コメントをいただいた。
なるほど、“やるADHD”と“やらないADHD”が存在するのですね。
この話へのコメント。↓
コメントありがとうございます。
この方に限らず、みなさんいつもコメントありがとうございます。
でも、申し訳ない。
非常に言いづらいんだけど。
違うんだ。
人様の意見を否定したくないんだけど。
そんな権利僕にはないんだけど。
これは僕の文章への解釈なので、差し出がましいですが弁明させてください。
僕の書き方が悪かったんだ。
同様の誤解をした人が、他にもいると思うんだ。
コメントをいただいて、弁明の機会を与えていただいてありがとうございます。
ADHDは、基本的に「やらない」のだ。
基本、全員が”やらないADHD”だと僕は思っている。
ADHDの中に、「やるタイプ」と「やらないタイプ」が存在するわけではなくて。
全員「やらないタイプ」。
なんだけど、その中に、特性を超越して「やる」という選択ができるADHDがいるってこと。
この人たちが、スゲーしパネーと僕は思っているのです。
ADHDには、自分のことをあれこれ発信する人が、比較的多いように思う。
自己啓発本とかさー。
「これの作者、ADHDやろ」と思うことがよくある。
「私が〇〇した方法」的な、ハウツーものとかね。
僕が真似しようと思ってもムリ。
ってゆーか、ADHD以外にはムリなんじゃね? って思ったことが、何回かある。
ネットやSNSで流れてくるライトな漫画にも、ADHDっぽさを感じることが多い。
日々のエピソードを面白おかしく軽やかに漫画にしたようなやつね。
完全に個人の持論なんだが、ADHDの人にはイラストの才能がある(ことが多い)ように思う。
イラストでの情報発信とADHDとには、かなりの親和性を感じる。
なんでだろうね。
そんなわけで、ADHD (と思われる人)の発信を目にする機会は多いのだが。
やっぱベースは”やらない”よな。
目にするのは「やった人」の発信だけど。(やったから多くの人の目にする発行物を出しているわけで)
それでも、やっぱ基本は「やらない人たち」だと感じる。
僕、強烈なインパクトがあったエッセイがあって。
かなり昔に読んだものだが、今でも折に触れて思い出す。
みなさんご存知、さくらももこ先生の書籍だ。
さくら先生は、いわずもがなの超絶著名な大先生。
つまり、成功者。
そしてエッセイの中に、ADHDを思わせるエピソードが散りばめられている。
子どもの頃、授業中はいつもうわの空。
先生の話は全く聞かず。
でも、落書きしたり、校庭の小鳥を気にしたり、漫画の続きを夢想したり、やることはたくさんあった。
昔読んだので詳細は忘れたが、こんな感じの内容だった。
まる子のイメージそのまんま。
ザ・ADHD! といった感のあるエピソードだ。
その流れで、さくら先生が一念発起して「やる」ようになったエピソードが描かれていた。
青年期、マンガで賞を取った頃の話だ。
子どもの頃に、思う存分ぐうたらした。
すでに一生分ぐうたらしたので、ここからはシャカリキに働こうと決心した。
こんな内容だったように記憶している。
ベースの「やらない特性」を、自ら脱ぎ捨てた瞬間だ。
心ゆくまでぐうたらしきったので、ここからは頑張ろう、と。
その後の大躍進は、みなさんご存知の通りだ。
三年寝太郎は三年怠けるだけで済んだのに、自分は十何年も怠けてしまった。
そんなことが書かれていたように記憶している。
腹を抱えて笑ったエッセイだ。
他の人の著作物を読んでもまぁ、ADHDは基本「やらない人」だと思う。
それを克服した人が、世に出ているのだ。
どう克服したかは人による。
さくら先生のように、「やろう」と前向きに決めた人もいるし。
「自分はどうせやらないんだから、アレコレ考えずにやっつけてしまおう」という割と後ろ向きなスタンスの人も。
反対に、「自分はどうせやらないんだから、苦手な作業は引き受けない」という人もいた。
そのような職業を選んだり、立場を変えたり。
どうせできないから、右腕的な人にすべて託しているという人もいた。
どうしても必要なことはルーチン化してなんとかこなすという人も。
シャレにならないミスだけはしないように、何重にもセーフティネットを張ってむっちゃ気を付けているという人。
メモ、貼り紙、アラーム、GPSや便利グッズ、知人友人家族……使えるものを総動員して。
「それでも、たまにやらかすけどね」
という愛嬌のあるオチは、みなさん共通のように思う。
やらないのだ。
ADHDは、やらない。
しょうがない、そういう特性だ。
じゃあどうするか。
方法は色々考えられるが、方向性としては、以下の二つ。
どちらを選ぶか。
どう選ぶか。
どんなシチュエーションで、具体的にどう動くか。
考えるべきはココだと思う。
しょーがないよねー。
思考停止しては、非常にもったいない。
失敗したら、人にも、自分にとってもマイナスになる。
自分はADHD
↓
だから
↓
やらない
ここまで理解したのだ。
素晴らしい自己理解だ。
じゃあ、どうするか。
戦うか、逃げるか。
どちらも正解だ。
「だから戦う」も、「だから逃げる」も、どっちもアリ。
道はある。
しかも、たくさん。
絶望も、自己否定も必要ないのだ。
全ては作戦だ。
自分をどう理解し
↓
どう動くか
戦略的にいきたい。
発達にデコボコのある人ほど、冷静に、戦略的に、省エネかつおいしいとこどりでいきたいものである。
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うちの息子は省エネタイプだと塾で言われました。最小限の努力ですり抜けるって。中高一貫で中1の春から毎学期呼び出されていても、けろり。いろんな面で側から見たら要領悪くみえるけど、きっと、そうでもないんでしょうね。我が家は母と2人の凸凹なので、時に何が正解かわからなくなります。こちらは常にハラハラしてますが、結果オーライにできる力って凄いことなのかもしれないですね。いや、自分の気持ちにストレートで良いのでしょうね。いわゆる普通の人の方がこじらせて不幸まっしぐらなこともありますね。不器用にみえるけど、器用な息子を応援しようと思います。
やらないADHD」は、待っていても動きませんか?動きが止まらなかった小さい頃を思い、いつか「動きだすはず」と言い聞かせる(自分に)毎日です。
ADHD、ASDの子共がもっと小さいうちに先生の記事に出会いたかったと思う内容ばかりです。
やらないADHD、やれば出来るよ、と言われ続け、いつこの子はやるのだろう??そもそもやる気スイッチなど存在しているのだろうか?努力も才能ならその才能はなかったのね、とずっと思い続け・・・
ありました、やる気スイッチ。
自分の進みたい道を見つけ、そのためにはやりたくない事もやらなければならないと納得。それを納得できたのは17歳(笑)その後はすごかったです。まさに自己理解。自分の苦手と得意を知り、苦手のためにどう対策するか、毎日いろいろ考えているようです。
あらら…勘違いコメントをしてしまったようですみません(^_^;)
しかもさらに詳しく書いていただくことになってしまって、申し訳ないです。
でも実を言うと、“ADHDはみんなやらないんだよね?でも成功者のADHDはやる?ADHDだけど?ん???”と、グルグルしながら私なりに解釈してしまったところだったので、きちんと弁明(弁明?補足?)していただけてよかったです!
そうですよね、基本みんなやらないんですよね(笑)。
やらない状態からどうしていくか、っていうことですよね。(合ってるかな(^_^;))
これからも、また的外れなコメントしてしまうかもしれませんが、引き続き楽しく読ませていただきます。
ありがとうございました!
うちにもやらないADHDいまーす!
小6男子、ADHD+LDで基本的になにもやりません(笑)コツコツとか計画的にとか真逆です。
学校のドリルとかも溜めに溜め…いつもギリギリなると急にやる気スイッチ発動し、終業式の朝に出すという荒業。
LDもあるので、宿題もやりません。
書き取りはずっと免除してもらっていましたが最近は算数プリントもやらず…
やる気がないのに無理やりやらせて家庭の中が焼け野原になるよりは、先生に謝る道を母は選びました。逃げるが勝ち?
やらないというよりやりたくないことはやらない→やりたいことはとことんやる息子。
料理好きでオムライス、だし巻き玉子、母よりうまい(笑)
そして本日玉子を使いすぎて自分で買いに行ったのですが、冷蔵庫を開けてびっくり。
冷蔵庫の扉に玉子ケースありますよね。
そこに買ってきた玉子のパックのまま、その玉子ケースにうまく開いて入っておりました。
玉子ケースに玉子を移すのが面倒でやりたくなかったにしても一瞬、このやり方が正しいかも…と思った母。
いろいろ大変だけどおもしろい毎日です(笑)
思春期に子供が明け方までゲームを続けるようになった時、たまりかねて夫に注意するように頼みました。
返答は、
「やりたいだけやらせれば良い。」と。
ADHDからみると、それが正しいという事なのだろうか…
私は子供が聞き入れるかは別としても、父親として叱って欲しかった。
旦那側の親戚は、本質としてその接し方の方が良いという学びがあるのだろうか。
(でも、旦那の兄弟の子は不登校になってしまったそうだし、叱らない子育ても私には疑問です。)
正直、違和感のオンパレードです。
この時も、そんな常識も知らないのか!と、私が夫に罵倒されました。
びっくりしました。
私からしたら、伝えるべき事を言わない対応の方が異常に感じます。
昼夜逆転は、そのレベルだと思っています。
要素があると、注意しても無駄だと割り切り、何も言わない方が正しい対応なのでしょうか。
子供が自分を振り返る、微かなキッカケになる希望もないのだろうか。
私はどうしても、何も言わない=放置しているようにしか見えないです。
旦那は自分も子と同じような事をしてきたから分かると言って、私の意見は聞いてくれませんでした。
程度の問題だとも思うのですが、子供が親になった時、同じく何も言わない子育てをすることになるとしても、ADHDを持つ子にはそれが正しいと思っていて良いのでしょうか…
「道はある。
しかも、たくさん。
絶望も、自己否定も必要ないのだ。」
この言葉、ぐっときました!
普通にこだわって動けなくなってる我が子に伝えていきたいです。
母の私がそう思えてるだけでも違うかな。
P先生、いつもありがとうございます^_^
子どもが小学生になったとき、あまりにも「ちびまる子ちゃん」と同じすぎて頭をかかえたのですが、そのときに我が子のADHDに気が付くべきでした。というかADHD女児の特徴を知らなかった・・・・
中学生になってさらに輪をかけて「やらない」ようになり、本人の覚醒を祈るばかりです。たぶん祈りは届かないんだろうけれど。
やるADHD、基本本人にしかヤル気スイッチ押せないことを痛感する日々です。
中2女子、1年の時は、やりたくても勉強が頭に入ってくれないんだよ!じっと机に向かえないんだよ!と涙していました。
今回のお話にあったように、美術、イラストが大好きで、美術コースのある高校に入りたいという目標ができると集中が勉強に向くようになりました。
最近引っくり返ったのが、帰宅して、おカーさんおかーさん!と目をキラキラさせて、
あのね!絶対忘れ物しない◯◯ちゃんに勇気出して聞いてみたんやん!そしたら、晩に準備して朝にもう一回確認したらいいんやでーって教えてくれた!スゴくないー!?私も実践するんやー!
…それ、小学校の時から何年も言ってきたよね?
この子は親の何を聞いてたんだろ…と引っくり返りました。
この子を動かすのは本人の自覚のみ、それなら親には本人が自分で気付くまで待つしか無い、それがお互いに平和、とようやく納得しました。