自分以外の人の感覚はわからない。
思考もわからない。
人の考えはわからない
自分以外の人の考えなんて、やっぱりわかりっこない。
そう再認識させられた出来事があったので、ちょっと聞いてください。
その日僕は、心理学の本を読んでいた。
そこにこんな心理実験が載っていた。
『パンダ』
『サル』
『バナナ』
この3つのうち、どの2つが近いですか?
この質問を、アメリカ人と東アジア人にしたそうだ。
結果:
アメリカ人→『パンダ』と『サル』が多い。
東アジア人→『サル』と『バナナ』が多い。
(Ji et al., 2004)
この差は、文化的背景の違いからくるのだそうだ。
西洋は「そのものを分析的に見る文化」。
個が優先される文化だ。
例えば自己紹介のときに、「自分はピザが好きです」とか「こんな仕事ができます」とか、自分の特徴を表現する。
対してアジア圏は、「関係性を重視する文化」。
互いに協力することを重視する。
自己紹介では「〇〇商事の田中です」「〇〇大学出身です」といったふうに、周囲との関係の中の自分という捉え方をする。
へー。
そうなんだ。
ん? ちょっと待てよ?
質問の答え、どう考えてもパンダとサルじゃん。
迷う余地ないじゃん。
サルとバナナとか、捕食ー被食関係で、そもそもの次元が違うじゃん。
なんでそんなひねった考え方するのさ。
シンプルに動物!
パンダとサル!
ファイナルアンサー!
と、僕は思ったわけです。
「みんなそうでしょ?」と。
で。
その辺にいる人(病院スタッフ)を捕まえて、聞いて回ったわけです。
この質問に答えてくださいと。
みんなパンダとサルだよね? この本間違ってるよね? と心の中で思いながら。
結果。
『サルとバナナ』の圧勝。
実験は正しかった。
「パンダとサルでしょフツー」というのは、完全に僕の思い込みだったわけです。
そして興味深いことに、サルとバナナと答えた人にそれはなぜ? と尋ねたら、
「え? だってサルとバナナはセットでしょう?」というリアクション。
「むしろなぜパンダとサル? あ、動物ね。その発想はなかったわー。」
ってな感じで。
僕が当たり前にパンダとサルと思ったのと同様、当たり前にサルとバナナと思ったわけだ。
いやはや。
そうですよね。
意見や思考も、完全に人それぞれですよね。
何をどう考えるかなんて、その人次第。
頭では理解していたつもりでも、こういった場面に出会すと再認識させられる。
人が何を考えているかなんて、わかりっこないよね、と。
パンダさんとバナナさん
ところで。
この実験、あなたはどちらのタイプでしたか?
この心理実験は、文化による考え方の違いを示している。
もちろん欧米人はみんなパンダとサル、東洋人はみんなサルとバナナってわけじゃなくて、一定数入り混じっていると思うけど。
そしてもちろん、どちらがいいとか優れているとかいった話ではないことはご理解いただけると思う。
パンダさんの特徴
僕のようなパンダとサル派の人。
通称パンダさん。(ダサッ) (今勝手に決めた)
パンダさんは、『個人』に注目する。
自分は何ができるのか、何がしたいのか、前提となる状況はどうなっているのか。
分析的に考える。
そして、自分が幸せなら幸せ。
この考え方は、有事に強いと思う。
例えば不登校。
不登校になりました、「じゃあ自分はどうしたい?」と分析する。
どこで勉強するかより、何を勉強するかを重視する。
どこにも所属せず家で勉強すればよくね? で納得できる。
どこかに所属するにしても、何を求め、どう自分の得になるかを考える。
『自分は』という個を重視する思考なので、シンプルだ。
シンプルはイレギュラーに強い。
その分アスペ的だったりもすると思うんだけど。
バナナさんの特徴
対して、サルとバナナ派。
通称バナナさん。(今勝手に決めた) (やっぱりダサい)
この人たちは、関係性に注目する。
「その集団の中で関係性を築いていること」に価値がある。
背景をよく見て、深く考えることができる。
文脈を読むし、空気もよく読む。
互いに協力し、助け合う。
そうやって集団に属し、受け入れられることで幸せと安心を感じるタイプだ。
その分予想通りにいかなかったとき、「じゃああなたはどうしたい?」が弱いので指針がぶれやすい。
日本人に多いタイプ
で。
僕はパンダ派なんだけど、日本人はバナナさんが多数派だ。
でさ。
ちょっと考えたんだよ。
不登校の相談を受けた際、僕は
「学校なんてやめちまえ!」
的なことを言うわけ。(言い方は柔らかくするけど)
これは100%善意で。
本気で思ってる。
「心を病んだり自尊心を下げるくらいなら、学校なんて行かない方がマシ」って。
「それよりあなた個人の幸せを追求した方がいいよ」って。
でもさ。
それって僕がパンダ派だからじゃね?
パンダだから、「集団より個を優先しよう」って当たり前に思う。
でね。
相談してきている子どもやその親御さんは、バナナ派が多いんじゃね?
だって日本人の多数派はバナナさん。
「学校なんてやめちまえ」とか言われたら、「はぁ⁉︎」ってなるんじゃ?
バナナさんは所属する集団に価値を見出す。
学校という集団から外れてしまったら、もう自分(この子)には価値がない! くらいに思っているのでは。
バナナチームは孤立が怖い。
なのに「孤立が怖いんです」と相談したら、「無人島に行け!」ってアドバイスされたようなもの。
そーゆーことじゃなくない?
ってならない?
すみませんでした!
ってことで。
学校なんてやめちまえとか言って、すみませんでした!
バナナさんの気持ち、全然分かってなかったわ。
ホント、すみませんでした。
そして僕も含め、この分野(不登校とか発達障害とか困った子とか)の相談に乗る職業の人間って、パンダが多いのではないかと思う。
医者でも、この分野って圧倒的に向き不向きがある。
向かない人は本当に向かない。
なぜって、しんどくなっちゃうから。
なぜしんどくなるのかというと、感情移入しちゃうから。
相談者と関係性を作ろうとすると、しんどくなる。
必然的にドライなパンダさんのスタッフが増える。
パンダ派はきっと「他人事」と割り切ってるからね。(僕も含め) (僕はめっちゃ他人事だと思ってますよ、えぇ)
だから、これを読んでいる方がしかるべき場所で職業的にやっている人に相談した場合、相手はパンダさんの可能性が高いわけで。
知人とか親戚はその限りじゃないと思うけど、仕事にしている人は多分……。
そしたら、「学校なんて行かなくていいですよ(ニッコリ)」とか言われちゃって、ん? ってなることが予想される。
パンダ代表として謝っておく。
本当にすいませんでした!
悪気はないんですよ、ホント。
次回予告:バナナさんの生存戦略
集団を重んじるバナナさんが、そこにうまく所属できなかったとき。
めっちゃ不安だと思う。
どう考えて、どう乗り越えていったら?
長くなったので次回書きます。
個人的には他人に興味が無い人間です。でもサルバナナでしたね。
なんでって…生物学的にはサルの餌がバナナだから。それが関係かと云われたら趣旨が違うのではと思いましたが。生物としての括りが個と単純化され過ぎの気がします…
サル嫌いなので此方に辿り着いたのですが
何とも変わった命題に辿り着いた訳で驚きです。
P先生、いつもありがとうございます。
パンダサルバナナ、面白いなあと思いまして、ママ友4人に聞いたら、サルバナナが誰もいない、、、。ホントに日本人ってサルバナナが多数なの?と疑問になり、いろんな人に聞いてみまして、21人の結果をご報告します。
サルバナナが9人、サルパンダが8人、パンダバナナが4人でした。
年代別に見ると、保育園児から高校生までの7人中5人がサルバナナ。18才から50代までの14人中7人がサルパンダ、4人がサルバナナ、3人がパンダバナナでした。
学校に所属している低年齢ほどサルバナナの傾向が強いのでしょうかね。機会あれば、もっと大人数を対象に、年代別に調べてみたいものです。
そして、我が家の高一不登校息子はサルバナナ。家族4人は全員バラバラでした。家族で同じ景色を見ていると思っていましたが、きっと少しずつ違う景色を見ているんでせうね。
息子が不登校になる前はバナナ派だったと思います。
不登校になり始めた時のお医者様がまさに「もう学校行かなくていいよ」の先生でこう言ってくれる人が周りにいなかったから風穴が空いたと言うか、迷いが吹き飛びました。
その時にはもうパンダ派でしたね。
p先生の言葉に救われてる親も多いと思います。
パンダでしたが、不登校はこたえました。
所属がなくなるってとても不安で寂しくなります。
自分の事では思わなかったかもしれないけど、我が子の所属がと思うと、この不安は何なんだろう??
何の迷いもなくパンダさんでした。
うちは不登校ですが、正直学校は無理してまで行くところではないと思っています。
以前通院していた病院でそのことを伝えたら先生に学校は行くべきだ、そういう世の中だとめちゃくちゃ怒られました。私が笑
怒られている私の横で子供も固まっていたので、学校なんて行かなくていいと言ってくれる先生の方が子供はひとまず安心するんじゃないかなって思います。
私はぱっと見、最初直感で「パンダとサル」だと思ったのですが、待てよこれはきっと何かの引っ掛け問題、私は試されている!(そもそもクイズではない気もするw) パンダ・サル・バナナ 他に共通点は!?と 1分ぐらい思案、バナナを食うのはサル 、童謡でもバナナとサル、と幼稚園まで思考を遡って、これが正解だ! と答えを確定した後記事を読みまして、元々パンダ派の私は半世紀ほどの人生で訓練を積んだ結果、バナナ派に擬態してるんだなと悟りました。環境的バナナ派とでもいいますかね。
日本人の大多数はバナナ派みたいですが、その内半数ぐらいは環境的バナナ派、擬態バナナ派で本質はパンダ派が混ざってる気がします。
うわ~、面白い質問ですね。
私は動物同士だからパンダとサルかな?いやいやサルの好物はバナナだからバナナかな?と考えてどっちもアリじゃん!と結論がでないタイプでした。ちなみに、発達グレーで登校しぶりの我が子はサルとバナナでした。
ブログを読んだときはパンダさんだと思いました。ただ、言葉を発してみたらバナナさんかも…とも思いました。
パンダとバナナと考える人もいるのかな?と思っていたらコメントに文字数でこの組み合わせという人もいるみたいで納得しました。
えー、もう完全にパンダさんでした!一瞬も疑いませんでした・・・。
今回、本当に人の考えってわからないものだ、と人生で初めて位実感しました。ありがとうございました。
とても興味深い内容ですね。
西洋圏で生まれ育っている家族にも聞いてみました。
結果、夫と健常っ子がパンダ派、私とADHDっ子がバナナ派でした。
この国でしんどさを感じている二人が揃ってバナナ派なことになんだか納得。。
なんだかバナナさんって、パンダさん達に囲まれて暮らすのも孤独を感じて辛いけど、バナナさん達の中にいてもその集団と合わなければこれまたしんどくて、ちょっと損な性格ですよね。
少なくとも私は日本でもしんどかったので、今パンダさんが多数派と思われる国で暮らしていますが、なんだか分かり合えない孤独感はあるものの、バナナ集団特有のしがらみみたいなものからは解放されているという気楽さも感じています。
次回のバナナ派達の生存戦略も楽しみにしています!
完全にパンダ派です。質問の仕方が少し代わればバナナになるかもですが・・・
先日、五月雨登校の息子のことで学校に面談に行ったのですが
担任「授業中に出来なかった課題が終わっていなくても、息子は特別に放課に残りをさせずに遊びに行かせています。」
校長「授業中にちゃんと取り組んでいるなら、放課に残りをやらなくても問題ない。」
この話を教育相談のカウンセラーさんにしたら
担任=日本的思考、校長=西洋的思考
だそうです。
日本はやるべきことが残っているなら放課に続きをさせようとするけれど、西洋?欧米?ではチャイムが鳴ったら終了。続きはしないそうです。
学校で面談した翌日、息子は他害(姉)行為して入院しちゃったので今年度もう学校には行かないですけど(汗)
パンダとバナナ→息子、旦那、ワタシ
3文字括りだから
さるとバナナ→娘
現在不登校中の4月から中2の娘は日本人思考だったのかとちょっとビックリしたワタシ。娘以外は宇宙人な我が家ってことか!?娘は暮らしにくかったのかとちょびっと反省。あくまでちょびっと。だって自分の思考までは簡単に変われないし。はてさて、これからどう接していくか、再考しなければ!!
あー、でもパンダとサルもあり得るかと娘は付け加えてました。パンダとバナナはありえないそうです‥家族の中では完全アウェーな娘がちょっと気の毒かも(笑)
うちの子はパンダとバナナと答えました。
文字数だそうです。なんだかスッキリしない^^;
いつも味方でいてくださる様なブログに励まされております。ありがとうございます!
HSC小学三年生の息子が隣にいたので、試しに聞いてみましたら「パンダとバナナ」と答えました。
理由を聞いたら「3文字同士で、パとバが近いから!」とのこと。
パッと見て文字で考えちゃって、サルがバナナ好きなの忘れてたそうです。
一年生から、毎朝不安だからと周りの目も気にせず私と2人登校している息子らしい答えに感心してしまい「なるほどねー!君はやっぱり特別だ!頭が柔らかいんだな。」と伝えましたが、この答えの場合は心理学でいうとどんな感じなのか気になりました!
母である私自身は、サルとパンダは動物なのでその組み合わせか、またはパンダはバナナは食べないだろうからサルとバナナという組み合わせになると考えました。
うちの子は高校の途中までバナナさんのチームにいて、「自分はバナナさんチームの流儀に従うべきだ、でもなんか自分は人と違うのかな?」とギャップに苦しんで倒れました。
そんなときかかったお医者はパンダさん。
「そんな学校行く意味ある?やめちゃいなよ」と言われ、そのときは、ええー??って思いましたけど、やっぱりパンダさんの言う通りだな、ということでバナナさんの世界である在学中の高校を辞めました。
パンダさんの世界の高校に転学し、とても生きやすくなり、現在は大学で自分の得意をいかせる分野の勉強をしています。