HSCの子です。
全部完璧に解けないと自分はダメだと思うのでしょう。
ふてくされたり大声を出したり。
解けない問題は飛ばせばいいと思うんですけど……。
飛ばした問題が気になって、他の問題も手につかなくなる。
HSCは基本的に完璧主義だ。
出された課題は完璧に仕上げないと気が済まない。
そして周囲からは勉強ができると思われたい。
「アイツ成績悪い」と思われるなんて耐えられない!
そんな気持ちもあり、完璧を目指して必要以上に頑張ってしまう。
「勉強ができないとダメってことは、成績の悪いクラスメートのこともダメなやつって思うの?」
でも自分は勉強できないといけない。
他の人は成績が悪くても許されるが、自分だけは勉強ができないとバカにされる。
そんな矛盾した主張をすることも珍しくない。
出来なくてもいいんだよって言うと、余計怒っちゃうし。
どうすれば?
さて、どうしましょう?
僕はHSCの特性を踏まえ、理屈でねじ伏せることをお勧めしている。
どういうこと?
例えばこの子だとこうだ。
君は、勉強ができない自分に価値がないと思ってるよね?
クラスのみんなが自分をバカにするって思ってる。
でも実際は全然そんなことなくて。
正直、君の成績なんてみんなどーでもいいんだ。
全然見てない。
君はHSCだから他の子の成績が気になるかもしれないけど、他のHSCじゃない子って、正直全然気にしてない。
他人の成績なんて見てないんだよ。
納得できないのはわかってる。
でも知識として、「多くの人は他人の成績なんて気にしない」って頭の片隅に入れておいてね。
こんな感じ。
HSCはその鋭い観察眼で、周囲をよく見ている。
この子自身が他の子の成績を把握しているからこそ、「自分も同様に把握されている」と思うのだろう。
でも実際そうかというと、そんなことはないですよね。
他人の成績なんてキョーミない! って子が大多数だろう。
それを、知識として教え込む。
もちろん納得しない。
彼の感覚ではそんなことはありえないから。
納得できないのは承知だ。
でも、時間が立つとわかってくる。
HSCだ。
周囲をよく観察している。
「あれ? みんなやっぱり人の成績なんて気にしてないのでは?」
そう考えないと辻褄が合わない出来事に出くわすことがあるだろう。(だって実際そうなのだから)
HSCだ、よく分析する。
「すると、世間一般の人って他人の成績なんて見ていない人が大多数なのでは?」
「ってことはつまり、人の顔色を読んだり、状況をよく見て行動したり、物事を深く分析したりも、他の人はやっていない?」
「つまり自分もそこまで頑張る必要はないってこと?」
HSCだからね。
注意深く観察し、深く分析するのは得意だ。
なんたってHSCだから。
他のことでも同じ。
その男子は「他の人に迷惑」とか「先生困ってる」とか考えてないんだよ。
ルール違反は承知で、でも「ま、いっか」って思ってるんだよ。
その先困るとか特に考えてないんだよ。
知識でねじ伏せる。
理屈でねじ伏せる。
だって実際の世の中はそう(非HSC寄り)なんだから。
自分とは感覚が違うけど、みんな「そう」なんだ。
そう思えると、じゃあ自分はどう行動しようかという作戦が立てられる。
同意は難しい。(HSCは感覚が違うから。実感して同意することはできないだろう。)
でも理解はできる。
理屈でねじ伏せる。
幸いHSCという概念が市民権を得つつある。
そんな情報が簡単に手に入る時代だ。
自分はHSCなんだと納得したら、次は知識としてHSCの特徴を仕入れる。
頭で理解する。
不本意なこと、納得できないこと、ショックだったこと、同意できないこと。
理屈でねじ伏せる。
これができるとすごく生きやすくなると思う。
今回は悪い部分に焦点を当てて書いたが、良い点も同じ。
↓これとか
HSCだからこそ持つ繊細な感覚や感情。
雨の匂いとか、食事の幸福、空の色、季節の風……。
そんなものを深く味わえるのはHSCゆえ。
他の人はそんなにハッピーになれない。
「自分の空は自分だけのもの」
そう知識として持っていると、目一杯ハッピーに浸れると思う。
HSCってめんどくさいけど、誰よりハッピーになる才能を持った人種だと僕は思う。
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リブログさせて下さい🙇♀️
医学的な話ではなくあくまで僕の個人的な見解です。
ご了承いただけるならリブログ・引用などご自由にしていただいて構いません。
いつも読ませて頂いています。今回の記事は特に心に響きました。周りから見られている自分、とても気にします。そんなことないよ?がなかなか受け入れてもらえずでしたが、本人が少しでも楽になるよう、「そう思ってしまう」ことは受け止めつつ、理屈、理論、取り入れていきたいなと思いました!ありがとうございます^ ^
「そう思ってしまう」んですよねー。
もう仕様です。
それはそれとして受け止めつつ、理屈や知識も教えてあげられるといいと僕は思います。
『知識として』これはいい事を教えていただきました。
そんなもんだよ、みんな意外と気にしてないんだよと言っても言っても響かない娘なので、娘の気持ちに共感しつつら次からは「知識として』を多用していこうと思います。
「知識として」ですよね。
すぐには納得できなくても、「知識として」知っているかどうかでだいぶ違うと僕は思います。