発達障害

【ASD】「わからない」詳細

発達障害の子、発達でこぼこの子に何か聞いた時、「わからない」の一言で終了することがある。

 

母
どうしてそうなったの?

 

男の子
男の子
わからない。

 

 

 

母
何がしたかった?

 

男の子
男の子
わからない。

 

 

 

母
今日は楽しかった?

 

男の子
男の子
わからない。

 

 

 

先生
先生
自己紹介してください。

 

男の子
男の子
わからない。

 

 

 

果ては、

 

母
今日何食べたい?

 

男の子
男の子
わからない。

 

 

いや、それくらいは分かろうよ……。

 

色々「わからない」ASD

ASDやADHDの子に意見を求めると、「わからない」の一言でぶった斬られることがある。

そこで話が終了する。

 

わからないのか……。

本人にわからなきゃ、もうどうしようもないよ……。

 

会話終了。

困る。

非常に困る。

 

 

トラブルの経緯や原因を聞いても、「わからない」。

指示をきかないので、譲歩してじゃあ本人がどうしたいか聞くと「わからない」。

自分の考え、趣味嗜好なんかも「わからない」。(自分が行方不明)

感想文とか壊滅的で、「楽しかったです。おわり。」

 

 

中でも、今回はASDの話。

ASDでこの問題にぶち当たることはよくあって。

 

受診で、名前、年齢、学校名とか、定型的なものは答えられる。

でも、

  • 今日はどうやって来たの?(移動手段)
  • 家族は誰がいますか?(家族構成)

なんかになると怪しくて。

 

  • 学校どう?
  • 困っていることはありますか?
  • 薬を飲んでみて、効果はどう?

みたいな質問になると、もうお手上げ。

 

「わからない」

 

この一言で終了することがままある。

 

「わからない」詳細

これじゃ、本人がどう感じ、どんなふうに困っているのか、てんでわからない。

対応に苦慮するんだけど。

 

このメカニズムね。

僕、思うんだ。

もちろん、本人がちゃんと表現できないんだから、このモデルが合っているかは不明。

僕はこう思うって話ね。

 

こう↓ なんだと思う。(個人の見解です)

 

ASDは、ウォーリーなんだと思う。

つまり、情報量が多すぎるのだと。

 

ウォーリー(対象物)以外にも、周辺情報が

  1. 同列に
  2. たくさん

見えているんだと思う。

だから対象物が探しづらく、見えにくくなっちゃう。

 

こんな子がいました。

先日、ASDの子の受診で、こんな話を聞いた。

 

状況設定問題だ。

AさんがBさんに、「綺麗な手袋ですね」と言った。

しかしBさんの手袋は、明らかに汚い。

いわゆる『皮肉』ってヤツだ。

皮肉の状況設定問題なんだけど。

 

この状況で、Aさんの気持ちをASDの子に説明させた。

どんな気持ちでこれを言った?

すると、そう、答えは「わからない」だった。

 

ふむふむ。

ASDは一般に、比喩や皮肉がわからないって言うからなぁ。

 

そうなんだけどさ。

もう少し突っ込んで聞いてみて、なるほどと思った。

どうやらこの子は、ただ単純に「皮肉がわからない」「文字通りに受け取った」ってわけではなさそうだった。

 

女の子
女の子
日本語に『皮肉』ってものがあるのも、このシチュエーションでその可能性があることも理解してる。

でも、Aさんは本気で「綺麗な手袋」だと思った可能性もあるじゃん。

感じ方は、人それぞれでしょ?

汚い手袋でもAさんはきれいと感じたなら、その場合は『皮肉』じゃないわけで。

 

だから、これだけの情報では判断できない、決められない。

「わからない」。

これが答えになる。

 

とのことだった。

賢い子なのよ。

 

僕はうなってしまった。

 

なるほどなぁ。

言ってること、まさにその通りだ。

 

自分の主観で汚い手袋でも、他の人には汚くないかもしれない。

勝手に決めつけてはいけない。

 

目からウロコが落ちた。

その通りだよなぁ。

僕たちはASDの子に「人の気持ちを考えましょう」とか偉そうに説教するけどサ。

逆、かもしれない。

僕の方こそ、人の気持ちを勝手に決めつけちゃいけないんじゃないか。

そう思った。

 

情報の制限

この設問で、社会一般的な答えは『皮肉』だ。

もちろんそれで合っている。

ただこの答えを導き出すためには、勝手に情報を制限する必要があると思うんだよ。

 

物事をフラットに眺めたら、無数の可能性が出て来てしまい、答えが出ない。

多くの人は無意識に、これを↓

 

こうしているのではないか↓

 

上の設問の場合、

Aさんは汚いものに対する感覚が自分(や一般的な感覚)とズレている可能性

を、無意識に除外する。

 

情報を絞って単純化するのが、『定型発達』で。

情報過多のまま生きているのが、『ASD』なのではないか。

僕にはそう思える。

 

それゆえASDは、「わからない」「決められない」「どっちでもいい」みたいな、一見投げやりな返答をする。

でもその実、情報が多すぎるゆえに決められず、そう答えるしかなくなっている可能性があるなぁと。

 

考えてないんじゃない。

考えすぎ、検討のしすぎで、答えが出ない。

ってことなんじゃないかなぁぁぁぁぁ。

 

 

だからこそ、ASDはクリアに理解できる内容には強い興味を示したりする。

道路標識とか数字とかさ。

正解がクリアな、「ズバリこうです!」じゃん?

そういうのは好き。

 

クリアカットに答えが出るものや、興味のある特定の分野が好き。

推し活とかさ。

ポケモンの名前を全部覚えていたり。

覚えれば良いもの、理解できる分野には、めっぽう強い。

これがASDの視界なんじゃないかなーと。

 

まとめ

ASDは、

情報をそのまま認識する傾向にある

のでは、と思う。

 

対して定型発達は、

情報を絞って単純化して捉える

のではないか。

 

大人になると、さらに情報は単純化される。

だもんで、定型発達の方が社会的なルール合致しやすいと思う。

 

 

この2者の考え方、どちらが合っているとか間違っているとかではない。

毎度言うけど。

特性や特徴は、何が良いとか悪いではなくて。

それぞれ良い面と悪い面、両方が存在する。

 

どちらも間違いじゃないけど、ASDの視点の方が生きづらい。

それは事実だ。

 

 

ASDの子は、質問に対し「わからない」になることが多い。

ちゃんと考えてるんだけど。

何がわからないか、自分でもわからない。

「自分が行方不明」だ。

 

周囲の大人が、

  • もしかして、情報が多すぎるんじゃないか。
  • 考えすぎているんじゃないか。

という目で見ると、「わからない」が「ちょっとわかる」に進化するかもしれない。

聞いてみると、「なるほど!」になるかもしれない。

丁寧に、一緒に言語化していくのが良いのだろう。

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