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逆に、昔はなぜ不登校が少なかったのか

 

文部科学省が2022年度、全国の国公私立学校を対象に実施した「問題行動・不登校調査」で、病気や経済的理由などとは異なる要因により30日以上登校せず「不登校」と判断された小中学生が前年度比22・1%(5万4108人)増の29万9048人となり、過去最多を更新したことが判明した。

(10/3のニュース)

 

Oh……

 

モーレツ!

 

不登校は多い

もうさー。

不登校、もうよくね?

 

これさ、もう、少数派じゃなくない?

一大勢力じゃん。

 

 

30万人ってどのくらい?

えーと、小中学生の総数が、小学生630万人、中学生が320万人らしい(2020年)から……。

 

30万÷(630万+320万)×100で、ざっくり3.1%か。

 

  • 境界知能が14%
  • 左利きが9.5%
  • 静岡県の人口が3%
  • 先天性心疾患が1%

 

日本人における、静岡県民の割合と同じくらい。

静岡県民、別に珍しくなくね?

結構いるよね?

うなぎパイ、おいしいよね?

 

 

実際に不登校してる子で3%だ。

予備軍も含めると、めっちゃいると思われる。

なんとかかんとか通ってる子ね。

東京都民(10%)くらい、いや、高齢者人口(29%)くらいいたりして⁉︎

 

不登校が少なかった頃

なぜこんなに増えたのだろう。

僕は、以前からよく考える。

 

多分、「不登校という選択肢ができた」からが大きいんじゃないかと個人的には思っているんだけど。

多様性! 的な。

学校は「行く」一択じゃないぜ! 的な空気。

不登校は増えてるんだけど、今後もさらに増える?不登校は増加傾向だ。 文部科学省 令和元年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結...

 

 

逆に考えてみる。

逆に、昔はなぜ不登校が少なかったのか。

 

ここまで増えた不登校。

静岡県民レベルの頻度の不登校。

35人クラスに1人いる計算になる不登校。

「学校が合わない子」は、おそらく昔から同程度いたと思うんだけど。

 

 

しかも、昔(昭和後半を想定している)って

体罰当たり前!

根性論ゴリ押し!

の時代だ。(でしょ?)

 

連帯責任とか。

給食は吐いても完食とかさー。

モラハラセクハラパワハラ上等!

でしょ? 思い込み?

 

そっちの方がキツくね? って、純粋に思うんだけども。

 

学校に行った理由

昔は、なぜみんな学校に行けたのか。

「選択肢がなかったから」以外にも理由があるのか。

 

行けた理由が、可逆性のあるものなら、今の子たちにも応用できるだろうし。

不可逆的なものなら、もう学校自体の方向性を切り替えるしかないと、個人的には思う。

 

 

例えば、

選択肢がなかった

は、不可逆的な理由だ。

今は、「不登校」という選択肢を知ってしまった。

文科省がはっきりと不登校を許容している。

(H28 義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律の公布)

もう、知らない時代には戻れない。

 

ネットやスマホの普及

も、不可逆だ。

もう、ない時代には戻れない。

 

中卒での就職

は、可逆的だろうか。

その選択肢を作れば、不登校は減るかもしれない。

 

寛容な環境

は、可逆だろう。

適応指導教室や通級指導など、年々規模が広がっている。

 

ヤンキー文化

は、どうだろう。

居場所がない子の居場所を不良文化に求めるのは、この時代に可能なのだろうか。

 

家庭環境

は、関係あるのだろうか。

今と昔で、どちらが安定していたのだろう。

そして、直接的に不登校の原因となり得るのだろうか。

 

発達障害

は、どうだろう。

本当に、昔の方が少なかったのか。

 

昭和の学校について教えてください。

色々考えるんだけど、僕の脳では限界がある。

「昔はこんな理由で学校に行ってたぜ」ってのがあれば、ぜひ教えてください。

 

特に、昭和後期の経験のある方。

いうても僕は平成育ちで。

すでに先生は絶対的な存在じゃなかったし、不登校も普通にいて。(今ほどじゃないにしても)

ゆとり教育に片足突っ込んでる世代なので、体感的にはわからない。

 

 

僕の昭和のイメージ。

体育教師が竹刀持ってうろついて、職員室はタバコの煙でモクモク。

ヤンキーがボンタン履いてスカート長くて、窓ガラスは尾崎に壊されて……。(ホント?)

 

でも実際こんな環境だったら、僕なら一目散に逃げ出しそう。

なのに、不登校は少なかった。

 

なぜ?

 

実際のところどうなのでしょうか。

知ってる方、教えろください!

pediatrician-p

View Comments

  • おー、良い問題!

    理由は簡単だと思いますよ、家の居心地が良くなったからって事が1番大きいんじゃないですかね?

    一昔前は親や、先生、至っては友達の家の親御さんも基本的に厳しかったと思います。
    まぁ基本的な礼儀や挨拶(自分は休みの日に9時を過ぎるまで人の家にピンポンするな、親御さんがいない時に勝手に人の家に上がるな、ゲームばかりするな等)
    まぁとにかく家や、学校、友達の家に居ても大人はうるさかったんです。

    だけども学校に行かないと友達は居ないし、家にいたって怒られるだけなので必然的に学校行くしか無かったんですよね。
    その辺を学校行かないで俺たちで遊べば良くねっ?て集まるのがいわゆるヤンキーの始まりだったりするんですが(笑)

    イジメなんて言ったって基本誰でも一回はやられる経験あったし、飽きてすぐに終わるし、やってる奴が最終的にイジメられると言う循環もあって、中学までには割と精神的に出来上がってくるんですよね。
    そして中学では怖い先輩がいて社会の厳しさを突きつけられる。

    怒らなきゃいけないこと、言わなければならない事以外、大人があまり子供の事情に干渉してはいけないと思うのです。

    弱い者イジメやワガママ、間違った事、人様に迷惑をかけるような事をした時にはめっぽう叱られ、口の聞き方や礼儀、食べ方などの所作は、常に言い続けなければ中々身に付かないので言われますが。

    逆に常識的な事以外は(例えば筋の通った喧嘩や殴り合い、宿題を忘れるとか点数が悪いとか、先生や友達に怖い人がいるとか、木登りしたり秘密基地作ったり、おバカな事をしたり、誰々ちゃんが誰と遊んでるとか、砂場で遊ぶな、ボールを使うな、今日は何食ったとかw)
    外に出ている間の事はそんなに言われる事は無かったような気がしますね。万引きが親にバレて半殺しにされてる奴はいましたけどw

    家にいるとうるさく言われる事が嫌なので友達と落ち合う逃げ場所を作りに行くのが学校だった。
    ただそれだけの事だと思えて仕方ありません。
    電話もネットも無かったですしね自分は。
    (持ってる人は持ってたけど全員では無かった、むしろヤンキーの方が持ってた)

    大人が子供に対して弱くなってるのが1番の原因だと思いますよ、むしろ子供の奴隷と言っても良いくらい。

    誰が考えたか分からないが、ネットやテレビの教育論を鵜呑みにして子供に実践してる先生や親の多い事。

    その教育方で良くなっているはずなのに何故不登校や、ニート、ひきこもりが増えるんでしょう?

    パワハラ、セクハラその他ハラハラは減っているはずなのに、何で鬱病で会社が嫌で行かなくなるんでしょう?

    それを許してくれる家(親、学校、社会)があるからですよね。

    本当に苦しい人に救いがあるのは私も賛成ですが、只の甘ったれが90%だと言う事が現実だと思います。

    壮絶なイジメ、本当のパワハラや虐待等で苦しんでいる人に思っている訳ではないですよ!
    むしろ甘ったれのせいで勘違いされ、埋もれてしまうのが不憫でなりません、許せませんよ。

    • 追記

      ちなみに今で言う発達障害?とか知恵遅れというか身体障がい者みたいな人は普通に居ましたよ。

      そー言う子はイジメられるとか言うけど、シカトやハブられ、馬鹿にされるなんて(自分は母子家庭とか、鍵っ子な事w)

      日常茶飯事で、そんなのは誰でもやられるし順番回りきったら飽きちゃうんですよ。

      結局お互い様だし。

      その中で不思議な事にイジメの中心を叩いてやろう!みたいな正義感で逆に絆が出来ちゃって、

      友「悪かったなあのときは」

      自分「いやいや、お互い様だしw 俺もごめんな」

      自分、友「よし、じゃあアイツらぶっ○すか!www」

      みたいな事はあるんですよね。

      そうやって、イジメが無くなっていくとそー言う子も気にならなくなるし、言い方は悪いけど自分よりも立場と言うか、身体的にも弱い人を馬鹿にする事態がダサくなるので、意外と不良とかよりも今で言う大学生ノリみたいな、ウケ狙いの半端者がイジリというかイジメがしつこいんですよね。
      まぁどっかで必ずシメられてましたね、そー言うのは。

      今は障害の子をクラス分けしてるみたいだけど、臭いものには蓋をしてるようにしか見えませんね。

      思いやりとか建前だけであんなのはただの隔離。
      そうしないと今の親御さんからクレームが入るんでしょ何か問題があると。

      昔の障害者の親御さんはそう考えると辛かったでしょうが強かったですね、ある意味。

      「普通に扱って欲しい」

      って事なのかもしれません。

      今の子達は何か

      「得体の知れないクラス」

      としてしか見れてないんじゃないかな、家の子もこの間、身障者がちょっとウーって言ってるだけで
      怖い((( ;゚Д゚)))
      とか言って逃げてて、何がやねん、
      って感じでしたよ、一言言いましたけど。

      皆さんの仰る通りで、一昔前は先生も区別なんかしてませんでしたし、不便があったら助けたりも子供ながらに普通にやってましたよ。

      先程も書きましたが、誤解がない様言いたい事は、子供達が甘ったれ、不登校、耐性が無さすぎるのは基本的に

            「親や大人」

      の責任であると言う事。

      トー横なんかもそう。

      親がいないとか、何とか言ってるのにどーして携帯もって出て来れるのか?

      契約はそもそも?

      小学校から携帯持たして、ネットもやらせて、時間や寝る時間遅くなっても注意せず、個人やプライベートの意見を尊重した結果がアレならば、完全に大人の責任でしょう。

      自分が叱って嫌われたくない、好かれていたい、怒らせて外で何かしたり、虐待と言われたくない、ケンカも無い幸せな家庭に見られたい、インスタに仲の良いアピールがしたい、理解のあるイケてる大人に見られたい。

      大丈夫、学校なんか通わなくても社会は良くなってるし、自分は理解があるし、その内分かってくれるし、最悪誰かが何とかしてくれる!
      と言う無責任な

           「現代の大人」

      の性格が良く出ていると思います。

      豊かで便利な世の中になりましたが、代わりに大事な何かを置いてきちゃいましたね。
      こんな教育や、メディア、ネットの意見等、情報操作で日本人の弱体化が、

      実は、お隣の某

      「○国」

      の攻撃だと冗談半分ですが思っちゃいます(笑)

      絶賛今でも100年かけて攻撃されまくってる気がしてならないんですよね、国の中から壊されてる様な気がして。

      都市伝説も意外に本当が混じってたりしてwww

  • ずばり、ヤンキーがいたから。ではないでしょうか?
    昭和後期、弟が中1から3年までいじめからの不登校でした。日誌に助けて欲しいと書いたにもかかわらず、担任の先生は助けてくれず、両親は何度も学校にかけあいましたが、いじめっ子の親が地域の大学の教授(名前が知れていた)だったため、取り合ってもらえなかった。そんな時代でした。教頭には、オタクのような問題児は迷惑だと怒鳴られ、卒業させないと言われたようですが、成績がかなり良かったため、新しくはいった数学の先生が放課後に勉強を見てくれ、出席カウントしてもらっていました。
    卒業後に父がいじめた子たちを呼んで叱りつけたと母から聞きました。3人中2人は泣いて謝ったと言います。
    担任、教頭、父の言動は今なら大問題ですよね。
    まだなんでもあり、な時代でしたね。
    ザ昭和の時代は、子供全体の負のエネルギーをヤンキーたちがいろいろ代弁して学校や大人相手に発散してくれてたから、それでなんとなくまかなえてたのかな。
    昭和後期には、ヤンキーが減ってきて普通の子が増えてきた分、それまで大人に向いていた熱量が、他と違う子、変わった子、に向かっていったのではないかと思ってます。(先生から友達、仲間へ)太刀打ちできない子どもは、弾き出されて不登校に。
    あと、学校側もコントロールしやすいように子供たちにラベル付けつけるようになって、出来ない子、出来すぎる子は浮いちゃう。ヤンキーがいたころはなんとなく全部背負ってくれてたから、いろんな不安も不満も乗り越えられたのでは?オザキもいたし。

    • らららさん。

      それはあるかもしれませんね!
      自分もどちらかと言えばそっち側でしたがw

      どうしようもないバカが目立ってるので、その分他の負担と言うかアラが気にならないw

      自分の地域では不良同士のイジメはあったと思いますが、只のクラスメイトをイジメたりとかは無かったと記憶してます。

      むしろ仲良かったし、馬鹿にされておちょくられてたw

      塾帰りの頭良い系とゲーセンとかで夜会って仲良くなったりとか(笑)
      ガリ勉てか、頭良い系でもスポーツ系とかは普通に喧嘩強かったし、カツアゲされそうになっても返り討ちにしてたり、ヤンキーじゃなくてもパワフルな奴が多かったですね(笑)

      逆に何か弱い者イジメとかしてる様に見える奴は注意してましたね、されてる方にもついお前もやり返せよ!とか言っちゃってましたけど…。
      余計なお世話だったのかな…無神経だったか。

      他の人が思っている学校とかの不満みたいのを代わりに爆発させてたので、もしかするとガス抜きくらいにはなってたのかなw

      アホやなこいつ…と思って見られてたのは自覚してましたけど、貴方の意見で成る程そうかもと思わされましたw
      少しは役にたったのかな(笑)

      今の子はヤンキーに引くみたいですよね。

      あれが当たり前は良くないけど、ある程度声の大きいアホが居ないと耐性が付かないのかもですね。

  • はい、昭和生まれ中1の1月に平成になりました。
    小学校での先生はビシバシ言う先生はそこまでおらず“元気よくシャキッと行くわよ!“な、女の先生はいました。子どもを育てる事に熱心な素晴らしい先生でした。
    低学年の子の靴を隠した悪い子はみんなの前で頬を打たれました。でも基本的に悪い事をしなければみんな優しい先生でした。
    悪い事をした子には叩く、はまぁ普通かと。
    小6の時の男子が今思えば恐らくASDタイプで痩せ型で体力がなく休みがち、今思うとアトピー体質で肌がカッサカサで粉をふいてて誰がどう見ても健康的ではなかった。恐らくだけどもおうちも低所得だったのかなと今となっては考えられる。
    学校に来ればクラス全員からいじめられる(こっち寄るな、とかその子が好きだったら女の子(アスペ)共々なんか言葉のいじめ。それでも彼なりに不登校にはならず登校できる日は1番の味方の男の子が常に側にいて彼を守ってた。
    陰湿ないじめはなかったものの参観日に親の前でなぜいじめるのか、を討論してくれた先生もいました。

    中学は市内1.2を争う荒れた学校、3年生を筆頭に授業中の廊下をヤンキー達がゾロゾロひたすら練り歩く、窓の外の網を3階まで猿のように登る、体育館のステージ上での女子の着替えをさらにその上から覗く、先生もヤンキーも竹刀を持って歩く、授業中断当たり前(卒業アルバムにその姿が普通に載る)
    警察は数えきれない程やって来た。

    当時の学年主任が剣道部で竹刀を持って校舎巡回、昼休みに上履きでグランドで遊んでたら見つかり職員室前に正座、クラス担任から説教、先生によっては「分かったら教室帰っていい」だったけどうちの担任は震度6と言われる程のぐーゲンコツをくらい、階段上がるのに目眩がしておっこちるかと思った。

    中2の多感な時にうっかりした事で友達を怒らせそこから私自身が陰湿ないじめに遭う。廊下で容姿をあざ笑われたり、体がと体当たりしてこられたり、朝机に行くと椅子も含めて消しゴムのカスだらけとか、しばらく学校に向かうも校門に立つ先生の姿が見えるとくるっと1人だけ家に帰っていた。

    親がなんと言ってたのかの記憶はないけど、多分休ませてくれてたんだと思う。
    その後、信頼していた先生から心に染みる言葉をいただき、そこからは普通に登校できるようになったけど、親には未だにいじめにあっていた、とは言おうとも思わないしむしろ恥ずかしくて言えない。

    小学校のときのいじめられてた彼は中学校に上がってからの記憶が全くなく、もしかしたらそこから不登校になったのかな、と思ってた私の記憶。
    中学では小学校3校が併さる形なので1つの学校の生徒たちがやたら強気な子が多くて驚いた印象。
    校風が違う者同士が集まるとそりゃあ簡単には馴染めないですね。

    中学の先生はとにかく厳しかった印象。荒れた学校だったからかもしれないけど、小学生とは違って大人に近づいていくために先生も温厚な先生という印象は皆無、男子は坊主、女子はボブまで前髪はオン眉、スカートの長さは指3本分、月1、体育館で全て先生からチェックされ違反していたら女子はその場で髪を切られる事もあるので抜き打ちチェックが怖くて悪いことなんて出来なかった
    後にヤンキーの中で少年院に行った子が数名、どの子も小学校ではそれなりに目立つこともなく普通に、まぁ気性は荒かったけど、中学は酷かった。

    高校は自分の行きたい高校に受験という事でここでようやく不登校などの言葉からは離れて行ったものの、あまりの人の多さに全体で体育館で朝の会?をするときが辛かったので保健室に逃げて保健の先生とひたすら喋ってた。
    逃げ場もできたし先生が手を挙げるなんて事もなく、なんなら友達同士みたいな感覚の先生ばかりで戻れるならまたあの学校に戻りたいくらいに大好きでした。

    ただ、ここまで順調だったクラスメイトも突然自殺したり、突然不登校になったり、刑事事件を起こした子もいて、その子達を考えると高校になってからの居場所がなかったとか、容姿でからかわれていたのかな、とか、刑事事件を起こした子は中学のヤンキー以来人生が崩れて行ったと思われます。

    と、思うと、私自身小学生で転校してクラス1強気の子に引っ付き回され、言われる通りに低学年の子の上履き隠したり、子分みたいになって先生から頬を打たれるし、それこそ泣きたかったし親にも相談したかったけど、なぜかそれが出来ず、逆に親は仲良くしてくれてありがとうとばかりに家族同士で遊園地とか行ったりして、私自身、転校前は祖父母と同居で何かあればすぐ祖母に泣きついてたのにそういう逃げ場がなくなりとにかく辛かった。

    中学の時は思春期なども重なり余計に親には何も言えなくなり、吐き出す場所がなかった記憶。

    今の子は核家族が多く幼い頃からちょっとした異変をすぐに指摘され、親は発達障害なんて疑いもしていないのに外野から専門医に行くようにしつこく言われて早く診断受けて必要なら早期療育!ゴー!
    みたいな感じで昭和の私の方が受け入れられず小児科の先生からお説教?みたいな話を診察中30分近く聞かされ、保健師さんに看護師さんに、いろんな人に後押しされて検査に行くと子どもはASDの診断が下り、療育通い中。

    小学校では支援クラスか普通クラス在籍からの授業によっては支援クラス授業になるか、今ここの段階。

    ちなみに夫が診断受けてないものの間違いなくASD。
    何も言えず誰にも逆らわず流れに身を任せてここまで来た人。

    昔の支援クラスはなかよし学級と言われていてほんの3.4名(学校全体で)いたかいないか、全く普通クラスには来ないのでどんな子がいたのか見当もつかないけど見た目でどこかが悪いという子はいなかったからなんであのクラスにいるんだろう、とずっと不思議だった。

    男子は女子のスカートをめくり、雑巾かけしたら後ろから男子が女子めがけて着いてくるのは普通のこと、でも、今は女の子はスカートの下には見せパン履いてるからスカートめくりも聞かないような?
    公園で遊んでいた4年生くらいの男女の会話で「女子は生理があるんだろ?俺、今、股打ってめちゃいてーんだけど生理ってそれよりもいてーんだろ??」
    と普通に話してて、昔は恥ずかしいものとして隠してたことだけど今では大人もオープンにして女性は子どもを産む体であることを理解させてる。

    昔と今の違いとしてはこのオープンなところも全く違う。

    ハタチ過ぎて最初の会社の途中までフル喫煙の環境で煙モクモクの中で仕事してたから副流煙で肺やられてるだろうな、とか、今では考えられない。

    より良い環境作りがもたらしたものもあるだろうし発達障害というものが当たり前の世界、男女平等、女性の社会進出(小学校の友達ママは大体専業主婦だった)世の中の角度が何度も何度も変わったからこそ不登校という生き方、あり方が認められて不登校の子を受け入れるフリースクールが生まれ。

    大人で言うと昔から介護生活はあったものの介護社会としては全く成り立っておらず、介護保険など制度が整ってからのデイサービスだの福祉施設だのもありとあらゆる形で普通に存在している。

    暮らしを豊かにしていくと共に隅に追いやられて気にも留められなかった子達の存在が逆に目立つようになってきたのかなと思います。

    令和の子達を昭和の小学校にポイっと放り投げたら世界が違いすぎて泣いて泣いてあんな学校行きたくないと言い出す子、続出だろうなぁとも思います。

    昭和の世界で揉まれて育った大人が今の子を見ると甘えられて育ってると捉えられるし逆に羨ましくも思えるような気もします。

    そうやって時代は移り変わるんでしょう。

  • とっても遅いコメントですみません。
    平成へ変わる年に小学校を卒業した、元不登校の子(高二)の母です。
    先生の記事も皆さんのコメントも興味深く拝見させていただきました。
    不登校もう一大勢力ですね!笑
    先生のブログ大好きです。
    私の小学校時代不登校は1人もいなかったように思います。
    今思えば、発達障害だったのではという子もいましたが、
    その子の個性として認識して、特に誰かに教わることもなくみんな対応していました。
    中学に入り、8クラスある学年で1人不登校の子がいた記憶があります。
    不良と呼ばれる子達もいました。町の(東京)ゲームセンターが不良の溜まり場で、母から近づいてはいけないと言われていました。
    でも、私からみたらその不良って全然怖くなかったんです。
    ピアス開けているから不良。
    タバコ吸っているから不良。
    (友人でしたが、二十歳でタバコをやめ、めちゃくちゃいいお母さん、素敵な人生を送っているように見えます)
    思春期の自己主張や自由を求めた子達が不良と呼ばれたように思います。みんないい子でした。
    私の時代、不登校が少なかったのは、
    学校に行かないという選択肢自体がなかったからなのかなと思います。
    私自身がそうなので偏った意見かもしれませんが。。
    まず親には本当の気持ちは言えない状況でした。
    隠して普通を装う、そして大人になるまでそのモヤモヤや
    疑問を抱えて、子育てしているときにその問題が浮上して気づく。
    私はそんなパターンでした。
    不登校できて、逆にいいなって思います。
    息子に対して、親に言いたいこと言えていいなって思いました。(親は辛いけど、笑)
    逃げ場がないとき、その問題を封印するという方法で生き延びてきたような気がします。
    問題は浅いうちに解決できたら後の人生が楽な気がします。
    中一の終わりから高一の終わりまで不登校していた息子ですが、
    心療内科に行きたいと言い、連れて行きましたら、
    カウンセリングって、本当に話を聞いてくれるだけなんだね
    もうわかってるんだやることは、
    怖くても学校に行けばいいんだ
    と言い、その後、週一から始まり、高二の今では毎日学校に通っています。(通信制高校で、先生がめちゃくちゃ良い先生です)
    学校が始まる時間も遅く、レポート期日もあってないような、、
    目的は子供の学び、という姿勢が感じられます。
    ママ、普通の学校は、子どもが学校に合わせるけど、今の学校は子どもに学校の方が合わせてくれるありがたい学校だね、というようなことを言っていました。
    優しい学校があってよかった。優しくても子どもがだらけるどころか
    やる気出してます。
    厳しくする必要なんてないなって思いました。
    長文失礼しました。
    不登校時代はp先生のブログに命救われていました。
    本当にありがとうございました!

  • 私は昭和50年代前半、3年生ごろにがジャンプでドラゴンボールが始まり、小学5年生ごろに光GENJIがブレイクしていた時代です。
    私はASDタイプで3年生からクラスでイジメにあってました。毎日死にたいと思いつつ、手首も薄皮一枚も切れない臆病者で、誰とも話さず生活してましたが学校は皆勤賞でした。休むという概念がありませんでした。
    学校は身体が健康なら必ず行くところで休む選択肢は持っていませんでした。
    行きたくないと思っていましたが、親に行きたくない理由も説明できないし、理解してもらえないと思っていましたし、イジメにあってることを言って親が悲しませたくないと思ってました。
    熱もないのに休めないと自分自身で絶対的な常識としても、思ってました。
    昭和の時代は我慢して当たり前というか、そういう教育だったのかなと思います。
    ただ、クラスが45〜50人でしたので発達凸凹の子も個性として受け入れられていたり、放課後遊ぶにしても自由度が高く禁止事項が少なかったので、自分で考え動ける範囲が広かったと思います。今の小学生より囲われていなかったので自主性や社会性の成長は早かったと思います。

    今はこどもの心のケアもあって良いと思いますが、逆に腫れ物扱いされる様子も見ているので、どっちもどっちというか、、昭和も令和もどっちも当人にとってはしんどいと思います。登校、不登校、保健室登校と選択肢として広げてもいいのにと思います。話がズレますが、いじめがあったときは学期途中でクラス変えてみるとかあってもいいのになと思います。

  • 遅ればせながら、参考になるかどうかわかりませんが、昭和の学校について。
    50代前半、おそらくHSP、埼玉育ちです。
    当時は学校には行くべき、という狭い考えに親も子も囚われていたから、そこから外れないように必死だったのかもしれません。
    体罰をする先生もいたし、いじめもあったし、それでも不登校だという子の話は聞かなかったような。いわゆる「不良」も学校には来てたし。
    それはやっぱり学校に行く以外に、選択肢がなかったのが大きいのではと思います。
    私も、どんなに行きたくなくても無理矢理登校していました。
    親にもそんな気持ちは明かしたことはありません。たぶん理解されなかっただろうし、親に弱みを見せて心配されたくなかったから。
    休みたくないと気を張っていたため、私が体調を崩したのは土曜の夜あたりから日曜にかけてで、月曜の朝には回復していました。
    なので、小学校4年から高校卒業するまで無遅刻無欠席でした。
    それくらい、選択肢がなかった。
    今は不登校が増え注目され、寛容な考えも広まりましたね。私の頑固な父ですら、私の娘のODに理解を示してくれています。

  • はじめまして。
    40代後半です。
    小1で登校しぶりをして、母に引きずられながら登校させられた記憶があります。
    中学、高校はIBSガス型で(あの頃はこんな病名なくて理解してもらえず苦しかったな)
    学校を休みがちでした。
    学年で不登校の子は数人くらい、病弱だった印象があります。
    私の場合は、親が不登校を認めなかった、体が元気なら行きなさい、行かないと将来ダメになると言っていました。
    心は元気では無かったのにね。。

  • 昭和50年代〜昭和末までを小中高生として東京で過ごした人間です。中学のトイレのガラスが割られて無かった事もありましたね〜。
    ちなみにその中学は1クラス45人以上で9〜10クラスありましたが、不登校の子がいた記憶はないです。
    今の中学生は19人に1人が不登校である事を考えると、1クラスに2人以上。
    昔のガチの不良(と、当時は呼んでました)と同じような割合に思えます。
    今は学校が嫌だと不登校になり、昔は学校が嫌な子も登校はして来て、そこで問題を起こすと不良と呼ばれてたって事になるのかな。
    ネットも居場所も学校しかなかったので、登校以外の選択肢もなかったですし。
    先生も怖かったですが、生徒も人数が多かったので 勢いもありました。
    今で言う発達障害にあたるような子も沢山いましたが、その子の性質として認識していて 問題にする事もなかったです。何しろ人数が多いので、いちいち問題にもしなかったです。
    良い意味でも悪い意味でも、大人が子供をほったらかしにしてる部分が大きかったような気がします

  • 昭和50年代〜昭和末までを小中高生として東京で過ごした人間です。中学のトイレのガラスが割られて無かった事もありましたね〜。
    ちなみにその中学は1クラス45人以上で9〜10クラスありましたが、不登校の子がいた記憶はないです。
    今の中学生は19人に1人が不登校である事を考えると、1クラスに2人以上。
    昔のガチの不良(と、当時は呼んでました)と同じような割合に思えます。
    今は学校が嫌だと不登校になり、昔は学校が嫌な子も登校はして来て、そこで問題を起こすと不良と呼ばれてたって事になるのかな。
    ネットも居場所も学校しかなかったので、登校以外の選択肢もなかったですし。
    先生も怖かったですが、生徒も人数が多かったので 勢いもありました。
    今で言う発達障害にあたるような子も沢山いましたが、その子の性質として認識していて 問題にする事もなかったです。何しろ人数が多いので、いちいち問題にもしなかったです。
    良い意味でも悪い意味でも、大人が子供をほったらかしにしてる部分が大きかったような気がします

  • まだ出ていない60代です。
    『不登校』『発達障がい』なんて概念さえなかった小学校時代を地方の田舎で過ごしました。
    圧倒的に教師は絶対で、親も基本『先生が正しい』でした。
    理不尽さというものさえわからずそういうものだと思っていました。

    都会ならまた違っていたかもですが、田舎では楽しみがなかった。学校に行くことが数少ない楽しみでもあった時代です。
    今は行かなくてもテレビどころかネットやゲームで1日遊べます。

    私は明らかに『発達障がい』というのが乱発されていると思っています。
    学校もなるだけ問題ある生徒に関わりたくないので『不登校』を認め、自宅にいていいよとする方針に変えました。
    『無理して行かせない』が主流になりました。
    現在騒いでいる不登校率上がった問題は当然そうなるよねとしか思いません。

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