前回の話から。
両親(や養育者間)で、考え方が違うことがある。
まぁ子育てに正解なんてないんだし、意見が異なることもあるだろう。
特に夫婦なんて、別の環境で育った他人だしね。
前回は、
意見が一致しなくてもいいから、家を快適にしてください。
そのためにはちゃんと話し合って、お互いの考えを尊重してください。
って書いた。
今回は、
あれ?
そもそも意見が合わないって悪いことなの?
について書こうと思う。
結論から書く。
意見が違っても良い。
と僕は思っている。
みんな違ってみんないい的な、金子みすず的な話じゃなくて。
意見が合わないことによるメリットがあると思う。
即物的な! 具体的な! 超絶メリットがあると僕は考えている。
以前この話でチラッと書いたけど。
両親の意見が合わないって、お子さんにとって多様なモデルになるのよね。
例えば、こんな相談を受けた。
幼稚園の子。
感染症対策に対する感覚の違いで、お母さんがオカンムリ。
お母さんはしっかり気にするタイプで。
曰く、この子はまだ幼稚園児だもんで、目についたものはなんでも触るし口に入れる。
感染症への意識が低いわけだ。
そりゃそうだ、幼稚園児だもん。
手洗いしなかったり、落としたお菓子を食べたり、おもちゃを口に入れたり。
その度に母が止める。
で、先日、そんな母を見て父が言ったそうな。
「男の子なんだから、豪快なくらいでいい。
ガミガミ言ってお前の神経質を遺伝させるな。」
あ……言っちゃダメなやつや。
私が悪いんですかっ⁉︎
あーあ。
案の定。
お母さんの怒る気持ちはよくわかる。
自分が大切にしていること(この場合は感染対策)を否定されたのだ。
しかも、子どもに悪影響とまで。
この子に悪い影響を与えてるんでしょうか。
みなさんならどう答えます?
僕はこう考える。
以前から書いているとおり、不安の強さは生まれつきらしい。
つまり、感染症をめっちゃ不安がるのも、全然気にしないのも、ある程度生まれつきの性格で決まっているのだ。
上のケースだとお母さんは不安が強いタイプで、お父さんは気にしないタイプなのだろう。
だからどっちが正しいとかって話じゃないことは、まず一つそう。
ちなみにコロナ流行以降、感染症に対する意識の個人差は非常に目に付く。
めっちゃ気にしない人から、めっちゃ気にする人まで、めっっっっちゃ幅が広いのだ。
発達障害とか関係なく、フツーに社会生活を営んでいるお父さん・お母さんの話ね。
そして当然、どれが正解とかない。
みんな正解で、それでいいんだと思う。
これがいわゆる人間の多様性ってヤツだなと日々思い知らされる。
なかなかできない経験だ。
役得。
でね。
上記お母さんの話に戻ると、この男の子もすでにある程度の不安の強さは決まっていると考えられる。
生まれつきだもんで。
「感染対策しなさい!」のお母さんと、「気にするな!」のお父さん。
両者に囲まれて育ったこの子がこの先どうなるかというと。
不安が強いタイプなら、お母さん寄りの考え方に。
不安が強くないタイプなら、お父さん寄りの考え方に。
それぞれなっていくと考えるのが自然。
勝手に選ぶよ。
自分に都合のいい意見を。
だから両親の意見が違ってても、別にいいと思うんだよ。
本人にもちゃんと意思があって、ちゃんと自分で選ぶんだから。
子どもって都合のいい生き物で。
両親の意見が違っても、案外混乱せず、都合の良い方を採用するんよ。
ちゃっかりしてら。
意見が異なるのは別にいいと思う。
でもその時に大事なのが、お互いをリスペクトしていることだと僕は思うんだ。
例えば。
だから手洗いをお願いね。
事前に話し合い、お互いの考え方を理解して。
こんな感じで「相手と意見が違うけど、そういう考え方もある」という言い方をしていたら。
この場合、この子がお母さん寄りに育ったら、
と理解できるだろうし。
お父さん寄りに育っても、
と理解できる。
これよ。
ここが、両親の意見が違うことによるメリット。
両親揃って「コロナは怖いから対策しなさい!」って意見だったら、そうじゃない人もいると理解するのに時間がかかる。
もちろん学校やテレビなんかでも知れるけど、時間がかかるし理解しづらいよね。
家の中で多様なモデルを見せられるって強い。
両親の意見が揃うと確かにラクだけど、視野は狭くなりがちよね。
だから意見が違うのは別にいい。
でも、相手に対するリスペクトがなかったら。
お父さんはおかしい!
と否定的に表現した場合。
お子さんはどう感じるだろうか。
それこそ板挟みになってしまう。
ある程度成長して自分の意見を持った際も、うまく主張できない。
お母さん寄りの発言をしたらお父さんを、お父さん寄りの発言をしたらお母さんを、それぞれ否定することになってしまうから。
ね。
これ、「家の居心地が悪い」と思うんだよ。
意見が違っても良い。
多様性をお互いにリスペクトしていることが大事。
なんでそんなにコロナが怖いのか。
どんな最悪を想定しているのか。
なんでコロナが怖くないのか。
楽観視する根拠は何か。
ちゃんと意見をぶつけて、知っておくことだと思う。
無理に一致させなくていいから、理解すること。
だと思う。
※もちろん家庭の大まかな方針とか、「家は快適に」レベルの大原則は、ある程度のすり合わせをしてほしい。でも細かい部分は一致していなくても良いと思う。
これができていると、お子さんに大きなメリットがもたらされる。
①については上述の通り。
視野が広いってことだ。
選択肢があり、しかも都合の良い方を採用できる。
純粋にお得。
②については、意見が違っても、相手を否定せずちゃんと自己主張できる。
「相手は受け入れた上で、でも自分の意見はこう」って言えるってことね。
両親のどちらとも異なる第3の意見を持った場合でも、この両親になら胸を張って主張できそうだ。
お互いの意見をリスペクトしている両親なら、子どもの意見もリスペクトしてくれそうだもの。
そして家でこれができる子は、きっと外でもできるだろう。
ね。
意見が違うって、悪いことじゃないでしょ?
確かに大変だし、スムーズには行きづらいと思うけど。
合わない部分はちゃんと話し合って、理解してほしいなと思う。
そんな両親の様子を通して、お子さんは
と学ぶ。
あれ?
これって「自己肯定感の高い子」ってやつじゃね?
なにより一番大事な要素じゃん。
このブログを読んでいるような少数派タイプ(発達デコボコとか、「普通」が合わない人とか)は特に
そして
と理解できると、すげーーーーースムーズに生きていけるんじゃなかろうか。
経験上、強くそう思う。
View Comments
わたしも「匿名で」さんに同感です。
先生、人生何回目ですか?😊
さまざまな悩みに答えて下さりありがとうございます。
~お互いをリスペクト~
の箇所に、「本当にそうそう!」とうなづきながら読ませていただきました。
わたしは、時間や心に余裕がなくなると、
知らず知らずのうちに、
口調が厳しくなってしまうみたいで
まだまだ人生の修行が足りません(笑)、、
「正しいことを言う時は、少しひかえめにするほうがいい」
という言葉を大事にしています。
最近、友達が教えてくれました。
~「祝婚歌」吉野弘さんより~
前回のブログ記事の補足のアドバイスであると同時に、もっと若い、まだ問題が本人達にははっきり見えていない段階の家族に対する、転ばぬ先の杖、的なアドバイスでもあるのかな、と感じました。前に「ブログ記事ごとのモデルケースとなるお子さん像を書いている」みたいな事をどこかで書かれてた様な気がするので。
子供は自分に合った親の意見を選ぶ。その通りだと思います。子供に選択権を持たせるためにどんな形で言葉がけをするかをさりげなく、細かな説明をせずに具体的に指し示すのも、診察室の風景が透けてみえて、プロだなと感じます。
それはそれとして、日常生活の中で、夫婦どちらかの意見を選ばなければいけない時って多いですよね。
リスペクト、なのか処世術なのかはわかりまんが、相手の主張する方法は、大体相手が慣れている、相手にとっては成功率の高い方法の事が多いかなと、私は思ってます。
なので、これは譲れないなと思わない、自分にとって優先順位の低い事に関しては、自分はこう思うと言った上で譲る事がそこそこ(←私の配偶者は、たまにだけだと思ってるかも)ありますね。慣れた方法で失敗してもそのリカバリー方法も慣れてるんじゃないかと期待して。うまくいけばすごいねで良いし、相手がもしリカバリーできない時には、私のできる範囲で後始末しますが。後始末させて当たり前と思っている相手じゃなければ、次の時は考えてくれるかなあ。最初に私はこう思うと言った時点で、相手が納得しないという事は、私の意見通りにしてもいずれ行き詰まると考えられている事だと思うし(相手の判断力をある程度は信頼していると言う事は、リスペクトなんでしょうね)。
自分の選ばなかった選択肢の、その先の未来を見るチャンスでもあるかなあ、そうやってものの見方の幅を増やしていくのかもと、私が子供の頃はそうでもなかったのに、夫婦で意見がかなりぴったり合うようになってきた、自分の両親を見ていて、そう思います。
ただ子供の困り事は、夫婦共に今まで経験したことの無い、今までのやり方では全く通用しない事で、全然勝手が違いますよね。どちらも経験のない中、必死で考えるからこそ、ぶつかるんだと思います(たまに、自分の周りは全部自分の思い通りでないと気が済まない人がいるので、配偶者がそんな人かどうかの見極めと、相手に何が見えていないからそんな結論になっているのかの観察は必要ですが)。
大人になった私達がこれだけ正解の無い問いに悩まされるのだから、子供も、いずれ正解のない問いにとりあえずの答えを出して動ける様になるのが、最終目標じゃないかと考えています。次の進路を決めるタイミングで動き出す子がそれなりにいるのはだからなんじゃないか、今のところが合わなくて、次にどうするかは、正に、正解がないけれどとりあえず答えを出すのが必要な問い。だからこそ間違っているかもと怖くなって、前へ進めないことの無い様に、P先生は骨拾いババアになる事を勧めてくださってるんじゃないか、と思います。
前回の記事と読者の皆様のコメント、すんごく力になりました。頭がもげるくらいうなづきながら拝読しました。
夫婦で意見をぶつけて認め合う。喧嘩に発展しないように。先生のブログを読むようになったからできるようになりました!
先生、人生何回目??
本当に本当に助けてもらってます!