今日はとっても抽象的な話。
「こんなことをボンヤリ考えました」ってだけで、結論とかない。
ボンヤリと、理論的に考えた。
そんな作業が個人的に好きなんですよ。
だもんで、一緒にボンヤリ考えようって人だけ読んでください。
そーゆうの好きじゃないわーって人は、オリンピックの応援をお願いします。
能力にデコボコのある子。
苦手なことを、どこまでやらせ、どこを回避するか。
これは非常に難しい問題で。
結局ケースバイケースなんだけど、でももうちょっと指標とかあったらいいなーって考えたんだ。
一般的に、おおよその人からの納得が得られる指標。
配慮が望めることは回避したらいいし、平等に評価されちゃう箇所は少し頑張った方がお得だし。
合理的配慮ってヤツね。
僕の大好きな言葉、『お得』。
お得に生きていけばいいと思うわけですよ。
能力のデコボコがある子は特に。
上手に、お得に、戦略的に。(プロ主婦の買い物術みたいだな)
閑話休題。
昨今ニュースになっているが、高校受験に男女格差があるらしい。
なんでも、女子が不利になるケースが多いんだそうな。
合格最低点が結構違うんだって。
同じ点数でも、男子は合格、女子は不合格! ってこと。
不公平だっ。
でね。
なぜこうなるかというと、女子の方が平均点が高いんだと。
全体的に女子の方が優秀なので、成績順に合格させると7割方女子になっちゃう。
バランスが崩れる。(そんなに女子トイレないし)
だもんで、男女比の調整のためにどうしても女子の方がボーダーラインが高くなる、というわけ。
ほう、興味深い。
医学部の女性差別は言語道断だが、高校入試、しかも公立校でこれは確かにどうなのか。
でも、じゃあどのように配慮したら合理的なのかと考えた。
自分が学長だとしたら、どう線引きする?
おおかたの人の同意が得られるライン。
これを議題とし、脳内会議を開始したわけです。(脳内にちっちゃい僕がいっぱい) (画的にキモい)
議論をシンプルにするため、ここでは合格ラインの差は男女の得点差に起因すると決める。
男女の定員数の偏りとか受験戦略事情とかは、ここでは無視ね。
単純に「女子の方が点数が高いから」ってことにする。
話進まんから。
なぜ女子の方が点数が高いのかというと、
このふたつが考えられる。
女子の方が能力的に優れる(IQが高い)ってわけではないと思うので。
実際は両方の理由が合併しているのだろう。
確かに成長発達は女子の方が早い。
女子の方が二次性徴が早く、おマセだ。
また、ちゃらんぽらんでも「まったくもう」で許されやすいのは男子で、女子は空気を読んでそれなりに勉強する。ような気がする。
女子は相対的に均質というか、みんなそれなりに真面目に頑張る。ような気がする。
教育や受験については門外漢なので、よく知らんけど。
まぁ、とにかくそういった理由で女子の方が平均得点が高い。
だからって機械的に得点で合否を決めると、7割が女子になってしまい男女のバランスが悪い。
どうしましょう?
この場合、どこを落とし所にするのが合理的か。
大多数からの納得が得られるか。
頼まれてもいないのに、勝手に考察しているわけです。
「事件は起きてないけど犯人を推理しよう!」的な。
コナンくんに怒られそうだ。
クリアカットに納得しやすい方法として、以下の2パターンを挙げる。
ウチの高校はこうしますよ! って発表したら、まぁなんとなくの納得は得られそうだ。
でも、それってホントに合理的? って話を以下に展開する。
そのまま。
機械的に得点順に合格。
その結果女子が7割になろうが9割になろうが、平等に得点順に入学させる。
これ、どうですか?
納得はいくけどバランスは悪い。
「受験生ひとり」という個人単位で考えると妥当だと思う。
でも、「男性」「女性」で考えると、不平等だ。
男子の平均点が低いなら、男性というだけでそもそも不利なわけ。
生まれついて不利。
そもそも男女で偏差値が異なるわけで、いっしょくたにするのは偏っている気もする。
オリンピックだって、男女別で分かれて競技するのは、男女の体格差、パワー差を考慮してのことでしょう?
もうちょっと、こう、配慮的な。
ねぇ?
募集人数を最初から分ける。
男子50人、女子50人。
男女で、募集の枠を分ける感じ。
これは一見納得できる。
ただ、よくよく考えるとこれもどうなのだろう。
この場合、きっと男女でボーダーラインが変わる。
おそらく女子のボーダーが高い。
「男子と女子」という観点では平等。
でも「受験生のAさん」という個人単位で考えると、不平等だ。
Aさんの得点は85点だった。
Aさんは女子だから不合格だったが、もし男子だったら合格していた。
これってどうなの?
そして、男女差のみにフォーカスするのも不平等な気がする。
4月生まれと3月生まれに差はないの?
家庭の経済格差(塾に行けたか等)の是正は?
さらにさらに、それこそ発達障害特性があると不利になるはずだけど、これは完全に自助努力?
こんな感じで、考えれば考えるほど、万人を納得させる配慮って存在し得ないと思うのだ。
そこから考えること。
今みなさんが直面している、苦手なことをどこまで頑張らせるか問題。
これも、クリアカットに「ここまでがんばれ」とは言えない、という結論になる。
どこまで配慮してもらえるか?
これが、その場その場で異なるからだ。
全員が納得する、「一般的にこの部分は配慮してもらえて、ここは配慮なしですっ」みたいなラインは存在し得ない。
すごーく配慮してもらえる場合もあるだろう。
その場合は、頑張らなくても(できなくても)問題ない。
頑張るのはむしろ無駄かもしれない。
まったく配慮がなされないシチュエーションもある。
この場合、なんとか形にしないと(つまり子供の頃からやらせていないと)損をすることになる。
現実は、この間のどこかだ。
現実は最高と最悪の間のどこかに着地するのだ。
めっちゃ配慮されてラッキー☆
ってこともあれば、
なんの配慮もないなんてひどすぎるぅ(泣)
ってこともあるだろう。
もちろん、その中間のことも多々ある。
そしてこれは、配慮する側が決定することであって、される側に選択権はない。
※配慮されやすい環境を選ぶとか、ダメ元で「困ってるんですぅ〜」ってお願いするのは非常に有効な手段だと思う。でも最終決定権は、あくまで配慮する側にある。
苦手なことをどこまでやらせるかって、最終的には「将来困らないように」が目標だ。
先々困らないように、可能なスキルは獲得しておきたい。
でも、「将来困らないかどうか」は、非常にボヤッとしている。
肝心のゴールがボンヤリしているのだ。
だから、どこまで頑張らせるか問題には答えがない。
時と場合によってゴールが異なる。
対策は難しい。
結局、ガチガチに考えないで、ケースバイケースで柔軟にネってことになるんだと思う。
二次障害を起こさないことを第一に、可能なスキルは獲得する。
持ち手は多いに越したことはない。
でも、手を増やすために再起不能になったら元も子もないってことだ。
それで将来困るかどうか。
気になります?
でも、先回りには限界があるだろう。
だって、将来その子に接する人がどの程度の配慮をしてくれるかは、今はまったくわからないのだから。
そして何より、もし困っちゃったらその子が自分の力でなんとかしますよ。
その場で、自分の力で考えます。
だから、先回りして転ばぬ杖をつくのは最小限に、本人の力を信じてほしい。
壁にぶち当たって切り開いていくのは、その子の人生の課題だ。
他の人に代わることはできない。
子供の人生は、子供のものだ。
View Comments
こんにちは。
いつも楽しく読んでおります。
初めてのコメントです。
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そしてこれは、配慮する側が決定することであって、される側に選択権はない。
※配慮されやすい環境を選ぶとか、ダメ元で「困ってるんですぅ〜」ってお願いするのは非常に有効な手段だと思う。でも最終決定権は、あくまで配慮する側にある。
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この部分にものすごく共感しました。
配慮する側もされる側も、このシンプルな感覚を持っていれば様々なトラブルが解決するのではないかと…
最近感じているモヤモヤが晴れ、スッキリしました!
ありがとうございました。