起立性調節障害(OD)の子は、痛みを訴えることが多い。
あちこち痛いって言うんだよ。
ちょっとだけ(ほんのちょっとだけね)、ウソつけって思う。
さっさと起きなさい!
ちょっと大げさじゃない?
サボる口実で言ってるんじゃないの?
そう思われることも多いようだ。
実際、起立性調節障害は「なまけ病」とか「サボり病」とか言われてきた。
『痛み』ってブラックボックスだ。
『痛い』という感覚は、その人固有のもの。
本人にしか分からない。
どのくらい痛いか、どんな風に痛いか、他の人には分かりようがない。
『痛み』は主観だ。
同じ疾患、例えば虫垂炎(盲腸)でも、めっちゃ痛がる人と、案外ケロっとした人とがいる。
目の前に、お腹の痛みで救急搬送された人がいるとする。
めっちゃ痛がってる。
でも、検査では異常が見つからない。
でもめっちゃ痛そう!
本当に痛いの?
なんで痛いの?
いっそお腹を開けて中を見たい!
研修医の頃、こんなことがよくあった。
「すごく痛そう」というのはわかっても、数値化できないし、一様に扱うことができない。
本当にすごく痛いのかもしれないし、痛みに弱い人ってだけで実は大したことないのかもしれない。
痛みって本人にしか分からないものだ。
起立性調節障害の子は、『痛み』を頻繁に訴える。
頭痛、腹痛、生理痛、胸痛、関節痛……。
あちこち痛い。
でも、その感覚は彼/彼女にしか分からないわけで。
どう扱っていいのか、困ってしまう。
僕はそんなとき、
本人が痛いって言うなら痛いんだ!
と扱う。
痛いって言うんだもん。
痛いんだよ。
大げさじゃない?
そう思ってしまう気持ちもわかる。
でも、痛いんですよ。
そういうことにしておいてください。
さて、突然ですがそこのあなた。
あなたは今、どこか痛いところがありますか?
身体に意識を向けてみると、多分どこかしら『痛い』部分があると思う。
この人は、「そういえば」程度の軽ーい頭痛。
他にも、3日前に足をくじいたとか、虫刺されの傷とか、小さなやけどとか、ちょっとした腰痛とか。
『痛い』、もしくは『だるい』という感覚は、多少なりともあるのではないでしょうか。
今日は朝から絶好調!
身体が羽根のように軽く、どこにも1ミリも不調がない!
そんな日は月に数回程度じゃないですか?
でね。
今意識して初めて気づいたその『痛み』や『だるさ』。
ちょっと注意を続けてください。
そうそう、痛いところに集中して。
だんだん大きくなってきません?
「ココ痛いな」と思うと、強く痛むようになってきません?
「なんかだるい」と思うと、もっとだるくなりません?
言われなければ気にも留めなかった程度の身体の不調が、意識すると大きくなる。
痛みはやっぱり『ある』んだと思う。
別のことに意識が向いているから、気付かないだけで。
テンション上がってるときの傷って、気づかなかったりするじゃん?
飲み会の翌日、記憶のないアザの痛みに首を捻るじゃん?(僕だけ?)
アドレナリンが出ているときって、痛みに気付かないんだと思う。
だから、『痛み』は確かにそこにあって。
ODのその子は、『痛み』に注目しまくっているがゆえに大きく感じているのだと思う。
ほら、ODとアドレナリンって正反対な感じがするでしょ?
続けて想像してください。
今、言われて初めて感じたこの軽い頭痛。
「この世界が嫌なことばっかり」としたら、どうなる?
「仕事ダルいわー」
「料理したくないわー」
「この世はクソだわー」
と、あなたは感じていると仮定する。
どうですか?
頭痛、ひどくなりません?
僕はなるんだ。
あくまで想像なんだけど、それでも確かに痛みが増幅する。
「ちょっとした頭痛」だったはずが、「結構な頭痛」に進化する。
アタマ痛いから、今日は何もする気が起きないわー。
そう思わない?
多分、OD児の『痛み』ってこんな感じなのかと。
『痛み』は確かにそこにあって。
加えて自分を取り巻く環境に積極的になれない(イヤだなーと思っている)から、痛みが増幅する。
だから、すごく痛い。
めっちゃ痛い。
とにかく痛い。
痛いから、今日は学校へ行けない!
そそそそうだよ、学校に行けないのは痛みのせいだよ。
僕は行きたいと思ってるんだけどね。
どうしても頭痛がね。
僕は「学校を休みたい」なんて考えるようなダメな子じゃないよ。
全部頭痛のせいなんだよ!
「学校がしんどいから行きたくない」より、「頭痛のせいで、行きたいのに行けない」と解釈する方が、精神衛生上ずっといい。
「頭痛のせいで」
そう思えば思うほど、さらに頭痛が悪化する。
疾病利得という。
だから治療はしたくない。
もらった薬も飲まないよ。
だって、頭痛が治ったら学校に行かなきゃじゃん!
往々にして、検査や治療を拒否する。
頭が痛いって騒ぐ割に、薬は飲まないし、夜更かししてるし。
そして案の定、『頭痛』が使えなくなった場合は別の『痛み』が首をもたげる。
腹痛、腰痛、胸痛、生理痛……。
こうしてイタイイタイ病になっていく。
そしてこれは無意識だ。
本人は本気で、「痛いから学校に行けない」と思っている。
だから疾病利得を指摘しても、絶対に認めない。
本当は学校から逃げてるんでしょ!
こんなことを言っても、あんまりいい結果にはならなそうだ。
痛みは、『ある』。
確かにそこに『ある』。
そして、痛みを増幅させざるを得ない事情も、その子に『ある』。
だからめっちゃ痛い。
本人はめちゃめちゃ痛い。
これは事実だ。
増幅させちゃった理由も含め、痛みは『ある』ものとして接してあげてほしいと思う。
嘘つき呼ばわりしないであげてほしいなと、僕は思う。
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本人、学校が辛いから痛くなるんだってもしわかっても(続けば自分でも本当はわかりますよね)、自力で痛みは止められない。きちんとその後のビジョンを持たない指摘はむしろ、関係を悪化させる気がします。親は気がついても、黙ったままで考えるのが、多くの場合一番なんでしょうね。
自分の初めての子供が3歳から5歳くらいの時に、母に「自分の子と戦ってはダメ」と言われました。アドバイスはその一言で終わりで、それに比べるとP先生のブログは本当に懇切丁寧だと感じます。後でじわじわ言葉の意味がわかってきたので、母にも感謝はしてます。
腹痛で学校を欠席した日に、なんとタイムリーな記事!!とビックリしました。
「明日学校行きたくないなー、休みたいなー」と言っていると、息子は、翌朝、本当に頭痛や腹痛になります。
その様子は本当に辛そうで、演技には見えないので、薬を飲ませ、横になって休もうねと声を掛けます。
でも、内心、行きたくない気持ちがそうさせてるんだろうな、嘘じゃないだろうけど大袈裟過ぎじゃないか…とタメ息が出る気持ちです。
しかし、そんな時に限って、「欠席したくない。少し横になったら遅刻して行く。休むと後が面倒な課題とかの日だから」と言ったりします。
しばらくして様子を見にいくと熟睡しているので、「どうする?欠席する?」と確認すると、「行きたいけど、欠席にしようかな」と答える感じです。
本当は行く気があるのか、ないのか、息子の気持ちが分からず混乱してしまいます。
しかし、P先生の記事を読んで納得しました。
そして、良い意味で諦める事ができました。
やっぱり気持ちがそうさせるんだな、と。
休養を求めているんだな、と。
こちらのブログ、1年程前から読ませていただいてます。
辛い時は、何度も記事を読んで、心の支えにしています。
P先生、ありがとうございます!
いつも勉強させていただいおります。今回の痛みの話は本当に納得できました。うちの息子も学校が近づいたり家を出ると「気持ち悪い」とか「頭痛い」とか言います。こっちは「またか」と思ってしまうんですよね。でも本人は本当に苦しいんですよね。それはその現状を含めの苦しみ…と思えば納得です。
いつも大切な気付きをありがとうございます!