「発達の検査」。
一般にこう呼ばれる検査がある。
おそらく、多くの場合でWISCや田中ビネーなど、知能検査を指すと思われる。
よく誤解されるのだが、「発達障害の検査」は存在しない。
コレを受ければ発達障害の種類および有無がわかるゼッ! というような性質の検査はないのだ。
でね。
その、現在出回っている「発達検査」「心理検査」と呼ばれるモノたち。
マジで万能じゃねぇ。
限界がある。
全然限界がある。
改めてそう思ったので、ここに記す。
いわゆる「発達の検査」を受けた子。
必要があって、複数種類の検査を受けた。
あんまりアレコレ受けるのは推奨しないんだけどさ。
この子は事情があって、受けたのね。
それぞれ別の検査で、見ているところが若干異なるけど、どっちも知的な能力が算出されるモノだ。
すると。
結果が、全然一致しなかった。
どっちも知的な能力を見てるんだよ?
IQ的な数値が出るんだ。
でもその数値に、各々めちゃくちゃな乖離があった。
受けている時期に大きな差はない。
モチベーションも同じだ。
手を抜いたりもしていない。
両方、ちゃんと真面目にやったんだよ?
でもコレだ。
結果が全然違ェ。
もうね。
限界を感じたね。
検査の限界を。
設問の性質が、少し異なるためだ。
能力のデコボコのある子は、得意・不得意にデコボコがある。
得意なことは得意だし、不得意なことは不得意。(すごく当たり前の話!)
すると、
発達デコボコの子は、この差が顕著に出やすい。
冒頭の子は、言語的な課題は得意のようだ。
対して視覚や微細運動の課題は苦手。
よって、言語課題メインの検査では高得点となった、ってことみたいだ。
しかも。
言語の中でも語彙はめちゃめちゃ得意。
説明や本質理解は若干下がる。
こんなところも点差に繋がる。
ってところだろう。
検査は複数の課題によって構成される。
課題によって、
……などなど、特徴があるのだ。
どんな課題がどの割合で出るかで、結果が大きく異なる。
発達にデコボコがある子は特に。
ってことです。
僕も実際、心理検査の場に同席することがある。
検査の様子を間近に見る機会があるのだ。
見ていると、ちょっとした匙加減で正解・不正解が変わるなぁと思う。
意図の取り違えとかね。
ちょっとした語彙とか。
偶然でも、正解なら正解だし。
よく分かっていそうでも、不正解なら不正解だ。
相手は子どもだからさ。
出題者の意図からずれちゃうのはまぁ理解できるんだけど。
でもそうすると、点数にならない。
かと思えば、かなりずれてもなんとなく点数になることもある。
そして、1問の配点って想像以上に大きい。
この点について、異論はない。
知能検査ってそういうものだ。
出題意図に正確に答えられるか否か。
つまり、パフォーマンスを見ている。
それが検査だ。
なんてことは評価に反映しない。
当然だ。
「検査」ってそういうものだ。
となると、検査はその子の能力を正確に反映しない。
パフォーマンスしか見ない。
というか、本質的な能力を検査で測るなんて、不可能だと思う。
数値に表れないチカラが腐るほどある。
単一の課題でも、複数の能力の総合で答えが導き出される。
人間の思考は、そんなに単純ではない。
そう。
検査はパフォーマンスを見るしかないのだ。
人の能力を測るなんて、それしかない。
できたか、できないか。
正解か、不正解か。
検査はその得点を集計してIQを算出しているに過ぎない。
思うのよ。
子どもの検査の様子を見ていてさ。
例えば幼児を見て。
この子、IQ80出てるけど、そこまでの理解力はなさそうだな。
就学後はしんどいかもしれないな。
この子、今はIQ100で出たけど、もっと理解していそうだな。
あるんだよ。
よくある。
実際、年齢とともにIQが変わる例もよく経験する。
数年後にはかなり上がる。
逆に、かなり下がる。
もちろん大差ない子もいる。
結局、『パフォーマンス』なのだ。
しかも『その瞬間』の。
検査が、その子の能力を正確に反映するわけではない。
この数値で子どもを決めつけてはいけないなぁと思う。
冒頭の子。
検査②だと支援級(固定級)相当ですよね。
一体どうすれば?
能力に差がある(しかもめっっっっっちゃ大きな差)ことを説明し、実際どうするかは親御さんと学校とで話し合っていただくこととした。
僕にはそれしかできない。
「いずれにしてもこの子に合った支援を」ってことになる。
「発達の検査」。
僕、結構好きなんだよ。
あんまりやらない先生もいるけどさ。(多分このように信憑性に乏しいという理由から)(確かにコレを鵜呑みにするのは危ない)(鵜呑みにはしないとしても、数値が出ているとどうしても引っ張られるし)
僕は積極的にオーダーする。
でも、検査は所詮検査で。
限界があるなぁと思う。
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私も検査の数値については参考程度だよなぁと思っていました。
数年前にWAISを受けましたが、子供の頃から本好き漫画好きだった私は、もともと言語関係や絵や図を推理し読み取る分野が得意。
年齢を重ねて、結晶性知能と言われる言語や知識に磨きがかかり、ビックリするような高IQに。
でも、苦手な数学的分野の能力をもっと重く見る検査だったら、全く違う結果になったでしょう。
職場で小学生の生徒さんの検査結果を目にすることもありますが、「この子はもっと力のある子なのに‥?」と、不思議に思うことも。
勉強の苦手な生徒さんでも、服装がいつもセンス良かったり、どんどん人に話しかけて関係性を作れる高いコミュニケーション能力のある子だったりするのを間近で見ていると、「こういう能力の方がよほど社会に出た時役立つ力だけど、数値化できないんだよなぁ」と、苦笑してしまいます。
IQも偏差値も、人間の多様な能力の中の、ほんの一部を測ったものでしかない‥ただの数字じゃんって思います。
結局、身近な人たちが本人の玉をよーく観察して、検査に現れる力も現れない力もまるっと理解した上で、一番いい道を見つけていくほかないのでしょうね。