思いのほか需要があるようなので書いてみる。
療育や通級のデメリット。
最初に断っておくが、「僕が」「診察室で見る範囲で」思うデメリットです。
現場で指導している先生たちに聞くと、また別の意見があると思うし。
親御さんや先生など、本人を近くで見ている人もまた視点が違うだろう。
何より、子ども本人にとっては、何がメリットでデメリットになるか。
個人差もめっっっっっちゃあるだろうし。
その前提でお願いします。
あと、スパイファミリーの主題歌、ミックスナッツって歌の歌詞で、ナッツは「木の実」でピーナッツは「豆」と知っている作詞家は非常に博識だと思いました。(全然関係ない!)
療育や通級のデメリット。
教室が遠い、なかなか入れない、日時が選べない、手続きがめんどい……などシステムの問題は、当然デメリットなんだけど。
今回は言及しない。
僕が口を出すことじゃないし、変える立場にもないしね。
変えられないものは潔く受け入れる。
僕の処世術だ。(えっへん)
いや、いばることじゃないけどさ。
自分にできないことは、人にぶん投げる。
変えてくれる人、ぜひお願いします!
僕が指摘したい点は、ココ。↓
本来のその子が見えづらくなる。
療育や通級では、ソーシャルスキルトレーニング(SST)を行う。
ソーシャルスキルトレーニング:
対人関係や集団行動など、社会の中で生活していくために必要な社会的能力を養うこと。
社会の中や日常生活で、困ると予想されること。
苦手な場面ってあるじゃん?
状況が読み取れないとか、適切な行動が取れないとかさ。
これを、先回りして練習しておこうってのがSST。
とかさ。
一般化して、練習しておく。
具体的には、「ルールを守る」「友達と協力する」「相手の話を聞く」「あいさつをする」「見通しを持つ」とかですね。
すると、似たような状況のときに
「これ、進研ゼミでやったやつだ!」となり、
↓
正解の行動が取れ、
↓
トラブルが減る。
という仕組み。
でね。
これ、とても効果があると感じる。
実際、SSTで学んだことは、日常生活に活きる。
例えば。
「お名前は?」と聞かれ「お名前は?」と返す、ASDの子。(オウム返し)
練習すると、「お名前は?」「アーニャ・フォージャーです」が出来るようになる。
単に本人の成長じゃないの?
ホントにSSTの成果?
これはですね。
この子、「何歳ですか?」と尋ねると「5歳です」と答えるんだけど。
「いくつ?」には「いくつ?」になっちゃうんだ。
質問の意図をしっかり理解しているわけじゃなく、SST的に答えているものと予想される。
別にこれが悪いってわけじゃないんだけど。
定型的な質問には答えられ、ちょっとひねるとできなくなる子を見ると、あぁSSTの成果だなぁと思う。
閑話休題。
このように、大きな効果があるSSTなんだけど。
効果が大きいゆえに、デメリットとなる場面もあるように感じる。
上手にSSTを積み重ねてきた子は、表面上のトラブルが激減する。
日常生活で困らなくなるんだよね。
正解の行動が取れるから。
それ自体は、とても良いこと。
なんだけど、トラブルがなさすぎて、ケアされなくなるケースがあるんですよ。
小学校高学年の女の子。
もともとASDタイプで、空気を読むのが上手じゃない。
この子は、これまでのSSTが上手だった。
低学年の頃はちょいちょいあったトラブルが、3、4年生以降は激減。
ほぼ問題なく学校生活を送っていた。
高学年となり、友達関係が複雑になってくる。
特に女子。
表面上は上手に受け答えできるこの子も、女子同士のネチネチしたイザコザには対応しきれない。
やっぱり、ちょっと浮いちゃうんだよね。
案の定、ボス的な女子に目をつけられて。
表面上はポジティブな、でも皮肉たっぷりの言葉をこの子に投げつけてきた。
この子は、うまく対処できなかった。
つまり、怒れなかった。
文字通りの褒め言葉ではないことは薄々感じつつ、でも、笑顔で「ありがとう!」と言う。
それしかできない。
もともとASDで、皮肉の理解が苦手だし。
「褒められたらありがとうと言いましょう」と教わってきているから。
この反応を見たボス的な子は、素直すぎる反応に苛立ち半分、マウント半分で、徐々にエスカレート。
なにかにつけてちょっかいを出し、マウントをとる。
自分に従うよう仕向ける。
この子は、ボス子が自分を気にかけてくれていると思う。
つまり、「友達」だと思う。
悪意は薄々感じつつ、でも拒絶し離れることができない。
そうして結局、不登校になった。
学校がしんどくて、でもなにがしんどいのか自分でもよくわからず、僕のところにやってきた。
↑これ。
SSTのデメリットだなぁと。
SSTは、どうしても本当の気持ちを覆い隠す。
「正解とされる行動」をすり込むのだ。
SSTに反し「本当は嫌だった」「実はこう思う」と主張するのは、SSTを受けていない場合と比較し難しくなる。
加えて、担任の先生もこの子はノーマークだったよう。
ここ数年間トラブルのなかった子だ。
目をかけて観察する必要があるとは、思いもよらなかっただろう。
ボス子もそうだ。
この子が明らかに空気の読めないASDだったら、きっとここまで執着しなかった。
「普通っぽいのになんかちょっと変」という違和感から、少しずつマウンティングを試し、エスカレートしていったものと思われる。
↑ここ。
SSTのデメリットだと思う。
本来この子が持っている特性が、わかりづらくなっちゃうんだよねー。
いや、いいことなんだけどさ。
悪い面もあるよなーと。
同様の話は結構聞く。
「本当はいやだったのに賛同してしまった」とか。
「みんなと一緒に活動をするべきという思いが強く、頑張りすぎて限界」とかさ。
「本当はそうじゃないのに、とっさにSST的に行動して余計こじれる」とか。
はっきりと『正解』が提示される分、それ以外の選択肢が取りづらくなる。
ASDタイプに多いように思う。
もともと「自分」が薄く、自己主張しにくいASD。
SSTが加わることで、さらに「自分」が行方不明になることがある。
SSTがあることで自己主張しやすくなる面もあるんだけどね。
「こういうときはこう言おう」の練習は、マイナスよりプラスになる場面が圧倒的に多い。
それはそう。
なんだけど、マイナスになっちゃうときもあるよなぁと。
まぁ、こんなこと言い出したら教育全般「そう」なんだけどね。
何かを教えたり指導するのだから、その子がもともと持っているものは見えづらくなる。
教育って、自分で発見して創意工夫するより、正解のやり方を教わる方がずっと多いでしょ?
そしたら、その子本来の感性とか考え方なんかは見えにくくなる。
これが絶対的に悪いってわけじゃないんだけど。
上記が、僕の思うSSTのデメリット。
ASDタイプに多いように思う。
ADHDタイプだと、「本人が療育や通級を嫌がる」が一番多いかな。
これは、よく相談して天秤にかけた上で判断していただくしかないだろう。
でも、ASDタイプの「本当のその子がわかりづらくなる」というデメリットは、療育をしているその時は見えなくて。
年齢が進み、社会が複雑になったときに、ぼんやり見えてくる。
これ、難しいなぁと。
※ADHDタイプでもあるのかな? SSTでプランニングの練習をして、学生時代は乗り切れたけど、大人になってタスクが増えたときに破綻するとか。あります? 興味深い。
その上で、でもSSTにはメリットの方が多いと思う!
↑これははっきり言っておきたい。
SSTは、僕の理論モデルで言うと、矢印を変える行為だ。
その子がどんな子か・どう思うか(玉)はさておき、アウトプット(矢印)を最適化する。
とてもいいんだけど、どうしても玉は見えづらくなっちゃうよなーと。
でも、社会的にズレた矢印のまま生活して本人が傷つくリスクと比較すると、メリットに軍配が上がるケースが大半だろう。
だから、僕はSSTはとても良いと思う。
ただこんなデメリットはどうしてもついて回るよなぁというのが、僕の意見。
個人の見解です。
そして、その上でもSSTはメリットの方がずっとずっとデカい!
と、僕は思います。
なので、ピーナッツアレルギーの人が他のナッツ類でもアレルギー反応が出るかというと、そもそも別の種類の食物なので、そうでもないのです。(全然関係ない!)
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大人になってタスクが増えると破綻する。
これはSSTで・・・云々じゃく起きるからあり得るんじゃないでしょうか?
息子が9歳までは普通の親をこなすことが出来ていたと思います。
9歳で大爆発してASDと判明してから1年半位は改善に必死で破綻に気づけなかったけど、ある日破綻しました。(母が)
普通児では気をつけなくて良いことに常に気を気配らなければならなくなり、それに関わる各機関と話し合いをしなければならなくて。
母のタスクが明らかに膨大になりました。
自分で自分が壊れたのが分かるような症状が出るようになり、息子の診察で母が泣いてしまう事態に。
受診を勧められ、実際に受診出来たのは4ヶ月後(初診待ちで)
その間に婦人科で漢方処方して貰ったので、ある程度症状は落ち着いていたので、簡易検査の結果は鬱ギリギリのラインでした。
ASDの簡易検査も受けましたが、該当しない。って言われましたが、傾向はあるだろうなぁって自覚はあります。
タスクが増えると破綻するのは誰にもあるのだから、当然SSTで上手くいってた場合にも起きると思います。
自分だけの生活なら何とか出来るのに、家族を持ったら全てが破綻するケースもあるんだろうと思います。
子どもがもし家族を持つことになったらと思うと、怖さを感じてしまいます。
P先生、いつもありがとうございます。
「何歳ですか?」と尋ねると答えられるけれど、「いくつ?」にはきちんと答えられない。...最初これを読んだ時、SSTでは、これから先も使うのは幼児語ではなく大人言葉だから、「いくつ?」ではなく、「何歳ですか?」の方の対応を優先して教えられるのかと思いました。
でも、よく考えると、「いくつ?」ってすごく曖昧な言葉で、状況の読み取りの苦手な子にとっては、今何を聞かれているのかの難易度が高すぎる。数を聞いているだけで「歳」「個」「冊」「枚」などの単位もない。「何歳ですか」と聞かれれば、状況に関わらず答えは一つですね。その子がどんな状況に置かれても、誤答になりにくい言葉のやり取りになるよう選んで教えているのなら、さすがプロの仕事だな、意思疎通がスムーズにできるようになる事は、本人の困り感も大きく減らすだろう。SSTっていいなと思いました。深読みしすぎだったらごめんなさい。
何となくのイメージですが、療育のメリット・デメリットって、「頭痛は治るけど眠くなりやすいバファリン」に似ているなあ、と思います。稀にデメリットの方が大きくて眠くなるだけの人がいるけれど、だいたいの人の頭痛は治せて、多少の副作用はでるかもしれないし、全く出ない人もいるよ」という感じ。
今回お話されていた例で言うならば、「何歳?という質問にちゃんと返答できるようになるよ!でもそのやりとりの応用が効かない場合も、その子の特性とか状況とかであるから気を付けてね!問題ない時もあるよ!」となるでしょうか。いずれにしても、1つの困り事に対し、全く太刀打ち出来ない状態から幾つかの対処ができる状態になれれば、その子にとっては楽になりやすいかなー、と思います。
療育といえば、SST以外にも、少し古い概念かもしれませんが、感覚統合もありますよね。あれも、デメリットはあるけど、メリットはめっっっちゃ大きい療育の活動と言えると思います。
重力不安が強すぎる子とか、からだの軸がぐにゃぐにゃで椅子に座っているだけで疲れてしまう子とか、力の加減ができなくて怪我をさせてしまう子とか。そういった子も療育に通っていて、感覚統合+αをしていくうちに、だんだんと困り事が減っていったり。
SSTと同じく、はたから見たら「そんなに大変?」と思われてしまうかもしれないけれど、ブランコに怖がらずに乗れたり、椅子に座っても疲れにくくなったり、力の加減ができるようになったりで、メリットの方が大きいなあ、と、見ていて感じますね。
機会があれば、感覚統合のことを取り上げて欲しいです。
教育とは??なんなのだろう。
指導とは??正解とは??と色々考えさせられました。
このデメリットをお伺いできて勉強になりました。
先生、いつも記事をあげてくださりありがとうます。
ナッツとピーナッツの違い、子供と共有して二人でへぇー!ってなりました、再びの豆知識嬉しいです(*´ω`*)
療養、そんな一面もあるんですね。
なんか、社会人してた時の自分の感覚に近い気がしました。
本当の自分の意見はこれだけど、こう言っておくのがベターだよな的な。自分で選択して発言してるのに、本心と乖離があって疲労を感じるんでしょうね。それが日常だと、慣れはすれどしんどいですよね。出来ないよりは出来た方がトラブルも少なくて良いと思いますが、可能ならデロデロの自分のまま過ごしたいですよね。
そうなんですよね〜。
年齢が低いうちは、社会のルールや暗黙のルールを習得するのも大切だけど、年齢が上がってくるとそれだけでは世の中渡っていけないというか…。
だって社会に出れば出るほど、守られていないルールもあるし、価値観も多様過ぎて、正しいと教わったはずのことが通用しないこともありますし…。
なので、やっぱりその都度一緒に考えてアップデートしていかないと…と思います。
もちろん親の役割でもありますが、支援が継続していればそこでもできると思うし、ドクターやカウンセラーなど相談できる人をつなげておくことの大切さも感じます。
難しいですけどね(^_^;)
個人を見た時には今の世の中を生きていくためには療育を受けて本人が生きやすくなる方がいいなとは思います。でも、本人の本当の思いが分からなくなるだけでなく、そもそも普通と言われる状態に近づけていく事で、困り感を減らすとも思われ、そういう意味ではみんなの普通に合わせる、近づけていく必要があるのでしょうか?世の中の大多数に合わせる練習で、本人の意思が置き去りだと本当の気持ちがわからなくなってしまうのか?なんて思いました
ABA療育の創始者の本に
これまでで最高に成功した子供は最優秀生徒に表彰されアイビーに合格、社交的で人気者しかし本人達は
「誰かの真似をしてるだけで、自分自身は幸せだと感じたことが無い。自分の人生を生きていない」
と言っているので、これがABA療育のこれからの課題だ。
と書いてありましたが、恐らくこの課題は今も解決されていないと思います。
本人の感情を置き去りにしたコミュニケーションもどきが健全とは感じません。
それでも親からしたら問題行動が減って嬉しいのでしょうけど、本人の幸福はどうなのかな?と複雑な気持ちになりますね。
特にIQ高いASDだと簡単に成功するので自我が塗りこめられて見えなくなりそうです。
ASDかな?と思われる子がおり、療育に通わせています。
定型パターンを習得させることでの、応用が効かない時の弊害のお話を先生はされておられますよね。
私は療育に通ってなければ、ASDの子は崩れてしまうのが早いことを考えると、応用が効かずに崩れてしまうのはやむ得ない壁にぶつかっただけだと考えています。
その壁のぶつかった時の対応、または含意を汲み取れない特性の子に裏の意味を理解させる練習の対応を細やかにしてあげるとかなり違います。それは各ご家庭でいかにフォローしてあげられるのか?ではないかと思います。療育だけに頼ってるご家庭のお子さんの場合の弊害なのではないかと感じます。
いつもありがとうございます。
前回と今回のシリーズも、本当にためになりました!!
そうじゃない!と言われそうですが、極論を言えば、「ずれたままで本人が傷付く」ことのない環境であれば、そのままの本人丸出しで過ごすのもあり??ということでしょうか?
療育・通級、とりあえず試してみたら良い、でも、あまりにうまくはまってしまうと、現実世界での予測不能な落とし穴に(軽いうちは困らず、ずれが大きくなってから)落ちる可能性も?という感じ?
と思うと、早期療育が良しとされてはいますが(もちろんたくさんメリットもあるのでしょうが)、ちょっと困りかけたくらいで、本人も自分の苦手を程よく認識してから、戦うか逃げるか考えて、戦うなら戦い方を習う、というのもありなのかも、と思いました。
(我が家は、今じゃない気がする、と様子見を続けてきたものの、何となくの勘だけで、確たる自信がある訳でもないので、いつも自分の中で問いながらドキドキ過ごしている感じです。)
これからも楽しみにしています。