。
落ち着かない子を前に、
何度言っても走り回るし脚をブラブラするし。
いい加減かわいく思えなくなってきた!
となるより、
これは仕様だ。
止まると死ぬ、サメと同じ。
事故や周囲の迷惑に気をつけ、あとは自由に泳がせよう。
と思った方が、精神衛生上ずっとよい。
特性は、「ある」。
グレーとは、白じゃなくて薄い黒。
実際「ある」のだから、知っておいた方が格段に対処しやすい。
特性を根性論でどやしても、まずうまくいかないもんで。
僕はそう思うんだよねー。
まぁこれは日々発達障害の子たちを見ている僕だから思うことであって。
数の暴力はあるよね。
診断に慣れてるので。
自分の子しか見ていない親御さんや、自分の人生しか見ていない本人は、非常に怖いだろう。
怖い気持ちは理解できる。
だって、現実問題知ってた方が対処しやすいじゃないですか。
感情論は却下します。
怖いとか、それってあなたの感想ですよね?
とか理屈で切り捨てたりはしない。
その上で。
実際の臨床の場では絶対に言わないんだけど、診断を怖がる人って『極端』よなーといつも思っている。
なんで診断されたくないか。
なんで怖いのかって、「健常者」と「障害者」の二項対立で考えているからでしょう。
※もちろん、そうじゃない人もいます。
だから、幼い子どもを「障害者」にカテゴライズしたくない。
「健常者」のはずだ、そうにちがいない。
↑このモデルが違うと、僕は思っていて。
むしろ非常に差別的だと思う。
発達障害を、なんか怖い、得体の知れない病気だと思って差別してるよなーと。
定型発達と発達障害との間に、そんなきれいな壁なんて存在しない。
もっと、カオスなんですよ。
人間ってカオス。
人類みんな偏っている。
程度の差はあれ。
むしろ普通ってナニ?
集団の中で、何か困ることがあった。
困るなら、きっとそこは偏っている。
多数派から外れると困るからね。
人生で一度も困ったことのない人なんて、存在しないだろう。
人類全員なにかしらの特性を持つと、僕は思っていて。
中でも特に困る人に、「発達障害」という名前をつけているに過ぎない。
だから発達障害は「定型発達と対立する別の概念」ではなくて。
定型の延長線上にあるのだ。
困りごとに直面したとき。
現在の医学には「発達障害」という概念があり、それぞれの特徴や傾向が既に分かっている。
じゃあ、利用した方がお得じゃね?
かんしゃくで困るなら、どんな時に起こしやすく、どう対処すれば良いか知れる。
同時にこだわりや感覚過敏もあるかもしれないし。
多動で困るなら、衝動性や不注意もあるかも?
とかさー。
「ざっくりとしたおおまかな傾向」として、知識があった方が対処しやすい。
あるならあるで対処だし、ないならないでいいし。
毎回うろたえるより、予備知識があった方が、断然楽だ。
以上より僕は、発達特性は知っていた方がいいという考え。
はっきり「診断」とするかは別として、どんな傾向があるかは知っておいた方がやりやすい。
いろんな考えがあると思うけどね。
異論は認めるが、僕はこういう考え。
大前提として、
診断があろうがなかろうがその子は変わらない
のですよ。
今まで育ててきたかわいい我が子が、診断を受けた瞬間に「別の何か」に変わることなんてあり得なくて。
変わるとしたら周りであって、その子は何も変わらない。
相変わらず世界で一番かわいい我が子だ。
安心してよい。
その子のままで、そこにいる。
だから、既知の医学情報は大いに活用した方がお得。(診断するしないにかかわらず)(診断せずに特性だけ把握するのも大いにアリ)
診断で、その子は変わらないのだから。
そして発達障害より、特性が理解されないことによる二次障害の方がずっとずっと怖い。
その子が(悪い方に)変わるとしたら、二次障害によるものだろう。
僕はそう思う。
そうは言っても、医者ってなかなか診断してくれねーじゃん。
なーんかごにょごにょしてさ、様子を見ましょうとか言って。
アレってなんなの?
↑について、次回書きます。
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「診断があろうがなかろうがその子は変わらない」
P先生のこれ好きです。
診断されることに怖さを感じていなかったのですが、結果を聞いて息子に診断名がついた日の夜は泣きました。
たくさん泣いて、そのあと考えました。
なんで私は泣いてるんだろうか。
診断ついてショック?お先真っ暗と思ってる?
後ろ指さされながら生きていく人生だとか思った?息子が可哀想?自分が大変だと思った?とか色々理由を考えました。
診断結果を認められない!受け入れられない!って気持ちはないけれど、受け入れられたかはわからず。
でも昨日までと同じで明日からも息子は私の宝物だし、可愛いし、一緒に遊べるし暮らせる、なにも子どもを取り上げられちゃうわけじゃないのだから…なんだこれまでと変わらないじゃん!!
と思えたらなんだかスッキリしたことを思い出しました。
そこから、他の皆さんはどう受け止めているのだろうかと、今後の考え方のヒントを拝借したくネット検索。
どなたかのブログで
"行政の助けを求めるには自閉症って名前の方が理解されやすいこともあるから必要なときだけ診断名使いつつ、自分は診断名にとらわれずに目の前の可愛い子どもを大切にしたらいい"
というのを見つけて、うんうん!そうだよね!と励まされた気分になれました。
そのときP先生のブログにも出会えて、とても救われています。
いつもありがとうございます♪