子供に苦手な分野がある。
字を書くのが遅いとか、語彙が少ないとか、見通しを立てるのが苦手とか。
とりあえず、小・中学生くらいのころは、まぁいっか。
多少勉強できなくても、別にいいでしょ。
でも将来社会に出たときに、あんまりにもできない分野があったら困らない?
例えば、作業が極端に遅いとか、メールの文章すら打てないとか。
仕事にならなくない?
これってその時になればなんとかなるの?
それとも苦手はずっと苦手のまま?
この問いには答えはない。
科学的にちゃんと解明できているわけではない。
でも個人的には、
「後天的に伸びる。だから大丈夫!」
と思っている。
IQは遺伝か環境か。
子のIQは親のIQに相関する。
これは事実だ。
親のIQが高いと子も高IQとなることが多い。
逆もまた然り。
7割が遺伝(3割が環境)という説もある。
「じゃあ生まれつきの遺伝じゃん!」
僕もそんな風に考えていたんだけど、たくさんの患者さんをみて、そうでもないのでは? と思ってきた。
子は親に育てられる。(ことが圧倒的に多い)
子は親から遺伝子ももらうけど、生育環境ももらう。
例えば知覚推理の低い親御さんがいたとする。
知覚推理とは、情報をまとめて法則性を見つけたり、前後の情報から欠けた部分を予想したりする力。
これが低いと、物事をまとまりとして考えるのが苦手。
目の前の一つ一つの情報は処理できるけど、全体としてどんな意味かは考えられない、というか。
すると、普段の生活でもそのように対応する。
目の前の1個1個のタスクは処理できる。
でも
「今日は疲れたから掃除は明日にして寝よう」
とか
「しばらく買い物に来られないから、必要なものを予想してまとめて買っておこう」
なんて臨機応変な対応は難しくなる。
するとどうなるか。
日々の生活で、子供に対して「とにかく〇〇しなさい」と接することが多くなる。
子供は、「なぜそうするのか」「その結果どうなるか」と考える機会を与えられずに育つことになる。
そんな生き方だと、必然的に二度手間、三度手間が増える。
でも子供はその環境しか知らないので、「そういうもの」だと思う。
じゃあどうすればよかったか、「工夫する」という発想自体が出てこない。
小学生になった。
「とにかく宿題しなさい」
「とりあえず埋めればいいのよ」
宿題や勉強でも、「なぜ」という観点を持って考える機会がない。
これが出来るとどんな風に役立つか。
この単元は全体の中でどんな位置づけか。
そんなことを意識せず、「ただやる」という訓練が繰り返される。
すると。
本来この子が持って生まれた知覚推理の能力は、もしかしたら高かったのかもしれない。
でもそれを伸ばす機会が失われる。
訓練の機会が激減するのだ。
そうやって、後天的な環境によって引き継ぐIQって大きいんじゃないかなーなんて、個人的に思っている。
そう考えた理由。
IQは母親から受け継ぐとか、母の学歴が子に影響するとかいう学説があるのだけど。
子供は母の知性を受け継ぐって、ホント?
遺伝学は詳しくないが、でもIQや知性なんてざっくりした(多因子が関連する)ものが、どちらか片方の親から受け継がれるって難しいと思う。
だから。
そんな風に思っている。
そんなわけで。
実際、数年でWISCの数字が跳ね上がる子がいる。
知覚推理がかなり低かったのに、数年後に再検するとすごく上がっているのだ。
聞くと、
「今まではこういうの興味なかったけど、最近コツがつかめた」
とのこと。
その分野の能力を使わず生きてきた子が、ある時必要に駆られて使ってみる。
すると、ぐんぐん伸びていく。
この子は「全体を見通した方が効率が良い」と気づいたわけだ。
だから。
「この子は〇〇が苦手だから」とレッテルを貼らなくていいと思っている。
その時がきたら、能力は伸びる。
具体的には、受験に本気で向き合ったり、将来の夢が決まったりしたとき。
目的の達成に必要とあらば、苦手な教科も克服できると思うのだ。
仕事に就いたときも同様。
この仕事が好きでやってみたい、でもこの1点(メールを打つとか、計画を立てるとか)だけすごく苦手……。
そう思えば、じゃあその弱点を克服するにはどうしたらいいか、考え始める。
すると案外、なんとかなるものだ。
だから。
とりあえず、苦手は避ければよい。
全てを平均的にこなす必要はない。
どうしても必要なら、後からなんとかなる。
「克服する」もしくは「人に頼る」。
これでなんとかなることって、すごく多いと思っている。
そのために必要なのは、圧倒的に
『自己肯定感』
克服するにしても、誰かに頼るにしても、自己肯定感が低いと難しい。
せっかくの興味・才能が、そこで行き止まりになってしまう。
なんてもったいない!
ってことで、IQとか遺伝とかどーでもいいから、『自己肯定感』を高める子育て、よろしくお願いしますっ!