心理学

パンダとサルとバナナの話 〜個を優先するか、集団を優先するか〜

自分以外の人の感覚はわからない。

思考もわからない。

人の感覚は分からない感覚過敏の話から。 https://hattatsu-kids.com/?p=2552 感覚は人それぞれ 感覚というの...

 

人の考えはわからない

自分以外の人の考えなんて、やっぱりわかりっこない。

そう再認識させられた出来事があったので、ちょっと聞いてください。

 

その日僕は、心理学の本を読んでいた。

そこにこんな心理実験が載っていた。

 

『パンダ』

『サル』

『バナナ』

 

この3つのうち、どの2つが近いですか?

 

この質問を、アメリカ人と東アジア人にしたそうだ。

 

結果:

アメリカ人→『パンダ』と『サル』が多い。

東アジア人→『サル』と『バナナ』が多い。

(Ji et al., 2004)

 

 

この差は、文化的背景の違いからくるのだそうだ。

 

西洋は「そのものを分析的に見る文化」。

個が優先される文化だ。

例えば自己紹介のときに、「自分はピザが好きです」とか「こんな仕事ができます」とか、自分の特徴を表現する。

 

対してアジア圏は、「関係性を重視する文化」。

互いに協力することを重視する。

自己紹介では「〇〇商事の田中です」「〇〇大学出身です」といったふうに、周囲との関係の中の自分という捉え方をする。

 

 

へー。

そうなんだ。

 

ん? ちょっと待てよ?

質問の答え、どう考えてもパンダとサルじゃん

迷う余地ないじゃん。

サルとバナナとか、捕食ー被食関係で、そもそもの次元が違うじゃん。

なんでそんなひねった考え方するのさ。

 

シンプルに動物!

パンダとサル!

ファイナルアンサー!

 

と、僕は思ったわけです。

みんなそうでしょ?」と。

 

で。

その辺にいる人(病院スタッフ)を捕まえて、聞いて回ったわけです。

この質問に答えてくださいと。

みんなパンダとサルだよね? この本間違ってるよね? と心の中で思いながら。

 

 

結果。

『サルとバナナ』の圧勝

 

実験は正しかった。

「パンダとサルでしょフツー」というのは、完全に僕の思い込みだったわけです。

 

そして興味深いことに、サルとバナナと答えた人にそれはなぜ? と尋ねたら、

「え? だってサルとバナナはセットでしょう?」というリアクション。

「むしろなぜパンダとサル? あ、動物ね。その発想はなかったわー。」

ってな感じで。

僕が当たり前にパンダとサルと思ったのと同様、当たり前にサルとバナナと思ったわけだ。

 

いやはや。

そうですよね。

意見や思考も、完全に人それぞれですよね。

何をどう考えるかなんて、その人次第。

頭では理解していたつもりでも、こういった場面に出会すと再認識させられる。

人が何を考えているかなんて、わかりっこないよね、と。

 

パンダさんとバナナさん

ところで。

この実験、あなたはどちらのタイプでしたか?

 

この心理実験は、文化による考え方の違いを示している。

もちろん欧米人はみんなパンダとサル、東洋人はみんなサルとバナナってわけじゃなくて、一定数入り混じっていると思うけど。

そしてもちろん、どちらがいいとか優れているとかいった話ではないことはご理解いただけると思う。

 

パンダさんの特徴

僕のようなパンダとサル派の人。

通称パンダさん。(ダサッ) (今勝手に決めた)

 

パンダさんは、『個人』に注目する。

自分は何ができるのか、何がしたいのか、前提となる状況はどうなっているのか。

分析的に考える。

そして、自分が幸せなら幸せ。

 

この考え方は、有事に強いと思う。

例えば不登校。

不登校になりました、「じゃあ自分はどうしたい?」と分析する。

 

どこで勉強するかより、何を勉強するかを重視する。

どこにも所属せず家で勉強すればよくね? で納得できる。

どこかに所属するにしても、何を求め、どう自分の得になるかを考える。

 

『自分は』という個を重視する思考なので、シンプルだ。

シンプルはイレギュラーに強い。

その分アスペ的だったりもすると思うんだけど。

 

バナナさんの特徴

対して、サルとバナナ派。

通称バナナさん。(今勝手に決めた) (やっぱりダサい)

 

この人たちは、関係性に注目する。

「その集団の中で関係性を築いていること」に価値がある。

 

背景をよく見て、深く考えることができる。

文脈を読むし、空気もよく読む。

互いに協力し、助け合う。

そうやって集団に属し、受け入れられることで幸せと安心を感じるタイプだ。

その分予想通りにいかなかったとき、「じゃああなたはどうしたい?」が弱いので指針がぶれやすい。

 

日本人に多いタイプ

で。

僕はパンダ派なんだけど、日本人はバナナさんが多数派だ。

 

でさ。

ちょっと考えたんだよ。

 

不登校の相談を受けた際、僕は

学校なんてやめちまえ!

的なことを言うわけ。(言い方は柔らかくするけど)

 

これは100%善意で。

本気で思ってる。

「心を病んだり自尊心を下げるくらいなら、学校なんて行かない方がマシ」って。

「それよりあなた個人の幸せを追求した方がいいよ」って。

 

でもさ。

それって僕がパンダ派だからじゃね?

パンダだから、「集団より個を優先しよう」って当たり前に思う。

 

でね。

相談してきている子どもやその親御さんは、バナナ派が多いんじゃね?

 

だって日本人の多数派はバナナさん。

「学校なんてやめちまえ」とか言われたら、「はぁ⁉︎」ってなるんじゃ?

 

バナナさんは所属する集団に価値を見出す。

学校という集団から外れてしまったら、もう自分(この子)には価値がない! くらいに思っているのでは。

 

バナナチームは孤立が怖い。

なのに「孤立が怖いんです」と相談したら、「無人島に行け!」ってアドバイスされたようなもの。

 

バナナさん
バナナさん
……ん?

そーゆーことじゃなくない?

ってならない?

 

すみませんでした!

ってことで。

 

学校なんてやめちまえとか言って、すみませんでした!

 

バナナさんの気持ち、全然分かってなかったわ。

ホント、すみませんでした。

 

そして僕も含め、この分野(不登校とか発達障害とか困った子とか)の相談に乗る職業の人間って、パンダが多いのではないかと思う。

 

医者でも、この分野って圧倒的に向き不向きがある。

向かない人は本当に向かない。

なぜって、しんどくなっちゃうから。

なぜしんどくなるのかというと、感情移入しちゃうから。

相談者と関係性を作ろうとすると、しんどくなる。

 

必然的にドライなパンダさんのスタッフが増える。

パンダ派はきっと「他人事」と割り切ってるからね。(僕も含め) (僕はめっちゃ他人事だと思ってますよ、えぇ)

 

 

だから、これを読んでいる方がしかるべき場所で職業的にやっている人に相談した場合、相手はパンダさんの可能性が高いわけで。

知人とか親戚はその限りじゃないと思うけど、仕事にしている人は多分……。

そしたら、「学校なんて行かなくていいですよ(ニッコリ)」とか言われちゃって、ん? ってなることが予想される。

 

パンダ代表として謝っておく。

本当にすいませんでした!

 

悪気はないんですよ、ホント。

 

次回予告:バナナさんの生存戦略

集団を重んじるバナナさんが、そこにうまく所属できなかったとき。

めっちゃ不安だと思う。

どう考えて、どう乗り越えていったら?

 

長くなったので次回書きます。

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