大きな災害がありましたね。
被害地域の方、大丈夫でしょうか。
元気や健康が何より大事って、思い知らされます。
さてさて。
発達障害や知的障害。
およびHSCとかトガッた個性とか、その子の持っている特性全般について。
または、
よく聞かれる。
僕の考えを書く。
もちろん、正解はない。
正解はないから、僕の考えとして書かせてください。
まず、特性を本人に伝えるか否か。
これ、個人的には
伝えた方がいい
と思う。
むしろ伝えてやってと思う。
診断の有無に関わらず、
「アンタこういう特性があるから、こんな時気をつけーや」
と教えてあげてほしい。
せっかく分かっているのなら。
その特性と一生付き合っていくのは、本人なワケで。
情報として、知っておいた方がやりやすい。
その情報をどう活かすか、または活かさないかは、本人次第として。
分かっているなら伝えてやってほしい。
だって、僕だったら伝えてほしかったもん。
アンタ、知らぬ間に敵を作るから気をつけーや。
第一印象最悪だから、そのつもりでいーや。
疲れる前に休みィや。
マルチタスクはアカンで。
「ちゃんと」とか「コツコツ」とか、基本ムリやで。
教えてよ!!!
思うもん。
誰か教えてよ。
分かってた大人、一人くらいいるでしょ?
教えてくれてたら、あんな失敗やこんな失敗、しなかったのに。
あ、黒歴史が大きく口を開けてこっちを見ている。
今ならわかる。
僕は、普通じゃない。
どうしたって特性がある。
普通になりたかったけど。
一生懸命頑張ったけど。
今振り返っても、どう考えても、特性と一緒に生きていくしか道はなかった。
これまでも、そしてこれからも。
じゃあ、それを知ってたらあんな無駄な努力しなくて済んだ。
くそぅ。
教えてくれよ。
アンタ、こんな特性があるで。
って。
事実を知ってるって、めちゃ強いじゃん。
実際普通じゃないんだからさ。
大丈夫、大抵の困難は、本人が自分で乗り越えられる。
だから、僕だったら知っていた方がよかった。
でね。
僕に限らず、どの子にもそういった部分があると思うんだ。
自分のトガった部分を知っていたら、避けられる苦労がある。
戦い方を選べる。
特性について、知らないより知っておいた方がいいと思うんだ。
親御さんも大抵同意。
「いつかは子ども本人に伝える」というのは、だいたいみなさん考えていらっしゃる。
じゃあ、いつがいいか。
いつ伝えるのがベストか。
よく聞かれるんだけど。
それはもう、
各ご家庭のタイミングで。
お願いします。
正解はない。
が良いのではないでしょうか。
ある程度物事を理解できて。
かつ、「自分は〇〇が苦手だから、一生ダメなんだ」という卑屈な受け取り方をしないとき。
自分や周りに、すなわち『人』に興味を持ったタイミングがいいんじゃないかなーと個人的には思っているんだけど。
それがいつかは、ケースバイケースだから。
一番間近で見ている親御さんが判断するのが、一番良い。
いいところでお願いします。
でね。
『告知』っていうと結構重いじゃん?
もっと軽く考えてもいいんじゃないかって、個人的に思うんだよ。
実際、言われるんだよ。
子どもに、なにかトラブルがあったとき。
ん?
「キミはASDだよ」って伝えるってこと?
いや、別に言ってもいいんだけどさ。
トラブルが起きて余裕のないときに、その子はどう受け取るだろう。
とんでもない受け取り方をしちゃわないだろうか。
僕だったら、
あなたはASDです。(ドーン!)
よりも、
あなたは気づかなかったみたいだけど、相手は〇〇って言われてイヤだったんだって。
それはあなたが悪いわけじゃなくて、特性だよ。
人の気持ちを察しづらいタイプだから、今後も注意するといいよ。
って言うかな。
診断名ドーン! より、個々の特性について「あなたこういうところあるよ」って、僕なら言う。
何かあったときに、その都度
アンタそーゆーとこあるから気ィつけーや
でいいと思うのだけど、どうだろうか。
※子どもの性格によっては、ちまちま個々の特性を伝えるよりドーンと診断名を言った方が良いと思われるケースもあります。
ASDやADHDという大きな『概念』を理解するのって、結構大変。
人間一般について、広く知る必要がある。
それには膨大な経験が必要だから。
現実的に、まず個々の特性を教えておくことは有用だと思う。
「アンタこーゆーとこあるよ」って。
そう考えると、あまり『告知』とかって構えなくていいのだろう。
告知はおすすめ。
知っていた方が圧倒的に戦いやすい。
発達に特性のある人は特に、戦い方を選んだ方が良い。
でも、『告知』とかって身構えなくてもいいのかもしれない。
子どもが失敗したときなんかに、
アンタ、こーゆうとこあるから気ィつけーや
と言ってやるのが一番有用な気がする。
つまり、骨拾い。
失敗したら骨を拾うってこと。
「失敗したから全部ダメ」って本人が思い込まないようにさ。
「ここは特性があるから難しい部分だったよね」って、事実と照らし合わせて一緒に振り返るイメージ。
同時にその子のステキなところを伝え(欠点と美点は表裏一体。苦手があるなら得意も絶対にある。)、「お父さん(お母さん)は絶対に味方だよ」って示してあげてほしい。
『告知』って身構えず、日々の親子のやりとりの積み重ねで十分なように思う。
時間をかけてさ。
少しずつ。
むしろそれが一番染み入るんじゃないかなーと、個人的には思っている。
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いつも参考になる記事を書いてくださり、ありがとうございます。
読んでいて思い出したのでこちらにコメントをさせてください。
今6年生の我が子が2歳で心理士の先生に出会い、アドバイスをしてもらい始めて、最初にその心理士の先生に言われて頭に染み付いている言葉があります。
心理士が診断する立場でははないのは百も承知な上で、初めてのことに混乱し「うちの子はなんなの(診断名)ですか?」と聞いた私に、
「ASDとか、ADHDなどという言葉で子どもを見ないでください。その言葉に当てはめないでください。ラベリングしないでください。そんなことより、自分の子はどんな子かを知ってください」
でした。
告知も同じだと思っています。
なので、うちでは「あなたはこんな人よ」「ここが得意よ」「こんな素晴らしい特技があるのよ」「ママには真似できないステキなものを持っているよ」の中に、「ここ苦手だから対策考えよう」を散りばめています。
そして3〜4年生くらいから、ヨシタケシンスケさんの絵本「ぼくのニセモノをつくるには」を参考にして、新学年の最初の自主学習で自己紹介を兼ねて書かせています。
自分を知り、他人に説明できる客観性を、育てたいと考えています。
この「ラベリング」は、教師や一般の人にも危険だなと思います。最近すぐに他人を「発達障害」と揶揄する傾向にあるので、余計そう思います。
親としては、ASD、ADHDという言葉で、本人が自分をラベリングしてしまうのが一番嫌だと思っています。
今年もよろしくお願いします。
ほしかったテーマありがとうございます。
あんたこーいうとこあるで、ってほんと言ってほしかったです!親の役目だと思います。
小学校高学年の息子は自分で「俺コミュニケーション苦手やねん」って言ってます。
「発達障害」ってなぜか言いにくい言葉で、息子を傷つけるのが怖くて、あと極端な思考する傾向があるので、人生終わった…とかならないか心配で、なので伝え方が「ママはあんまり料理できないけど、でも買ってくるか外食すればいいし、なんとかなるんだよ。」「(お母さんは仕事しないの?)ママは仕事向いてないから、パパが働いてママが家のことをするんだよ。お互いできないことをしてもらってるんだよ。」「(私もASDとADHDなので)ママもこういうとこあって、そこが似ちゃってごめんね」とかそんな言い方してます。
ママはダメだからってすぐ言ってしまって、よくないんですがつい。
だからなのか息子は、私がパートしようかなって言うと「おかんはマルチタスクは無理やと思うで」ってアドバイスしてくれます。
自分が自分をわかることがすごく大事で、無駄にしんどくならない第一歩だと思いました。
P先生♪
口先だけでカニ送っていないのに、亜鉛情報に続いてめちゃくちゃ大事で素敵な本人告知のお話と、連続お年玉ありがとうございます!
(ちなみに、松の実にやや亜鉛多めとたまたま見かけました。牡蠣や鰻よりは、日々摂りやすい、、か?どうでしょう。)
本人への説明にも、兄弟への説明にも、今日のお話を心に留めて話していきたいな、と思います。
うちの子には、一気に話すより、折に触れて刷り込んでいくのが良いのかも?とか、考える機会にもなりました。
私自身も色々困りごとがありますが、少しずつ少しずつライフハック的に克服したり避けたりしつつ進んでいますが、早くから分かってそれなりの対策をしてたら、確かにもっとずっと無駄にエネルギーを消費しなくてよかったかも。
世の中、皆んな同じようにできるように、普通に近付くように、という日本の風土(?)も、それぞれの個性を受け入れた上で、じゃあどうする、という方向に向かいにくいのかも。少しずつ世の中変わると良いな、と思います。
これからも楽しみにしています!
今年もよろしくお願いします。
P先生こんにちは。いつもありがとうございます。
以前、自治体が行う自己理解についての講座を受講したとき、
『"理想的"だと表現できる告知は全体の1割程度しかない。
突然、告知のタイミングが訪れる場合も多く、事前準備が必要だ』
とおっしゃっていたことが印象に残っています。
そして、親としてストレングスの視点からの自己理解からの告知がいかに大切かということを実感しています。
よく言われる"プラスでの言葉かけ"というのは、告知にも影響を与えるのだと思いました。
でも、告知が終わってホッとしていたら、子ども自身が自分の壁と向き合う瞬間がやってきました。その時は、保護者以外に信頼できる第三者の存在も必要でした。
ちなみに、私が初めて「僕って障害なの?」って聞かれたのは
たくさんのお客さんが乗車している電車の中でした(笑)
療育手帳を何気に開いて見たらしく、苦し紛れに手帳の説明をしましたが、めっちゃ焦りました!!
告知には、それぞれの家庭でドラマがあると思います。