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別の視点から 〜ミクロの視点とマクロの視点〜

『Pと親とでは視点が違う』

 

こんなコメントをいただいた。

 

そーなの!

僕と親御さんでは視点が違うのよ!

 

僕の視点

ブログ開設時からずっと言っている。

僕と親御さんとは視点が違う。

 

僕は小児科医という立場で。

だからこそ見えるものがあるし、だからこそ見えないものもある。

 

でね。

僕の視点は親御さんのそれとは違うんだけど。

だからこそ有用な場面があると思っている。

だからブログ書いてる。

 

 

何度か書いているが、もう一回書く。

このブログは、あくまで「僕が診察室から見た風景」だ。

診察室内で見えたことと、僕なりの解釈や考察。

「そんな意見もあるんだなー」と肩の力を抜いて読んでもらえたら嬉しい。

 

みんなに当てはまるわけじゃないから、使えそうな部分だけ勝手に持っていってほしい。

合わなかったらそっ閉じだよ!

そんなスタンス。

 

ミクロの視点とマクロの視点

でね。

僕の強みは、「マクロの視点」を持つことだと思っている。

マクロ視点:全体的、抽象的な視点

ミクロ視点:部分的、具体的な視点

 

 

子どもたち一人ひとりを見れば、ホントに千差万別。

性格も、考え方も、特性(どんな特性をどの程度持つか)も、環境も。

全然違う。

 

困るポイントもそれぞれだし、うまくいき方もそれぞれ。

それぞれに物語がある。

 

これはお前の物語だ

 

ってFF10のアーロンが言ってた。(アーロンかっこよ!)

 

 

大前提として、「個人」を見るのはめちゃくちゃ大事。

「普通は」じゃなくて、「その子」を見てほしい。

めっっっちゃ大事。

 

なんだけど、それだけじゃうまくいかない場面って出てくると思うんだ。

やっぱり、「マクロの視点」も必要な時がある。

 

  • みんなどこでつまづくか。
  • この後どんな流れになることが多いか。
  • こう接すると→子どもはこう反応することが多い。
  • ほかのケースではどうだったか。

 

この視点を持つのは、やっぱりたくさんのケースを見てきた専門家だと思う。

ここに僕たちの存在価値がある。

 

子ども一人ひとりに対する情熱とか愛情とかかける時間とかって考えると、僕たちは親御さんの足元にも及ばない。

実際に日々その子と接するのは、親御さんだ。

むしろ「違う視点を持つ」という点くらいしか存在価値がない。

親御さんとは別の視点から、別の立場で支援するのが僕たちの仕事だ。

 

思う通りにやってみて

これも何度も書いているけど、親御さんの「こうしたい」という方針があるなら、なんでもやってみてほしい。

多分、それが一番正解に近い。

親御さん以上にその子のことを理解している人なんていないのだし。

僕みたいなまったく知らんオッサンより明らかに正確だし、信頼に値する。

 

 

その時に。

思うようにやってみたけど、どーしてもうまくいかない!

って時。

僕らの出番だ。

 

 

マクロの視点だから見えるものがある。

例えば前回の、苦手なことは克服させないって話とかさ。

まず、やらせてみて良いと思うんだよ。

でも出来ないことはやっぱり出来ないってことがある。

 

ここで、無理やりやらせ続けるとする。

その結果、さらに悪い結果になるケースがたくさんあるんよ。

 

書字が嫌いな子に、「人並み」を目指して頑張らせたご家庭。

習字を習わせ、「宿題だけはきれいな文字で」を横について強制した。

 

その後、どうなったかというと。

小学校低学年の頃は渋々従っていたが、中学年になった頃から全くやらなくなった。

そもそも宿題に手をつけない。

そればかりか、ゲームの時間、スマホの使い方、生活リズム、言葉遣いなんかも、親の言うことを聞かなくなった。

気に入らないと、怒鳴ったり、手も出ちゃったり。

すごく荒れた。

 

僕の想像だけど、家で嫌なこと(書字)を強制され続け、親に対する反発を蓄積させたんだと思う。

「書字が嫌」

「強要してくる親うざい」

「親の言うことにはとりあえず全部反発」

にアップグレードしちゃったんじゃないかと思う。

 

こんなケース、たくさん見るんだ。

別のケースでも、逆に「言うことすべてに反発する」と受診した子が、聞いてみると小さい頃から嫌なこと、苦手なことを厳しく強要され続けていたり。

※それが愛情で、この子のためを思ってのことなのは百も承知。

 

出来ないこと、それも群を抜いて出来ないことを無理やり克服させられるって、すごいストレスだと思うんだよ。

やっぱ、出来ないことは出来ないんだ。

ちょっと頑張れば克服できるようなことは、そもそもトラブルにならないんだと思う。

しっかり表面化してしっかり困っちゃってるなら、やっぱり『非常に苦手』なんだろう。

 

 

じゃあ、苦手を強要しないとどうなるか?

僕の見てきたケースでは、なんとかなっていくことがとても多いんだ。

 

書字が苦手で、回避してきた家庭。

親御さんが学校と交渉し、家でも学校でも無理やり書かせることをしなかった。

 

すると数年後、ひょんなことからなんとかなる。

新しい担任が上手に乗せてくれて、ちょっとやってみたら出来て自信がついたとか。

受験で必要になって手をつけてみたら案外出来たとか。

その子のタイミングでモチベーションが上がり、「そこそこ」できるようになる。

 

また、苦手な能力を要さない環境を自分で選べるようになったり。

最低限の取捨選択ができるようになり、トラブルはなくなったり。(苦手は苦手だけど)

 

こんな感じ。

子どもは成長するので、今の『超絶苦手』がずっと『超絶苦手』のままかというと、案外そうでもないんだよね。

同時に取捨選択する能力も向上するし。

 

うまく行き方はケースバイケースだから一般化はできないけど、本人の成長とともになんか適応しているケースが多い。

もちろん適応できず、その後も苦手でトラブルが続くケースもあるけどね。

 

 

こんな感じで、苦手を避けることの予後は悪くないように思う。

マクロの視点で見ると、克服させようとした家庭とそうでない家庭とを比較し、予後に差があるように思うんだ。

 

「この子」に注目して、できるようにトライさせてみること、僕は全く否定しない。

でもこれにより本人のモチベーションを奪い、さらには他のことにも反発するようになるリスクが結構あるよなーと、マクロの視点からは見えることがある。

僕が言いたいのはココ。

※ミクロの視点では「絶対」じゃないのはご理解ください。「その子も絶対そう」ってわけじゃない。個々で見るほど例外は増える。この辺、統計学の話。

 

困った時の参考に

親御さんが「この子のために」と考え、行動する(させる)ことを僕は全く否定しない。

素晴らしいと思う。

愛情だと思うし。

むしろそんな姿が好きだから小児科医をやってるわけで。

 

その点、僕なんかは他人だ。

医者と患者としてのお付き合い。

すごくドライな関係なんですよ。

 

でもね。

だからこそ見える景色がある。

他人でドライだからこそ、見えるものがあるんだ。(もちろん、だからこそ見えないものもあるわけだけど)

 

少し離れた他人の視点から見える景色が、役に立つこともあると思う。

だから僕の話は、「アイツから見るとそう見えるんだ、へー」とポテチ食べながら聞いていただければと思う。

採用するか否かは、あなたが決めることだ。

 

これはお前の物語だ

 

アーロンも言ってるし。

 

 

関係ないけど、FF 10のアーロンと、HSP提唱者のアーロン博士って、アーロンかぶりよな。

あー、アーロンチェア欲しい。

あと魚人もチラつく。

pediatrician-p

View Comments

  •  P先生の視点は、自分の母に似ているなと時々思います。何々すべきがなくて、何々はしないであげてと、子育ての失敗から、事前に教えてもらえる。

     そして、親であっても、子供の事は実はあんまり見えてません。
     一番上の子の学校の先生が、将来の自分像や、友達からのメッセージの寄せ書きの手紙を授業中に書かせて、数年後の節目に渡して下さった事がありました。それを読んで、優しいいい子だけれどノンビリしてて引っ込み思案でいつでも自分の好きな事に夢中だと、母の私からは見えていた子が、友人達から頼られていた事に驚きました。子供を外で支えるのは、今まで自分で磨いてきた「好き」と「得意」なんだと思いました。

     子供にとって母親は困った時に話を聞いて欲しい相手ではあっても、学校で充実している時はわざわざ話したくない。そんな時間があったら家でしかできない事がしたいのは、ある程度大きくなったら当たり前かも知れませんね(たまにあった嬉しい事は話したくなっても、日常まではいちいち話したくない)。
     だから、もしかして、子供の悩みを聞いてあげるいいお母さんほど、子供のできない事をクローズアップしすぎて、なんとかしてあげないと思いすぎる傾向があるのかも知れないな、とも思います。

     
     それにしても、私が母から「あなたはハイハイも他も色んな事が遅かった。私(母)は忙しかったのもあって、あなた(私)を急かしてしまっていた。そのせいであなた(私)の動作が雑になったんじゃないかと思う。この子は急かさないで育ててあげて」と言われたのが、一番上の子の出産後に、里帰りから戻る直前(私が雑なのは育て方が原因かどうかは分かりませんが、母が、私の記憶にないくらい小さい頃に色々急かした事を、長い間後悔していたのは分かりました)。
     授業参観で、帰りの会の前のお片付けで、一番上の子の周りの女子達が、手分けして手際良くウチの子の荷物をランドセルに入れてくれるのを見て、あの子達には感謝しかないなあと思ったのが、小学校の4年生の時。
     この手紙を読んで、あの時帰り支度を手伝ってくれていた女子達には恩返しはできなかったけれど、他の友人達の助けにはなれていたんだ、恩送りって言うのはこういう事も含むんだろうなあと思ったのが、成長してもう滅多に帰ってこない子供の部屋を片付けて、手紙を見つけた時。

     誰からのどんなアドバイスであっても、取り入れるかどうかを決めるのは自分、なのは鉄則ですが、長期的な視点からのアドバイスが役に立ったのを実感できるのも、長い長い時間が経った後、というのは、よくある話ですね。

  • 先生のマクロ視点のブログのお陰で将来の不安がかなり減りました。私のミクロの視点だけでは子供を追い詰めて二次障害の確率を上げていました。いつも励みになるお話とクスッと笑えるブログありがとうございます。

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