IQが低い子は授業がしんどい、これは理解しやすいと思う。
ではIQが高い子は?
これが、案外しんどい。
想像しにくいでしょう?
今日は高IQの話。
IQ、知能指数。
100を平均とし、80〜120の間に大多数の人が入る。
平均付近の人数が多く、端の方へいくほど少なくなる。
正規分布という。
IQ120以上の子は、クラスに1人か2人程度だと思われる。
どの子かな?
「秀才で有名なあの子よね、きっと。」
そうとも限らない。
高IQの子がみんなクラス1の天才かというと、そんなことはない。
あまり目立たない、何を考えているかよくわからない子、であることも多い。
なぜか?
高IQの子は、いろんな能力が全体的に高いわけではなく、突出した何かが点数を押し上げていることが多い。
先日説明したWISCでは、4領域に分けて点数を見ている。
例えば
分野A:IQ110
分野B:IQ170
分野C:IQ140
分野D:IQ100
で、トータルのIQ130、なんてことがある。
これはどんな子か、説明する。
まず分野Bの突出が目につくと思う。
分野Bに関連する授業は、すさまじく退屈だ。
聞かなくても全部わかるし、彼/彼女には当たり前すぎて興味を惹かれない。
高校生が小学校の授業に参加している感じ。
なので、授業は聞いていない。
他の分野については、そこまで優れているわけではなかったりする。
でも分野Bが強すぎて、無意識に分野Bの手法で別の分野を扱おうとする。
例えば、図形の把握が秀でている子。
漢字もぱっと見の形で『図形として』捉えるので、書き取りに意味が見出せない。
書いて覚えるという発想がないのだ。
すると、書き取りの課題は全くできない。
まるで興味がない。
さらに、能力を使わないことによって、『素早く正確に書き写すスキル』が低下する。
彼/彼女の中ではもともと苦手な分野なのだが、さらに苦手になる。
このように、能力に凸凹があることが多い。
すると、学校はその子の知的好奇心を満たす場所ではなくなる。
こういった子たちをどう扱うか。
正直、日本ではよい制度がない。
知的に低い子へのフォロー体制はあるが、高い子向けのそれはないことが多い。
なので彼/彼女の知的好奇心を満たす内容を、親御さんに提供してもらうようお願いしている。
実験教室に参加したり、
博物館や美術館に行ったり、
気になることを一緒に調べたり、
創作活動をしたり。
その子にあった学習方法が必要となる。
外国では、こういった子たちは『ギフテッド』と呼ばれ、特別なクラスに入ったりする。
gifted、神様から与えられた特別な才能だから、その能力を伸ばしていこう。
素敵な考え方だと思う。
IQに捉われず、特別な才能を持った子には、特別な教育を与える。
得意なことを伸ばしていく。
生まれ持った才能を十分に伸ばしていく環境は、ギフテッドに限らずみんなに必要だと思う。
人はみんな別の能力を持った別の人格である。
お互いがお互いの才能を認め、尊重する。
当たり前のようにそう認識できると、発達障害児も健常児も、大人も子供も、みんなが生きやすい社会になると、僕は思う。