前回の続き。
逃げて逃げて、適当に決めた選択科目。
その後なにがどうなって、医学部受験という大胆な方向転換に至ったのか。
大どんでん返し
一旦は決まった選択科目だった。
が。
1ヶ月後、運命のいたずらが起こる。
政治経済の講座が中止となったのだ。
なんでも受講希望者があと1名足りず、2講座開かれるはずが、1講座のみになったらしい。
選択し直すようにと連絡がきた。
マジ偶然。
でもこの偶然が、僕の人生を大きく変えることとなる。
残る政治経済は、生物と同日同時刻の開催だ。
つまり裏表。
どちらか一方しか受講できない。
生物か政治経済、どちらか一方の受講をやめ、そのぶん新たに別の科目を新たに選ぶ必要がある。
そうしないと単位が足りず、卒業できないのだ。
偶然も偶然、マジ偶然。
生物と政経いう意志の見えない選択をしたのも偶然なら、選び直しをさせられたのも超偶然。
こんな超絶偶然の上に、僕は再考を強いられた。
ちなみに1学年200名のうち、再考させられたのはたったの4人。
受験科目の兼ね合いで選び直しを希望する生徒は、僕の周りにも沢山いた。
でも、全て却下された。
生徒希望では変えられない。
あくまで学校側の都合でのみ再選択権が与えられる。
みんなはうらやましがっていたが、僕としてはたまったもんじゃなかった。
さて困った。
本気で困った。
前回の選択は、文系理系どっちつかずだった。
「どちらも選びたくない」という下心は、正直働いていた。
でも、選び直すなら決めざるを得ない。
文系か、理系か。
政治経済か、生物か。
この時初めて、僕は『自分』と向き合った。
自分は何が得意で、どうしたいのか。
今まで逃げてきたこの問いと、向き合わざるを得なくなったのだ。
この超偶然がなければ、僕は自分と向き合うなどしなかった自信がある。
選択から逃げて、人生から逃げて、フリーターしてた。
※もちろん目的があってフリーターしてる人もたくさんいます。フリーターが悪いわけじゃないです。僕の場合は「逃げ」のフリーターだったってだけ。
文系? 理系?
さてさて。
逃げに逃げてきた「自分と向き合う」という作業。
いよいよ取り掛からざるを得なくなったわけですが。
自分は文系か理系か。
困った。
でも、選ばざるを得ない。
逃げて逃げて、もうこれ以上逃げ場がない。
とりあえず考えてみる。
僕の得意科目はなんだっけ?
そう、国語(現代文に限る)と理科だ。
で、苦手なのが数学と英語。
※これもよく分からんラインナップでしょ?
さて、じゃあ文系理系どっちか。
わからん……。
ここでも偶然が働く。
当時、国語の担当教師と相性が悪かったのだ。
いや、嫌われてたとかじゃなくて。(嫌われてたのは担任の美術教師だけ)(いくら僕でもそこまでみんなからは嫌われてない)(いや、嫌われてたのかも)(もう疑心暗鬼)
長文読解における見解の相違ね。
テストで自信満々で書いた答えに、バツがつけられる。
で、模範解答を見ても納得がいかないのだ。
なんでだよ!
僕の答えの方が明らかに適切じゃん!
それまで5段階中5以外の成績をとったことのない国語が、3になった。(本気でめちゃくちゃ得意だったのよ)(ノー勉で無双してた)(やめて! 石を投げないで!)
それも、納得いかない理由で。
あぁ、文系ってこういうとこあるよなぁ。
正解のない分野だものな。
その点理系科目なら、バツなら絶対に自分が間違っている。
そっちの方が分かりやすくて良いな。
で、理系に決めた。
そんな理由で?
でも、理系を選んだ理由は正直ココだ。
スッキリキッパリ納得したかった。
国語の先生が別の人だったら、文系を選んでいた可能性は十分にある。
この先生じゃなければ不満は持たなかったはずで。
ちなみに1学年6クラス中、この先生が担当だったのは僕のクラスだけ。
他のクラスは、僕の考えと相違ない先生だった。
マジ偶然。
最終的に何を選ぶ?
じゃあ、理系で。
それは決まった。
そしたら、政治経済は諦めよう。(聞きたかったのに……。)
で、代わりに何を受講するか考えないといけない。
実はこの少し前に、親から言われたのだ。
とりあえず大学へは行きなさい、と。
高2の冬時点で、大学受験について一切の話をしていなかった家庭だ。
それが、あるとき急に受験するよう言われた。
家庭環境は察してほしい。
特にやりたいこともないので(あと家が貧乏なので)フリーターと考えていたが、親が大学に行けと言うのなら、断る理由も特にない。
卒業してからフリーターになってもいいし。
金は親が出すと言っている。
じゃあ、理系学部の受験となる。
ここまでくると、もうあとはトントン拍子に決まった。
ここまで絞れば消去法で決まる。
消去法が火を吹いた。
理系の中の、どの分野?
まず、工学、理学、農学。
この辺、正直よく分からねぇ。
どんな勉強をして、どんな仕事に就くのか。
想像もつかない。
分からないものをそのままスルーするのは、ASD特性だろうか。
特に調べることもなく選択肢から消えた。
消去法やね。
理系なら、医療系だろう。
だってこれが一番身近でわかりやすい。
うん、医療系の学部にしよう。
じゃあ、医療系の中の何学科?
歯学や獣医は興味がなかった。
やるなら、人間の身体相手が良い。
看護はムリだ。
白衣の天使とか、僕から最も遠い言葉である自覚がある。
女性の中で働ける気もしないし。
そうなると、医学か薬学か。
どちらかというと興味の対象は医学だが、本当にできるのか?
マジで、自分みたいなモンが医学部?
ここでも偶然が働く。
何度も書いている通り、僕はマンガが大好きで。
この時たまたま読んでいたマンガが、何を隠そう『ブラックジャック』だったんですよ。
そう、かの有名な。
いやー。
マジでこれもたまたま。
ブックオフで安く売ってて。
もちろんブラックジャックになれるとは思っていない。
外科医を目指すわけでもない。
でも、医師という仕事はかっこいいと思った。
マンガが背中を押す一因となった感は否めない。
あまりにベタだけど。
腹をくくった。
医学部、目指してみよう。
親兄弟にも、親戚を見渡しても、医者どころか医療関係者すらいない。
もともと勉強ができるわけでも、親が金持ちなわけでもない。
そんな自分が、医学部へ。
自分みたいなもんが?
いや、自分みたいな何も持たない者だからこそ、できることがあるんじゃないか。
そう思った。
選択用紙に上記バリバリなチョイスを記入し、提出したのだった。
あとはもう、進むだけだーーーーー。
以上が僕の物語。
マジ偶然。
今思い返してもたまたまでしかない。
もう一度高校時代を繰り返したら、今度は違った選択になる可能性が98%だ。
コメントをいただいた女子大生さんの言葉を借りるなら、僕にとっての「憧れ」はブラックジャック先生だろうか。
当時たまたまブラックジャックを読んでたけど、笑ゥせぇるすまんだったらセールスマン、アカギだったら雀士、東京リベンジャーズだったら不良を目指していたのだろうか。
そう考えると手塚治虫先生は偉大だ。
ね。
参考にならないでしょう?
道枝くんのジャニーズ入所理由を調べた方がよっぽど良かったんじゃないでしょうか。
勉強に対する不安
ちなみに勉強に対する不安だが、あまりなかった。
それまで僕は、全く勉強してこなかった。
そうは言っても少しくらいやってたと思うじゃん?
マジでやってない。
ガチで全く勉強してこなかった。
模試の偏差値は30台。マジで。 ※現代文と理科を除く。これはノー勉でできた。やめて、石は投げないで!
やってないからこそ、不安がなかったのだ。
やればできるでしょ、と。
経験がないゆえに、ハードルの高さが見えていなかった。
なんか、変な自信があった。
「自分は勉強はできるだろう」と。
今思うと、親に「勉強しなさい」と言われてこなかったのが大きい。
僕の親は僕に興味がない。
ゆえに、勉強しろとか成績がどうだとか、干渉された経験が一切ない。
褒められた経験もないが、けなされた経験もない。
これがプラスに働いた。
強要された経験がないので、勉強に対する嫌悪感や拒否感を持ってなかったのだ。
勉強って、わかると楽しいよね!
そんな楽観的な印象しかなかった。
これが良かった。
無謀な挑戦に、無謀さに気づかず突っ込んでいけた。
これもまぁたまたまだ。
ネグレクトがたまたまプラスに働いただけ。
腐ったりグレててもなんの不思議もない。
僕の物語
そんな感じで、偶然でしかない僕の物語。
決めたくなかったけど、
↓
決めざるを得ない状況に偶然追い込まれ、
↓
消去法で決め、
↓
腹を括った。
そんな話。
そこにはなんの必然性もない。
たまたまこの環境で、たまたま僕の性格と特性で、超絶たまたまの偶然が重なってこうなった。
それだけ。
だからここから導かれるアドバイスとか、特にない。
あまりに何もない。
実際、当時の僕に何か言葉をかけるなら? と考えてみたが。
何もねぇ。
何を言っても「うるせぇ放っといてくれ」しか言わない気がする。
お説教もお小言も、腹を割った語らいでさえも、当時の僕には届かなかっただろう。
持って生まれた特性に加え、それまでの家庭環境や生育歴で、長い時間をかけてこうなっているわけで。
捻じ切れた自尊心とこじらせた自意識。
付け焼き刃で何か働きかけようとしても、ムリな気しかしない。
何の学びもない長い話を読ませて申し訳なかったが、僕に仔細な心の動きが正確にわかるのは、僕自身のことだけだから。
一応書いてみた。
一つだけ言うとしたら、「やらざるを得ない」という必要性は、ASDタイプを動かすのかもしれない。
外来でも「必要があれば動く」というASDの子は結構いる。
引きこもりでも、床屋は行かないけど歯医者は行った(痛いので)、とか聞くし。
でもその必要性、「やらざるを得ない」に追い込むのって難しいよね。
どうやって声をかけるかは難しいよねーという結論。
小さい頃から時間をかけて、話し合える環境とか、自分を客観視する練習とか、提供できるといいんだろうけど。
まぁ難しいわな。
そんな感じで、僕の進路選択物語。
ホントに需要あった?
非常に疑わしい上に、自分語り恥ずかしい!
ので、この辺で終わります。