日々子どもたちと接していると、
アレ?
それ、前にも聞いたセリフだな!
ってことがままある。
特性によって、言動が似てくることがある。
このタイプはこれする、これ言う、これ好き、これは発狂する、とかさ。
屁理屈も主張も長所も失敗ポイントも、似ていることがある。
そんなふうに思いながら、内心激しく頷きながら僕は話を聞いている。
その子および親御さんは、「周りの子と違う言動」に驚き困っているんだけど。
そんな子ばかり集めて見ている僕からすると、「あ、それね!」ってなるんだ。
うまく説明できないんだけどさ。
この状況でこの特性だと、やっぱりそう考えるよね
ってパターンがある。
ってことで。
いただいたコメントがあまりにもそれな!!! でさ。
頷きすぎて首もげるかと思ったので、紹介させてください。
コレね。↓
娘「やってないのに提出物を出すとか、そもそもこれをやる目的はなんなの?答え写す子とかいるけど、あれだって意味ないじゃん。できてないもの出したって意味ないじゃん。勉強して自分のものにすることが目的なら、そんなやり方はおかしいじゃん。だいたい、ただ宿題出したからって、できるようになってなきゃ意味ないじゃん。だいたいそもそも、成績ってなんなのよ?どういう基準な訳?半分先生の主観みたいなもんじゃん。おかしいよ。やってられないよ。」
息子「提出物やり始めたけど、どっか行っちゃって、見つかったんだけど、なんか、カバンの中で破れちゃってて、先生のところへ行ったら先生いなくて、次の日行こうと思ったんだけど忘れちゃって、気づいたら日にちが過ぎちゃってたから、もう出せないんだと思って捨てちゃった。破れてたし。でも、出さないとやばいっていうから、また先生のとこ行ってもらってきたんだけど、あれ?おかしいなぁ…」
あああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜!!!!!
なるよなぁ。
そう、なるよなぁ。
もうさ、そうだよなぁぁぁぁぁ!!!!!
僕は、これは責められない。
そうなるよ。
もう、そうなるさ。
同様なことを言う子たち、めっちゃいるもん。
そうなるんだよ。
みんな、そうなる。
この親御さん、よく見ている。
お子さん二人、タイプが異なるようだ。
それぞれをよく観察している。
あまりにも「それな!」な言語化だったので取り上げさせていただいた。
親御さんはこう続ける。
2人とも平常点もらうのは大変です。よかれと思ってあれこれ口を出したりもしましたが、もう子供時代も後半戦に差し掛かり、彼らの人生として応援するだけにしました。
先生の話を読んでいると、子供達の未来が明るいような気持ちになります。ADHDもASDも特性を活かせば、何かに夢中になれたり、自分らしく突き詰めたり、幸せに感じられる瞬間がたくさんあるんじゃないかと。
社会では適度に、プライベートでは濃く自分らしく生きて行ってほしいなと思います。
達観してるなぁ。
もう、その通りだろう。
この特性を持った、この子たちの人生だ。
外からは変えられない。
応援するしかないし、自分らしく生きて行ってもらうしかない。
そして、子どもにはその力がある。
数の暴力だ。
僕はたくさんの子と接する。
だから子どもの主張に「あぁそれな!」ってなることが多々ある。
過去に同様の主張を聞いているからだ。
でも、親御さんはそうはいかない。
ってなる。
本人も、周囲と異なる自分の意見や感覚を、どう扱って良いかわからないでいる。
だから、僕らがいるのだ。
数の暴力だ。
経験の暴力。
マイノリティーな意見を集めると、あら不思議。
この場では、マジョリティーになる。
変じゃないんだ。
その変な意見、変じゃない。
僕から言わせるとね。
まぁそうなるよなって思うもん。
全然変じゃない。
大丈夫。
キミの意見は変じゃない。
そう思うのは当然だ。
どんな理屈でそう言うのかもよくわかるし。
同じような子、他にもいっぱいいるよ?
経験を持つ人に話を聞いてみると良い。
ナゾな主張に行き詰まったら。
あなたにとってのナゾは、別の誰かにはナゾじゃないかも。
その子がどんな思考でそれを言うのか、噛み砕いて説明してくれるかもしれない。
別の子がどう解決したか、モデルケースを知っているかもしれない。
それは、数を見ている専門家だからこそだ。
うまく使って欲しいと思う。
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ジーンとくる記事でした。
数の暴力、パない!ですね
コメ主さんの、社会に適度に、プライベートでは自分らしく、も心にささりました。
それな!です
もしも…
いるいる!な子が集まり、いるいる!タイプがメジャーな社会になって、そんな世界で、我が子もマイノリティがゆえの生き苦しさも感じずに生きてゆけたら。。なんて妄想してしまいました。
「子供の心の観察の仕方」
先生のブログで1番好きな記事です。
パズルのピースを充てはめていくように、子供が発した言葉を拾っていく、、、
この方のコメントは、まさにコレではないか!!
と深く感動しました。
今回拾った言葉は、パズルの角ピースかもしれません。
パズルって角から攻めて行くと安心感がありますもんね。
私も角ピース拾えるよう頑張ります。
あーほんとそうですよね。
社会では適度に、プライベートでは自分らしく。
でも、それが出来ないんだよな~
学校でもプライベートでも使い分けが出来ない。
私も学校の成績ってなんだろうって思う派だけど、
評価に基準がそれしかないから、それで判断されちゃう、
高校卒業って意味あんの?って言われて、
意味ないよな~って呟いちゃう。
でも、高校卒業はしておこうねっていうのが今の普通。
あと何十年かしたら、高校卒業しない、もしくは行かなくてもが普通になってるかもしれない。
いろんな事がマイノリティーから始まるからね
私もこの方のコメントには感服してました。
もう、その通りなんですよ。本当にこういう子達よく見るし、我が子達もそうだし、かつては私自身そうでした。
(そして私はまだ達観できてなくて、子どもが見てないとこでは悩みもがいてます…)
やはり専門家のP先生もそう感じてるんですね。
なんか、発達凸凹な子を育てていると、個性的でも胸張って生きろなこと言われますが、やっぱり多数派の中に居られる方がちょっと安心してしまいます。この界隈では多数派なんですよね彼らは。
話が変わるのですが、
今更ながらアニメの「葬送のフリーレン」を見たのですが、主人公のフリーレンの感覚がすこしASDの感覚に似ているような気がして、何だか他人事なアニメには思えませんでした。
フリーレンは、エルフという長命な種族であるがゆえに人間とは異なる価値観や時間感覚を持っていて、人間からすると時には「オイオイ…」てなる発言をよくするんです。
ASDは別に特別な理由があるわけではないですが、大多数の「普通」の人とは異なる感覚を持ってて「なぜこの人が怒ったのか理解できない…」なんてこと、あるあるですよね。
でも、千年以上生きてるフリーレンが大切な仲間ができて、その仲間(ヒンメル)の死をきっかけに人間について知りたくなって旅を続けていくところが、ASDも、自分を理解してくれて自分を助けてくれる人とか、そういう人には心を開くし、そういう人の助言は耳に入って、少しずつ変化していくこともあるのが似ているなぁー!と感じました。
ASDは独特な価値観持ってて変わり者だけど、人が嫌いなわけではなくて、絶対に人を理解しないわけでもなくて、優しい働きかけを続けていくことで、変わることもあるよね、と思っています。
追記です。
他にもシンパシーを感じた点がいくつかありました。
・フリーレンの言葉には基本的には嘘がないところ。
基本的にASDの子って純粋で、あまり嘘がつけなくて所謂「愛想良く」とか「おだてる」とかができないがゆえ、本心から喜んだり人を褒めたりできるのも美点だなぁと思うのです。
・他人や自分の「気持ち」が遠いところにあって、それに気づいたり理解したりすることに時間がかかる、というところ。
(フリーレンは何十年とかかってますが、いやほんとに、自分がどう感じたか気づくまでにそのぐらい時間かかるんですよ…)
フリーレン、もちろんチェック済みです。
とても面白いですよね。
僕も、フリーレンは他人事とは思えません……。(僕もASDタイプ)
そして、薬屋のひとりごとの猫猫も大概だとおもいます。
勝手にシンパシーを感じております。
以前のアニメはADHDタイプのアクティブな主人公が多かった印象ですが、最近は根暗ASDタイプ(しかも女性!)も主人公になるのだなぁと感動しています。
多様な個性にフォーカスされるようになってきたのでしょうね。
良い時代です!