これを読んでいる方は、2人以上のお子さんがいらっしゃるのでしょう。
そして少なくとも1人は何らかの問題(発達障害や不登校など)を抱えている。
もう1人は、別段問題のない子かもしれない。
「お兄ちゃんは学校に行かないでずっとゲームしててずるい!
僕は学校に行っているんだから、その分夜中までゲームするっ!」
問題を抱えていない方のお子さんから、こんなふうに言われたとする。
あなただったらどう答えますか?
今日は診察室ではあまり話題に上らない、『きょうだい』の話。
さて冒頭の質問。
親として、何と答えましょう。
「なに言ってんの。学校は行くのが普通なのよ。」
うーん、これでは納得させられない気がする。
「あなたはお兄ちゃんみたいにならないでちょうだいね。」
これも違う気がする。
「学校に行くこととゲームは別よ。ゲームは決められた時間でね。」
こんな感じ? なんか違う?
あまりフォーカスされないが、困っている子の兄弟(姉妹)もまた、困っていることが多々ある。
ある程度の年齢になると、「お兄ちゃん、なんで学校に行かないの?」と疑問に思うようになる。
「お兄ちゃんだけずるい!」というのは自然な感情だろう。
「お兄ちゃんがこんなだから、迷惑かけないように僕はいい子でいなくちゃ」
「僕がお母さんを助けるんだ!」
子供は思っている以上に空気を読む。
健気に、両親に心配をかけないよう自分の主張を押し殺す子もいる。
「お母さん、お兄ちゃんの心配ばかりして、僕はほったらかし・・・」
「僕は要らない子なのかなぁ・・・」
親御さんが熱心であればあるほど、寂しい思いをしている。
不登校の例を出したが、発達障害や起立性調節障害、反抗挑戦性障害なんかでも同じだ。
問題のある子は手がかかる。
手が掛かる子に、親の目は向きやすい。
目を向けてもらえない子は、その小さな胸に不安と寂しさを抱えこんでいる可能性がある。
そういう目で見てあげてほしい。
無理にいい子に振舞っていないか。
気をひくためにわざと悪いことをしていないか。
心配かけまいと問題を抱え込んでいないか。
ふてくされ、心にフタをしていないか。
子どもはみんな、親が大好きだ。
その親を独り占めする患児は、きょうだいにとって疎ましいものだ。
でも、お兄ちゃんなんていらないとは言えない。
お母さんが悲しむのが分かっているから。
僕もいるよ。。。
自分も見て欲しい。
そんな気持ちが、「ずるい」という言葉になって出てきたのが冒頭の発言だと思う。(本人は自覚していない。自分の気持ちを言葉にする語彙なんて、ないのが普通。)
だから、僕だったらこう答える。
「君は毎日学校へ行って、頑張っているのを知っているよ。
しんどいこともあるよね。
君もしんどい日には休んでもいいんだよ。」
冒頭の発言の真意は、兄を貶めることではなく、自分の頑張りを認めてほしいのだろう。
兄と比較してはいるものの、一番言いたいのは「自分は毎日学校に行っている」だと思う。
頑張ってるんだからご褒美をちょうだい、つまり認めて評価してほしい、ってことだろう。
患児が多感なように、きょうだいも多感だ。
色々な感情を持って生きている。
表面上は問題なさそうに見えても、身近に患児がいれば自分と比べる。
明らかに差があれば、その差をずるいと思うものだ。
物事全般そうだが、表面化するまでは問題に気付きづらい。
患児は表面化しているから受診しているわけだが、問題が起きていないきょうだいに問題がないとは言えない。
押し殺しているかもしれない。
隠しているかもしれない。
ひとりで泣いているかもしれない。
そんな目で見てあげてほしい。
そして「あなたのことを見ているよ」というメッセージを発してあげてほしい。
学校に行くの、大変だよね。
疲れる日もあるよね。
頑張ってること知ってるよ。
お兄ちゃんの受診で不在にしてごめんね。
今度の運動会、楽しみにしてるね。
今回のテスト、すごくがんばったね。
今日はあなたの好きな唐揚げを作ったよ。
日曜日、お母さんと2人きりで出かけよっか!
お母さんが自分を見ていてくれる。
その安心感は何物にも代えがたい。
その安心感があれば、きょうだいは頑張れる。
お兄ちゃんと比較する必要はない。
だってお母さんは僕のことを見ていてくれる。
お母さん大変そうだから、自分で明日の準備をやっちゃおうかな。
ゲームも言われたらすぐやめるよ、約束だもん。
お母さん、僕リレーの選手に選ばれたんだよ。
お母さん喜んでくれるかな……。