幼少期から、口酸っぱく教えられる。
お友達と仲良くしましょう。
誰とでも仲良く。
仲間外れを作らず。
みんな仲間で。
絆で。
友達100人できるかな。
100人でおにぎり食べましょう。
わかるー。
わかるんだけどさー。
発達デコボコな子ほど、友達選ぼうぜ。
もうね。
ぶっちゃけ、本音と建前よ。
全員と平等に仲良くしましょう。
うん、その通りだ。
それは素晴らしいし、美しい。
でもコレ、あくまで『建前』で。
本音は、
友達は選ぶべきだ。
特に、発達デコボコの人。
あぁ怒られそうだ。
小学校の道徳の時間にこんな発言をカマしたら、いかにもヤバそうだ。
担任の先生、ごめんなさい。
クラスみんなで仲良くしましょうって、何度も教わったのに。
保育園の先生、ごめんなさい。
みんな友達、ずっとずっと友達って、卒園式で歌ったのに。
NHKのみなさん、ごめんなさい。
幼少期は教育テレビ(今ではEテレ)のヘビーユーザーで、がんこちゃんもさわやか3組も忍たま乱太郎もしっかり見てたのに。
そして、我がバイブル、少年ジャンプ様。
コンセプトである『友情・努力・勝利』。
その一角である『友情』が、僕には形成されなかったようです……。
ってことで、関係各所には僕が謝っておいたので。(笑)
いいよ。
大丈夫だよ。
友達、選ぼう。
ASDの、そこのキミ。
微妙にイジワルしてくるあの子に、こだわらなくていいように思う。
気にかけてもらえると、そりゃ嬉しいさ。
ちょっかいを出してくるあの子に執着しちゃう気持ちも分かるよ。
でも、
もしかして、バカにされてる?
そう思うことが何度かあったなら。
微妙に見下された空気を感じるのなら。
勇気を持って、離れよう。
もっと優しい、気の合う子がいるハズだ。
ADHDのあなた。
宿敵のアイツと、距離の取り方を考えよう。
ADHDは刺激を求める。
だもんで、似たタイプと引かれ合う傾向にあるように思う。
似たタイプ、つまりADHDだ。
ADHD同士でちょっかいを出し合い、結果大ゲンカ。
超絶仲良しのときもあれば、超絶不仲なときも。
目も当てられない大惨事になることもしばしばだ。
で、結局めっちゃ叱られる。
トラブルがあっても、ケロッと忘れてまた楽しめるなら、別にいいけれど。
毎回イヤな思いをするなら、意識して離れても良い。
穏やかな子と、穏やかに過ごす。
そんな選択肢もある。
ADHDに、そんな一面があっても良いと思う。
高知能の、そこのキミ。
合わない友達に無理に合わせ、すり減らなくてもいいと思う。
ちょっとよくわからない。
実はもっともっと深い、別の意味があるのか……?
いや、多分ない。
友達は多分、ノリだけで話している。
意図とか考えても無駄だ。
きっと、何もない。
キミとは、思考の通り道に差があるのだ。
話が通じず、混乱し、結果すり減るくらいなら。
距離をとって、合う友達とだけ過ごしてもいいと思う。
同じく高知能の子と。
塾の友達とかさ。
受験して、いい学校に行くとか。
年上や先生、大人相手に話してもいいと思うし。
HSCのアナタ。
自分勝手な友達に振り回されないで良い。
微妙なマウント?(かもしれないし、思い過ごしかもしれないし、でもやっぱりマウントとられてるように感じるし……) に、モヤモヤするのも。
浮き沈みの激しい友達のケア係に回るのも。
他の子同士の争いに、関係ないのに神経をすり減らすのも。
拒否する権利が、アナタにはある。
拒否するというか、あえて線を引くというか。
「自分には関係ない」を貫く姿勢は、非難されるべきではない。
HSCは、全体の幸せを優先する。
それは、ステキな長所だけど。
アナタ個人の幸せを追求する権利だって、もちろんある。
「この子は絶対に悪口を言わない」って信頼できる友達に付き合いの比重を傾けるのは、悪いことじゃない。
友達、選ぼう。
発達デコボコの子は特に。
ASD、ADHD、高知能、低知能、HSCなどなど……。
「まぁいっか」でフワッと流せない子は特に、です。
そんな子に限って、マジメだもんで。
大人の言いつけ通り、「みんな仲良く」をちゃーんと実践しようとするからさー。
いいよ。
僕が関係各所に謝っておくから。
友達、選ぼう。
みんな仲良くなんて、しなくて良い。
好き嫌いの比重をつけるって、人間だもの、当然だ。
もちろん、嫌いな相手にも最低限度の節度を持って接するって、アナタなら分かっているハズだから。
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昔から学校の「みんな仲良く」って言葉に違和感あったんですけど、娘の担任の先生がクラスで1人の子が掃除の時に自分の机だけ誰も動かしてくれないとかって事があった時に、「誰だって苦手な人がいるのは当たり前。それを責める気は無いけど、だからってわざと仲間はずれにするとか、みんなでなんかするのは違う。自分がそっとその子から少し距離を置けばいいだけ」みたいなことを言ってて、なんかすっきりしたのを思い出しました。学校側の考え方も昔とは変わってきてはいるんでしょうね。先生によって対応の差はまだまだかなりあるけど…
小6.凸凹の娘。
親は幼稚園の頃からお友達関係心配で、
自己主張しすぎて浮いてないか?
我が強すぎてケンカしてないか?
幼稚園や学校の先生にもとりあえず、
「いつもご迷惑おかけしてすみません。
何か問題あったら、ご連絡下さい」って頭下げてたし、ママ友には「自己中で本当にごめんねー」ととりあえず、身を小さく見せていた。
でも、本人はマイペースでなんのその。
年長さんの頃に、「私の友達は、私。」と言い切った。「何にも困らないよ」って。。。
外遊びの時間は、地べたに張り付いて虫を探しているし、お部屋遊びの時間は、段ボールでせっせとパチンコゲームみたいなのを作って、毎日持って帰ってきていた。学校に上がってからは、毎日メダカに貼り付け。。。
本人、満足(⌒▽⌒)。
幼稚園、学校、楽しくて仕方ない。
お年頃の女子が、グループになって付いたり、離れたり、陰口や噂話も、何にも知らない。他人に興味ない。
「今日、学校どうだった?」と聞いても、
「忘れた〜」、、、その瞬間の刺激を存分に楽しんだら、記憶に残さない。
。。。私はHSCで、空気読みまくりで、これ、ナースの仕事に役立つこともあるけど、かなりしんどくて、娘にイライラしながらも、羨ましくも感じます。
私からしたら、娘が壊れさえしてくれなければ、一番幸せなわけで。
娘の周囲に「ご迷惑かけて〜」と頭下げながら、内実、バランスよくやらせてもらってます。
関係各所への根回し、流石すぎて草(*´▽`*)笑
大人になってからその建前という名の大人の都合のせいで振り回されたなーと気付かされました、残念。
誰かに言われた事をそのまま守るより自分の頭で考えてそれを実行出来る環境が大切だと気付きました。『やっていいよ』って言ってくれるP先生のような大人、子供の頃いてほしかったー!
P先生こんにちは。友だちを選ぶって大切ですね。
少し話がずれますが、この年になって「嫌いな人がいてもいい」と思えるようになり、そうするとすごく気持ちが楽になったんです。
子どもの頃から、皆と仲良くできる子が素敵な子、という思考を私たちは刷り込まれているからか、嫌いな人がいる自分はだめな人間だ‥と思っていました。
でもね。合わないもんは合わない!近くにいると負のエネルギーで神経がすり減る相手って、確実にいます。そしてもちろん自分も誰かにとっては嫌なヤツでしょう。子どもにも綺麗事ばかりじゃなく、友だちは選んでいいんだよって言ってあげたいですね。
P先生
いつも良いお話をありがとうございます。
私、大人ですけど、社会に出て働いてますけれど、職場で皆仲良くは厳しいお題です。
職場の人に挨拶&お礼を交わせれば、他は気の合う人と仲よくしてオッケーと思っています。
なので、娘にも周りに合わせすぎてすり減る必要はないと言っています。
大人になって、皆友達がムリゲーだと分かりました😗