自分にしかできないこと。
自分にしか出せない色。
得意なこと。
アピールポイント。
……うん。
どーでもいいよね!
前回の話。
これはこれで、そうなんだよ。
あなたのままでいいし、それが一番魅力的。
でもさ。
「そんなこと言ったって、自分(ウチの子)にはアピールできる美点なんて何もない。」
そう思いません?
僕は思った。
そりゃいいよ、何か見つけた人は。
スポーツでも勉強でも芸術でも、何か一つでも「自分はコレ」ってものがあればいいでしょうよ。
でもさでもさ。
オレ何もねーもん!
平均を越えるものなんて何もねーもん!
神様のバカッ!!!
「ありのままで」「そのままでいいよ」的な話を聞くと、斜に構えてしまう。
あーあそんな綺麗事。
どうせ自分なんか。
はいはいエルサエルサ。
その一方で、「自分だけの色」を見つけた人を見るとまぶしくて。
自分も何者かにならなくちゃ。
他の人にはできない、なにかこう、デッカイことをしなければ。
『将来ビッグになる!』
そうは言ってみたものの、何をしても芽は出ない。
それ以前に、頭でっかちに考え込んでばかりで、何も行動しない。
芽なんか出るわけない。
自分なんて、この世にいてもいなくてもどっちでもいいんじゃないか……とか思ったり。
ところで。
この社会を見渡して、「この人じゃなきゃ」って仕事をしてる人、どのくらいいます?
例えば、僕の仕事は小児科医なんだけど。
中でも子どものこころとか発達とか思春期とか、結構センシティブな内容を扱ってるんだけど。
でも『僕に』診て欲しいと思って通院している患者さんって、1割くらいだと思う。
残りの9割は、有り体に言えば「誰でもいい」。
誰でもっていうか、「変な人じゃなければそれでいい」。
話を聞いてくれればいいとか、とりあえず否定しないでほしいとか、常識的なアドバイスが欲しいだけとか。
『僕』である必要ってなくて。
他の仕事をけなすつもりは本気で全然ないから誤解しないで欲しいんだけど。
職業に貴賤なしと本気の本気で思ってる。
その前提で。
僕の仕事って結構人を選ぶと思う。
それでも『僕』を必要としている人は1割くらいで。
大多数は、僕じゃなくてもいい。
僕でもいいし、僕じゃなくてもいい。
他の職業、例えば何か購入するときに、「絶対にこの人から買いたい!」と思うこと、そんなに多くなくない?
売ってくれる人は必要だし、商品知識は豊富な方がよい。
でも、「絶対にこの人じゃなきゃ」ってことは、あまりない。
この人の接客じゃなきゃとか、この人の製造したモノがいいとか。
少なくとも僕はあまり感じない。
職業人に対するリスペクトはあるけど(今の便利な生活は誰かの仕事で成り立っているわけで)、でも「人」に対するこだわりは、さほどない。
正直に言う。
僕はこの分野の診療を始めた当初、「僕のところに来てよかったと思ってもらいたい」と思っていた。
僕にしかできない価値を提供しなきゃ、と。
でも、ある時気付いた。
「あれ、僕じゃなくてもよくね?」
誰でもいいし、僕でもいい。
僕じゃなくても成立するし、同時に僕でも大丈夫。
うまく説明できないけど。
とにかく、気負う必要はないんじゃない? と思った。
「自分じゃなきゃいけない度」の強さって、人によって差があると思う。
どういうこと?
自分および近しい人には、「自分」じゃなきゃいけない。
家族とかね。
「今まではアケミが妹だったけど、今日からケイコに替わります」とか、無理でしょう。
で、自分から遠ければ遠いほど、「自分じゃなくていい」んじゃないかな。
①自分 ②家族 ③友達・同僚 ④他人
自分度高 ← ← ← → → → 自分度低
こんなイメージ。
この順で、優先順位をつけたらいいんじゃないかな。
例えば優先順位1番の「自分」。
自分のためには自分が楽しむ必要がある。
自分以外の人が自分を満足させるって難しい。
バクチに近い。
だから、自分のためには自分ファーストで行動する。
この人たちは、自分という「個」を見てくれる。
ありのままの自分で接していいし、その中から自分にしかない良さを見つけ出してくれるでしょう。
ありのままの姿を見せたほうが、むしろよい。
エルサ推奨。
この人たちに嫌われることはしないほうがいいと思うし。
で、その他の人。
仕事で接する人とか、顔見知り程度とかも含む。
「世間は」とか、「みんなは」とかの受け皿になる人。
この人たちは、どーでもいいんじゃない?
少なくともあなたという「個」は見ていない。
そんな認識であなたを見てる。
この人たちに、「自分らしく」とか考えなくていいんじゃない? ってこと。
「同じ学年の一人」として振る舞えばよい。
それって守備範囲広いよ?
大抵のことをして大丈夫よ?
成人後、社会に出て接する人って、この層が大多数。
その人相手に「自分にしかない色」とかしなくても、問題なくない?
むしろそれが出来るのって、芸能人とか一部のタレント性がある人だけだと思う。
大多数が「〇〇会社の人」「営業部の人」「派遣さん」「取引先の人」「家電量販店の人」とかだと思うんだ。
じゃあ、「自分だけの」とか、要らなくね?
少なくとも仕事とか世間とかの視点で見たら、要らないと思うんだ。
あなたじゃなくていい。
ネガティブなようで、めっちゃポジティブな言葉だと思う。
「自分だけの〇〇」
そんな綺麗事の呪縛から自由になっていいんだと思う。
とりあえず僕には何もないけど、特に困っていない。
View Comments
元不登校児です。
小5から不登校をしてギリギリで高校を卒業。
25歳くらいまでは自傷がひどく死ぬ事ばかりかんがえてたかも(いわゆる二次障害ってやつかな。本気で死ぬつもりはなかったと思う、運悪くほんとに死ねたらいいなくらいのへなちょこ未遂ばかり。)
結構な私でしたが、今では母になり、私なりに幸せに過ごしてます。
P先生の考え方、すきです。
今は先生の言っているような考えを、私自身にしてあげれているので、だいぶ楽に生きてます。
あの頃、先生のような大人に会えていれば、もっと早く楽に生きられたのかな?と。
でもタイミングが違ったかもだから同じだったかな?とも思ったり。
そして母になった今、子供の現状を受け入れられず、バタバタしちゃう親の気持ちもわかる。
今我が子は幼児なので公には困ってないですが、今見えてる性格と私の子である点から、将来的に困ってくる確率は高い!(恐ろしいです。私みたいな子を私は育てられない。)
自分とは同じになってほしくない思いから、当人とは違うところで私はバタバタするだろうなと思う。
子供には子供のペースがあることを私は忘れちゃうと思う。
そんなときはこのブログを読み直したいと思っています。
今2巡3巡と読んでます、忘れたくないテーマがいっぱい!
だからお願いです。
私がこのブログを忘れないよう祈っててほしいのと、我が子が自立するまで(っていつ?2.30年あれば足りる?)このブログが読めるようにしててください。(笑)
よろしくお願いします!
今回、前回、前々回と、自己肯定感が低い自分にとても響く内容でした。
この内容をうまく子供達に伝えるのが難しいですね。
私は母との関係から既に嫌われないよう様子を伺っていたし、努力してギリギリできた事も「余裕ですけど何か?のびしろ?まだまだありますよ!」っていう態度で自分を追い込んでしまい、結局は先生や上司から「もっといけると期待してたけど…」って言われて落ち込むという流れでした…。
空気を読んで作った虚像だったのに、本当の自分も傷ついちゃうんですよね。
今回の記事と私の経験から思ったことは、
自分の本音と違う行動をしてしまって辛いなら本音と向き合うこと。
自分を良く見せようとしたり、自分自身に過剰な期待をかけるのをやめること。
相手が自分に期待してくれてると考え過ぎない。期待してくれててもそれは相手が勝手に思ってることで、自分が応えるかどうかは別問題ということ。
自己肯定感を知る前は、こんな自己中な人ヤバイと思っていたけど、結局は自分というの軸足がしっかりする事で、踏み込むか引っ込めるか選択できるという事なんでしょうね。
読ませていただき励まされる思いだったのに、
なんか最近違う。
先生、医者ですよね。
頭相当いいですよね。
ちょっと本気出して勉強しても多くの人間は医者にはなれない。だから皆が尊敬もするわけで。
平均越えてるあなたがなんにもねー!っていったら、
底辺にいる人間はないの下?マイナス?
励まされていたけど、なんかびっくりするくらい冷めました。
先生のところに受診しにくる患者さんたちは、きっと
先生に診てもらってよかったと思っているのではないでしょうか。
この先生に出会えてよかったと思っているのではないでしょうか。
私は先生にお会いしたこともないしどの病院の先生なのかも全く知りませんが
このブログにたどりついて本当によかったと思っています。
いつもありがとうございます。