↑前回の話の続き。
親がどんなつもりで接しても、結局子供がどう受け取るかで全てが決まると思う。
親がぶれるとする。
不登校でもいいよって言ってみたり、外野に惑わされて「やっぱり行きなさい」って言ってみたり。
そうやって母自身が揺らいでいることを、子供は理解していると思った。
お母さんは結局、人の目を気にする。
お母さんは冷たいし、「人の目」もすごく冷たいんだろう。
そんな風に子供は受け取ると思う。
不登校に限らず、
「普通は」
「常識では」
「恥ずかしい」
「ちゃんとしないと」
なんて言葉を言われるたび、自分そのままでは『世間』(誰か知らんけど)には受け入れられない、と思う。
だから「人の目」が怖い。
これって親の目を通して『世間』をみているのだろうなと。
だから、↓この話。
子供が不登校でも思春期でも花魁でも、別にどうでもいい。(花魁もいいの?)
そんなことよりその子自身をそのまま受け入れてあげることで、親からの受容と同時に『世間』からの受容も子供は感じ取るのではないかなーと思ったわけだ。
一粒で二度美味しい、的な。
やめられないとまらない、的な。(かっぱえびせん)
なので。
子供がどう受け取っているかがすごく大事なわけで。
全ての目的は、
子供が親を信頼するか
ってこと。
「親が子供を受容すること」が大事って話をしたけれど、あくまでゴールは「子供が親に受容されていると感じること」。
そのためには親御さんがお子さんを受容する必要があるってだけで。
主役は子供。
親が受容しているつもりでも、子供はそう受け取っていないかもしれない。
そこに言及しないと、親御さんの不安を煽るのかな、と。
「私はこんなにやってるのに、私が悪いって言いたいんですか? 死んでくれません?」と。
極論を言うと、親がどう考えどう接しても、どうでもいい。
『子供がどう受け取るか』が全て。
こんなに気を使って、寄り添ってきた!
こんなに頑張って、できる限りのことをやってきた!
そう親御さんが思っても(たとえそれが事実でも)、当の子供本人が
「そうは言ってもお母さんは世間体を優先する」とか
「僕のことを決めつけて分かった気になっているだけで、全然話を聞いてくれない」
とか思っているとしたら、接し方が間違っているってことだ。
逆に、実際のところは子供なんて全然見ていなくても、
「お母さんは僕の味方だ!」
と本人が思えばそれで成功ってこと。(親御さんがご自身の人生を一生懸命キラキラ生きている姿を見せているときなどか)
ここですよ。
主語が「親御さん」になってしまいがちな方って結構いらっしゃるのかと。(気を悪くされたらすみません。ブラウザ閉じてください。)(そっ閉じだよ!)
もちろん、親御さんが決定できるのは親御さんの行動だけ。
親御さんがどうすべきか、どのような行動をとったか、それを気にするのは妥当だ。
でも、それが合っているかどうかの答えあわせが必要だと思う。
そして答えを持っているのは、医者やカウンセラーやママ友やペリーではない。(もうペリー母国に帰って)
お子さんだ。
ある子にはそれで正解でも、別の子には不正解の接し方だったかもしれない。
かもしれない、じゃなくてそんなことはゴマンとありますよね。
だって、実際に患児が言うんだもん。
「親の言うことはわかるけど、でも自分はそうは思えない」って。(実際には自覚がなくて、「親の言う通りだと思うけど、でも…」とデモデモダッテすることも多い)
僕は親子関係と離れた第三者なので、状況を俯瞰して見ることができる。
だからこそ見える風景なのかもしれない。
親子関係の渦中に入ったら、見えなくなるのかもしれない。
答えあわせが必要だと思う。
答えは、お子さんが持っている。
いわゆる『毒親』は、「私は精一杯子育てしてきた! やりきった!」って思っていると聞いた。
自分(親)の主観オンリーで、子供の気持ちは置いてけぼりだ。
※みなさんが毒親って言ってるわけじゃなくて、親御さんは親の気持ちが主体になりがちって話の極端な例。
親御さんがお子さんを大事に思っていることはよく理解している。
すごく考え、試行錯誤されているのも分かっている。
でも答え合わせしないと、せっかくの頑張りが点数にならないと思うのだ。
ゴールは『子供が親を信頼すること』。
信頼している親から言われることは、響くだろう。
極端な話をすると、親御さんが信念を持って「この子は学校に行った方がよい」と不登校の子を学校にひっぱっていくことは、僕は全然良いと思っている。
そこに『信頼』があれば。
信頼している親からの言葉なら、子供に響くだろう。
では子供はなぜ親を『信頼』するのか。
需要と供給が一致しているからだと思う。
そのためには、子供の需要を正しく(正しく!です)認識する必要がある。
本当に無理で限界で死ぬほどつらいのに学校に引っ張って行かれたら、親の信頼は地に落ちる。
でもまぁ嫌だけど親の言うことも一理あるなと納得できたなら、親の意見を取り入れるだろう。
それでうまくいけば、数年後に「無理やり登校させてくれてありがとう」と感謝するかもしれない。
親の行動は同じでも、子供からの評価は180度変わってくる。
答え合わせが必要だ。
問題は解きっぱなしでは身につかない。って赤ペン先生が言ってた。
本当に申し訳ないのだが、答え合わせしないで
「私(親)はこう考えた」
「私(親)はこんなに大変!」
「こんなに頑張っているのにうまくいかない!」
で止まっている親御さんっていらっしゃるのかなーと。
もちろんその気持ちはわかる。
大変、不安、困った、頑張った。
そんな気持ちを肯定的に受け止めてもらいたい。
でも。
本当に本当に申し訳ないのだが、僕の言うことに一理あると思っていただけるなら、お子さんの意見を聞いてみてほしい。(思春期以降の子から「親をどう思っているか」を聞き出すのは至難の技だと思うが)
自己肯定感が低い子は、みんなホンネでは「親の目が怖い」と思っているように見えて仕方がないのだ。
ブログを読んでくれている方は、ネグレクト系より過干渉系の親御さんが多いと思われるので、
「親は心配ばかりで全然信用してくれない」
「親は僕のことを〇〇な子って思っているから、〇〇にふるまわないと」
とか思ったりしちゃったりなんかしてるのではないかと僕は思っちゃったりラジバンダリなわけです。
ゆえに親の目が気になるし、人の目が気になるし、自己肯定感が低い。
以上、僕の個人的な考えです。