自己肯定感自己肯定感って散々書いてる。
大事なのは自己肯定感。
手洗い・うがい・自己肯定感。
草薙剣・八咫鏡・自己肯定感。
グー・チョキ・自己肯定感。
こと左様に自己肯定感が大事なんだけど。
ところで自己肯定感って何?
自己肯定感
自らの在り方を積極的に評価できる感情、自らの価値や存在意義を肯定できる感情などを意味する言葉。
多義的に用いられることが少なくなく、結果としてあらゆる肯定的な心理的要素を表現する包括的名称となっているという指摘がある。
(Wikipedia)
わかった?
僕は全然わからん。
正直、定義とかよく分からずに使ってる。
ここでは「ぼくのかんがえたさいきょうのじここうていかん」、つまり僕の解釈、つまりこのブログでの使い方について説明する。
この図を見て欲しい。
自己肯定感が低い人の図なんだけど。
すごい完成度。自分でドン引き。
ピンクの線が、「人としての最低ライン」みたいなイメージ。
「人としてあるべき姿」とか、「幸せを受け取る権利」のラインって感じ。
最低限この線は超えてくるのが普通で、それ以下の人には価値がない。(もちろんそんなライン存在しないんだけど、自己肯定感の低い人はそう捉えるってこと)
ここでは『普通ライン』と名付ける。
自己肯定感の低い人は、大前提としてこの線より下に、自分がいる。
これは無意識。
無意識に、当然に、自分は普通より下と思ってるのが自己肯定感の低い人。
するとどうなるか。
スゲー頑張るんですよ。
普通ラインより上に行きたいから。
自己肯定感の低い人って、〇〇ができなきゃ価値がない、みたいに考えている。
「勉強できなくちゃ」「仕事で成果を残さないと」「彼に大事にされている」「みんなの人気者」「ある程度のお金がある」「子供を立派に育てたちゃんとした母」とか。
これを『依存』と呼ぶ。
この、自分の思う依存した何かがクリアできている時は、自分が普通ライン(ピンクの線)より上にいると思える。
普通ラインより上にいれば、幸せになる権利があるし、安心できる。
だから絶対に依存先の何かを手放したくない。
まぁ『依存』ですよね。
で。
人間、いつでも思うような結果を出せるわけじゃなくて。
思うように成績が伸びないとか、友達とうまくいかないとか、仕事でやらかしたとか、彼氏にフラれたとか、子供がグレたとか。
まぁありますよね。全然ある。
自分の思う何かを持っていないとき、もともとの立ち位置、つまり普通ラインより下に自分は存在するわけです。
するとどうなるか。
自罰的になる。
「こんなダメな自分は苦労して当然」
「自分の努力が足りなかったからこうなった、仕方ない」
「こんな自分が楽しんじゃいけない」
「自分なんてこんなものだ」
自分の思う自分、つまり普通より下の価値のない自分と、整合性を取ろうとする。
価値のない自分は不幸であるべきで、幸せを受け取ってはいけない。
「自分は不登校なのだから、日々の生活を楽しんではいけない」とかまさにそう。
客観的に見ると、不登校でも家で楽しくすごす権利は当然ある。
不登校とか関係なしに、自分の時間を楽しく使っていいに決まってる。
でも、そうしない。
困ったこと、辛いこと、嫌なこと。甘んじて受け入れる。
ダメな自分は苦しんで当然。
そうじゃないと整合性が取れない。
ダメな自分は幸せになっちゃいけない。
困ったことを解決する日々の小さな創意工夫とかも、やっちゃダメ。
そう自分に課す。
だから生きづらい。
幸せを受け取るためには、自分で設定したハードルを越えないといけない。
でもハードルは高くて超えられない。
今の自分は普通ラインより下だから、幸せになってはいけない。
自己肯定感が低いと、この2択となる。
どちらを選んでもしんどい。
次。
自己肯定感の高い人の図。
だから完成度。ヒデーな。
さっきと逆で、自分は普通ラインより上にいるのが当たり前。
ってゆーか、人類全員普通ラインより上でしょ?
フツーにそうでしょ?
むしろ普通ラインって何?
そんな評価のラインなんて気にしたことないし、キョーミないし。
自分は当たり前に価値がある。
自分はみんなに好かれている。
勉強したければするし、嫌ならやめるし。
せっかく不登校なら、家で思う存分楽しもう!
仕事? まぁとりあえずやってみるよ、きっとうまくいくでしょ。
失敗した? まぁそういうこともあるよね、次行ってみよー!
「〇〇できなきゃ」っていうラインがない。
これも無意識に。
自分は劣っているという発想が、そもそもない。
同時に優れているという発想もない。
優劣とか評価とか、気にしてない。
自分のやりたいことを、当たり前にやる。
欲しい幸せはフツーにつかみに行く。
そんなイメージ。
発達障害とかHSCとか、少数派の人。
そもそも、普通にしてても生きづらい人。
この人たちはとくに自己肯定感が大事になってくると思う。
なんで?
次回その話。
View Comments
いつもありがとうございます。
絵が最高すぎます。ピンクの線が見えてしまう私を見えない夫がいつも励ましてくれます。幸せです。
絵を褒めていただけたのが本当に嬉しいです(笑)
素敵な旦那さんですね。お幸せに。
自己肯定感を調べてもしっかり理解できず、行き詰まっていたので、分かりやすく書いていただき本当にありがたいです!
引用されてる定義のようなものは何度読んでもダメなのですが、先生の説明だと難しい言葉がないため文章が読みやすく、すっと入ってくるので私にも理解しやすくとても助かります。
今まで前者が当たり前だと本気で思っていました…
後者は、才能があるか努力していたり、環境に恵まれていたり、そうでなければなぜか自信のある人だと思っていました。
すでに自己肯定感が低い発達障害の子の自己肯定感は上がるのでしょうか…
次の記事を楽しみに待っています。
すごく、分かりやすく心に響きます。
お子の話ではなくて申し訳ないのですが、
妊娠前仕事してた時、自己肯定感……なんて、考えもつかなくて、がむしゃらに頑張り、心身を壊しました、主に心を壊しましたね。
正に、完成度の素敵な絵の、自己肯定感の低い人、そのものでした。
妊娠出産を経て、この出産直後は正に、
自己肯定感……って何?自己を肯定するなんてマジなくない?自己肯定感高い人なんているわけないじゃん。マジ意味分かんない……と、本当にそんな感じだったのです。
育児がシンドくなり、希死念慮に支配され、保健センターやら、保健所やらでお世話になり、カウンセリングを受けて、挫折して、ここまでで……4年経過……(ノ∀`)アチャー そして、挫折してますね( ˊᵕˋ ;)💦
その後、我が子の通ったこども園で知り合った方々に支えられ、更に3年後に別のカウンセラーと出会い、気付いたら、完成度の素敵な、自己肯定感の高い人……になっていました。
我が子は、自己肯定感が高いと、いいなあ……笑
わたしは、今はもう……自分を責めることも忘れて、好きに楽しく生きています笑
このことを思い出せたのも、このblogのおかげです。
先生の表現力の素晴らしさ…文章の引き込まれるような楽しさに、いつも救われています。本当にありがとうございます。
P先生こんばんは!
先生の自己肯定感の説明、とても分かりやすいです。
そう、私もいつも何か努力をして目指さなければいけない線があるんですよね。
そしてその線は1つでなくて、勉強はぼちぼち線を越えたと思っても、今度は勉強できても可愛くない…とか、今度は化粧が上手になってちょっと垢抜けたかも?と思うと、会話が下手だな…とか。
どうしても私は自分を幸せな人間って思えないのです。
私もすごく母の何気ない発言から世間の目を勝手に感じていたようです。
母は好みの女性像に色々ブームがあり、目につくテレビやクラスメイトの子についてあっけらかんとダメ出しする人です。
別に母はこの線目指しなさい!とは言ってないですけど、私が勝手に色々な線を設定し勝手に頑張ってしまっていたのですよね。
HSCの息子も小1で既に回りからの評価をとても気にするタイプで、所謂外面を作って過ごし、家では疲れ果てて癇癪を起こしたりもします。
少しでも息子が心穏やかに過ごせるよう、自己肯定感を育てられるといいなと思います。
自己肯定感を持っている人にとっては、
普通のライン という認識すらないのか?! と驚きました。
今までずっと普通のラインにたどり着きたい と必死に頑張ってきました。
自分はマイナスに居るので せめてゼロにたどり着きたいって。
発達障害もちです 次回の記事楽しみにしてます☆
優劣を気にして、自分(もしくは我が子)線の上だと思っていると、簡単にそんな線、何重にもなってどんどん上がいることに気づいて、ふとした時に地獄に陥りますよね。
線は点線、もしくは透明、そんなもん無し!
めっちゃ納得しました!
娘が不登校である、という事実や、時間はかかってもいつかは元気になるだろう、ということは理解し飲み込めるようになったのですが、何か得体の知れない不安感が、毎日襲ってきて、生きにくさを感じる日々です。
「自分は、自己肯定感が低く、人生うまく回ってるときは余裕かましてるんだけど、つまづくととたんに自己肯定感の低さが露呈して、全く自信がなくなって苦しい」
と、周囲に説明していたのですが、まさに!
頑張っても全然成果がでない、娘の不登校という問題。これにぶち当たって、ヒューンとラインの下に落っこちたんだと思います。
そっか。子供だけじゃなく、私の自己肯定感を上げてくことが課題だったんだ!
次回、その方法もちょっと具体的にアドバイスもらえたら、、、と期待してますm(__)m