二学期の目標。
今年度の目標。
来年の目標。
キミは、どんな自分になりたい?
ASDの子。
授業に出られない。
教室に滞在できたら、その日は調子がいい。
絵を描いたり本を読んで過ごせれば。
そうじゃないときは、教室から飛び出してしまう。
学校中を大捜索、大捕物になることもしばしば。
この子に、「二学期の目標」を立てさせた。
この子の答えは、
それを聞いて、先生も頑張ってくれた。
この子の望みを叶えてやりたい。
席替えして、座席を工夫した。
教室から出ないルールを再度徹底した。
課題は、個別に一声かける。
授業に出られたらご褒美シールを貼ることにした。
なんだけど。
一向に授業に参加する気配がない。
その後の、この子の様子。
教室に滞在できたら、その日は調子がいい。
絵を描いたり本を読んで過ごせれば。
そうじゃないときは、教室から飛び出してしまう。
学校中を大捜索、大捕物になることもしばしば。
…
……
………
アレ?
コレ、1学期となんか変わる?
先生が言う。
彼自身の望みなのに、こたえられない。
自分の目標に向かえず、自信をなくしていっているように見えます。
授業に出たいと言うのに、目標を立てたのに、行動が変わらない。
授業中はお絵描きか読書。
気が乗らないと飛び出してしまう。
みんなと一緒に授業に出たい。
同じように課題に取り組みたい。
彼自身がそう言ったのに……。
僕は違和感を覚える。
それ、ホント?
ASDは一般に、自分が行方不明だ。
自分がどう思うのか、自分でよくわからない。
何が好きで、何がイヤか。
ハテ、自分は何が望みなのだ?
この子が、「みんなと同じように授業に出て課題に取り組みたい」と言った。
でも蓋を開けると、そのような行動は一切見られない。
僕は思う。
別にこの子、それを望んでないんじゃ?
人間、やりたければやるハズだ。
やらないってことは、やりたくないのだ。
少し脱線するが、不登校の言う「行きたいけど行けない」は、実際は行きたくないものと思っている。
行きたきゃ行くハズで。
閑話休題。
この子も、授業に出る気配がない。
ってことはきっと、出たくないのだ。
出たくないから出ない。
至極整合性がある。
きっと、「みんなと同じように授業に出て課題に取り組みたい」って言葉がウソなのだ。
ウソじゃないけど、自分でわかっていない。
「出たい」と「出るべき」の区別がついていないのだろう。
ASDに限らず、これはよくある話で。
加えて、この子はASDだ。
「自分は授業に出たいのだっ」と自覚するのは、大変に困難なハズ。
めちゃハードル高い。
きっと、これまで散々言われてきた
なーんて声かけを、そのまま素直に飲み込んだものと思われる。
こう考えると、非常に素直ないい子なのだ。
つまり、「授業に出るべき」なだけで、本音は「出たくない」ってことね。
そして本人は自覚ナシ。
この考えが当たっているなら、一見理解不能なこの子の言動が、スッキリと整理される。
でね!
僕がさらに思ったのは、ASDの子に「先々の目標」ってすごーーーーーくハードルが高いってこと。
ASDは一般に、「今の自分」もよくわかっていない。
自分がどう考え、何をしたいのか。
これが未来の自分となると、もうお手上げ。
そんなケースが多い。
典型的なのは、例えば中学生の子で、
あと数年後には受験をして高校生になる
という事実がどうしても理解できない、理解しても実感できない子が一定数いる。
今の自分が連続し、3年後には高校生の自分になっている
というのが、どうにもつながらない。
今の自分は今の自分で、3年後の自分は別の自分。
きっと、感覚としてはそんな感じだ。
※余談だが、ADHDも今の自分と未来の自分がつながりづらい。今の自分が、急にジャンプアップしてスーパーな自分になる。途中にある苦労や努力は想像できない。なので、困難に出会うとすぐ逃げる傾向にある。
だもんで、ASDに「未来の話」は鬼門だ。
つながらないから。
今回、そのASDが「二学期の目標」を立てたと。
マユツバだ。
それが考えられる子なら、今このような行動に出てはいないハズだ。
ASDに未来の話は鬼門
ASDは、良くも悪くも素直だ。
大人の助言を、咀嚼せずにそのまま飲み込むことがある。
「意図や背景はわからないけどそういうものだ」と理解する場面が、結構ある。
トラブルの引き金になることもしばしば。
そもそも望んでいない目標を叶えるのは、至難の技だ。
未来が見えていない子なら、まず足元の話から始める方が建設的と思われる。
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急にジャンプアップしてスーパーな自分になる。途中にある苦労や努力は想像できない。
タイムリーな話題、ありがとうございます。
三者面談で本人と大人2人のやり取りが噛み合いませんでした。
大人が力説するところをスルーされ、「そこ?」というところがやたら引っ掛かっていたようで。
「進路?今そんなこと言わないで!」
そう言い続けて今中2。
ではいつ言ったら聞く耳持つのだ?
「通信制より県立の単位制受けたい」と言いつつ、試験は受けないので偏差値も不明。
そもそも定期試験は1.2教科しかやらないし。
「偏差値低い学校でも、3年勉強してきました前提の問題が出るんだよ。
今勉強することが来年の受験までにつながるんだよ。
急に全集中で3年分の勉強するの?
5教科試験受ける集中力も体力も必要だよ。
定期試験はその練習だよ。」
何言ってるのかちょっとわかんない、的な表情でムスメ無反応。
担任と共有して、ではどうするか、相談したいと思います。
『人間、やりたければやるハズだ。
やらないってことは、やりたくないのだ。』
納得。改めて納得です。
再認識させていただき、ありがとうございます。
なのですが。
先日、息子(中1、小4夏から1日も登校していません)に、
「やる気はあるのに、またできなかった。悔しい」
と泣かれてしいました。
学校の教材が途中までやったもの・全く手がつかないもの、いずれも数カ月が経過しています。どちらも息子がやりたいと言うので教材を購入しました。小学生の時も同じように「やりたい」と言う教材は購入し、全て完成させられました(絵や工作、陶芸、トートバッグ、エプロンなど)。
「やりたいのにできず、悔しい」と涙の出る心理状況が、正直、理解できずにいます。。。
学校に行きたくない気持ちも、行かなきゃって気持ちも、行けるようになりたい気持ちもどれもあってひとつひとつを切り離すことはできないのかもと思います。行きたくない、は本音だと思いますが、社会から求められていることはできるようにならなきゃ生きていけないかもしれないっていう恐怖心や不安があるのだと思います。だからみんなができていることは、自分もできるようにならなきゃと、できない目標を立ててしまうんですね。何が正解かは結局外にはなく内にしかない気がします。自分はどうしたいか、やりたいか、やりたくないか。大人はそれをジャッジはせず、対話できる関係性を作っていこうと思います。
まさにもう大きくなりましたが、うちの子でした。将来?今将来じゃないし。ゲームしたいし。課題?やりたくない。興味ない。テスト?悪くて何か困る?今困らないし…って感じです。困るのは中学の内申点システム。本人が気付いた時には内申点はボロボロでした。それでも本人が気付いて動くしかないなと感じます。
まさにーー!(T_T)
中2の息子、そのまんまです。
小6くらいから何度も家族で将来の話を繰り返し、本人も“大学行くつもり”“それを見据えた高校に行く”“受験がんばる”みたいな発言をするので、なんとなくでも将来のイメージがわいてきてるのかなー?と思っちゃうのですが。
現在テスト1週間前、昨夜は11時過ぎまでハリポタ読んでました(*_*)
先日は“パパが行った学校より(偏差値が)上の学校に行きたい”と発言し、耳を疑いました。
そうすると今より偏差値を15くらいは上げてかないといけないけど大丈夫????(^_^;)
現状の勉強ではとても足りないけど大丈夫????(^_^;)
ツッコミたい気持ちを押さえて“目標があるのはいいことだよね”と言っておきました。
受験…どうなるんだろーー(T_T)
目からウロコ!!
確かに!
すべきがしたいに変換されている!
これで理解出来る気がします。
ありがとうございます。
あるあるボタンがあったら100個押してる!
あるあるある!!
…という内容でした。
抽象的に理解してた内容だったので、語源化して頂けてストンと来ました。
いつもありがとうございます。
我が家もそれで色々大小困っているのですが、そのようなお子さんってどうやって進学意識するんでしょう。
どう伝えても伝わらなく(伝わってないように見える)、困ってます。