前回の話から。↓
誰だってやればできる。
努力は裏切らない。
頑張る者に手を差し伸べる仕組みを。
的なさ。
わかるよ!
わかるんだけど、僕みたいなひねくれ者は「なんだよクソが」と毒づくような理論。
道徳の教科書か。
解決方法をクラスみんなで話し合って考えておけよ。
それだって、最終的には教師が力づくでまとめるんだろクソが。
※アレ? 僕道徳の授業好きだったんだけどな。
そんな、正しすぎる、きれいすぎる理論。
やっぱりこの理論では、現実問題厳しいなーと思う。
※個人の見解です。
僕自身も、長らくこの考え方を持っていた。
なぜそう思ったのか記憶にないくらい、気付いたらそこにあって、あまりにも当たり前だった。
やればできる。
みんな一生懸命頑張りましょう。
体育で、逆上がりができなければ居残り練習、出来るまでみんなで応援。
合唱コンクール、一致団結すれば必ず優勝できるさ!
勉強だって、みんなやればできると信じて疑わなかった。
できない人(自分含め。マジでできなかった。いやマジで。)は、ただ単にやっていないだけ。
やれば全員できるようになる。
純粋に、そう信じて疑わなかった。
今は分かる。
そんなワケねーだろ。
無邪気かっ。
できない人は、いくらやってもできないし。
できる人は、やらなくてもできんだよ。
神様は不公平なんだバーカバーカ。
これが、年齢を重ね、心が黒く染まりきった今の僕の意見。
当たり前だけど、みんな違うのだ。
むしろ、なぜ同じと思った?
違うに決まってるのに。
僕自身は、たくさんの子どもたちと接する中で気づいた。
子どもたちに気付かせてもらった。
例えばHSCの子が、こう言うのだ。
みんなこんなもんですよね?
誰もがぐったり疲れてますよね?
んなわけ!!!
と、客観的には思う。
でも本人は、「みんな同じ」と信じて疑わない。
人は、自分以外の感覚って体験できないから。
こんな例をたくさんみて、
人が思うよりずっと、人は同じではない
と気付かせてもらった。
HSCの子が思う「普通」がズレているように、人々の思う「普通」ってズレてるんじゃね? と。
僕の思う「普通」も、全然「普通」じゃないのでは? ってね。
子どもたちにありがとうだ。
やればできる人は、当然たくさんいる。
努力が実を結ぶことはたくさんある。
それは否定しない。
でも、やらなくてもできる人もいる。
そして、いくらやってもできない人だっているのだ。
残酷だけど、考えたら当たり前の話だ。
スポーツだとわかりやすいだろうか。
僕は、逆立ちしたってサッカー選手にはなれない。
生まれ持った才能や体格の違いは、年を追うごとに明確化する。
僕には明らかにムリ。
自他共に認めるレベルで、明らかにムリ。
スポーツなどフィジカル面については比較的受け入れやすいだろうか。
これが、勉強になると話が違ってくる。
「みんな同じにできるハズ」が前提で。
頑張った人が評価される世界だ。
根拠は、「みんなやればできるんだから」。
※余談だけど、学校で提出物を評価する仕組み、あるじゃん? 僕アレあんまり好きじゃなくて。テストの点数オンリーじゃなくて努力を評価しようってコンセプトのやつ。分かるんだけどねー。
性格的に、納得しないと動かない、よってノート提出ができない子がいた。この子は手を挙げて発言するタイプでもないので、積極性も低評価。だもんで、テストの点はいいのに、成績は振るわない。単なる性格じゃんと思うけど。こんな子は損だよなー。
学歴は本当に平等か?
成績は個人の努力を反映するか?
僕は、そうは思わない。
生まれ持った性格や能力の違いは明らかに存在するし。
環境の違いは、乗り越えようのない壁となる。
勉強をしたくてもできない環境の人って存在する。
進学という選択肢が持てない人がいる。
そんな環境に生まれた人を、「勉強しなかったアナタが悪い」と切り捨てて良いものだろうか。
反対に、勉強せざるを得ない人も存在する。
今まで内緒にしてたけど、僕は昔、医学部を受験したんだけど。(そーなの⁉︎)
やっぱ「勉強する」以外の選択肢がなかった人っているのよなー。
本人の意思とは無関係に、医学部受験を強要される。
それしか道がない。
落ちたら人生終わるってくらいの、とんでもない周囲の圧がかかって。
この人は本当に幸福なのか。
頑張ればいい。
正論だ。
頑張らないことには、得るものもない。
でも、じゃあ、頑張らない人はダメで自己責任なのか。
そうじゃないと思う。
真に支援が必要なのは、「頑張れない人」だろう。
どうしても頑張れない人たち ケーキの切れない非行少年たち2 (新潮新書) [ 宮口 幸治 ] 価格:792円 |
↑この本だったかな?
まさにそんな事が書いてあって。
そーだよなぁぁぁぁぁってなった。
頑張る土台には、能力および環境が必要。
そのどちらか、もしくは両方を持たない者は、頑張ろうにも頑張れないのだ。
頑張れた人は、環境に恵まれ、かつ能力のあった、運のいい人であって。
頑張れた時点で、運の良い選ばれし勇者であり、特別な人だ。
僕含め。
僕、親ガチャ失敗したクチでして。
自分の努力で今の生活を築いたと思ってたけど、今思うと全然そんなことない。
ただ運が良かっただけだ。
じゃあどうするかって。
結局、個人の能力を把握するしかないのだろう。
みんな同じ!
やればできるよ!
みたいな、道徳の授業的な考え方から一旦離れて。
その人にはどんな能力があり、今どんな状態に置かれているのか。
何ができて、何はできないのか。
オーダーメイドでマネジメントする必要がある。
発達障害特性の有無とか、不安の強さとか、生まれ持った性格とかさー。
知能レベル及びデコボコの把握も有用だろう。
あと、置かれている環境の把握もね。
ウチの家庭環境って、相対的にどんな感じ?
この地域では高卒で就職が普通だけど、東京だと違うんじゃね?
とかとかさー。
この辺、一人ひとりみんな違うわけで。
なぜ一般的なやり方でうまくいかないのか。(その子の個性や特性)
なぜ頑張れないのか。(環境や生育歴)
この辺りを無視しちゃダメなんだろうなーって。
つまり『玉』ですね。
その変な矢印(行動)の出どころ、つまり『玉』だ。
『玉』は、形も色も大きさもみんな違うのだ。
マジばらばらだかんね。
ばらばらで、だから面白い。
適応って、こんなにも異なった玉から、適切な矢印(行動)をアウトプットすること。
放っておくと個性的な『玉』からは個性的な『矢印』が出てきちゃうわけで。
やっぱ大元の『玉』を把握しておかないことには、どうしようもない。
特性のある人は特に。
特性のある人は、能力が個性的で、エッジが効いている。
エッジの効いた『玉』だ。
環境に適応するために、戦略的に行く必要がある。
ほら、ゲームでもさ、特徴的なキャラって扱いが難しいじゃん?
それと同じ。(そーなの?)
そして繰り返しになるが、個性や特性にいい・悪いはない。
どの面が出るかだ。
ゲームだって、尖ったキャラが強い場面や戦い方もある。
うまく戦略を立てたい。
「みんな同じ」じゃ、全然ない。
じゃあ「普通」に乗っかれないからといって、気を落とす必要もない。
自分のできないこと、およびできることを受け入れ、
ずる賢く!
省エネに!
おいしいとこどりで!
いきたいものだ。
View Comments
ずる賢く!
省エネに!
いいとこどりで!
心に響きました。私自身が実践したいと思いました。HSPの私はずるいと思われるかな、頑張らなきゃ!と常に思ってしまっています。楽に生きていいんですよね。
小4のHSCの娘、五月雨登校です。
・頼んでもいないのに嫌いなものや牛乳を勝手に出して、残さず食べなさいっておかしくない!?
・苦手なことでもみんなやっているから頑張りましょうって、将来必要なら頑張るけど、それって本当に私の将来に必要!?
・普通の口調で言ってくれればいいのに、先生達ってなんであんな偉そうに怒るの!?先生達だって忘れ物とかするよね!?
と、学校の納得いかないことがたくさんあるようです。
これだけ自分の意志がしっかりしてると納得できなきゃ動かないし、無理して動いてもストレスたまるだけですよね。
それが分かってから全て本人に任せています。
今は学校行かなきゃ学べないこともあるし(そこは自分で納得してる)、好きな教科や好きな先生の時間に行ってます。
まさに、ずる賢く、省エネに、いいとこどりを実践してます!
でも真面目なので、私ってズルいよね、みんな頑張ってるから私ももっと頑張って行かなきゃー!とたまに爆発しています。。
P先生の教えを実践していたら、この前スクールソーシャルワーカーの先生に、お母さん素晴らしい対応ですねと褒められました(笑)
P先生ありがとうございます!
これからも有益な情報と笑いをよろしくお願いします!
P先生、大好きです!!
いつも先生のブログを拝見して、色々納得して、骨を拾う覚悟を持って子どもとは接したいと思っているのですがなかなかうまくいきません。
子どもの凸凹があるのはわかっているつもりですが、どうしても「ここができるならこっちもできるでしょう??」と、ついつい思ってしまいます。子どもの頑張れる基準(それが玉なのでしょうか?)がまだ見えていないのでしょうね。
結局、親の内心がこんなだから不安定な関わり方で、子どもは不登校から抜け出せず…。本人はこの状況で落ち着いてしまっているので、そのままでいいのか、でもお膳立てが必要なASDタイプの子なので、どこかでこちらも動かなきゃと親が焦り。
はあー、うまくいかないですね。
また先生のブログを読んで、気持ちを整えていきたいと思います。
子供にはずる賢く、省エネ、いいとこどりで生きていってほしいと思いました!
私も努力でなんとかなると遠回りして苦しんで今の生活を手に入れましたが、子供には福祉の力を借りたり親のスネをかじったり、なんでもいいから楽しいと思える人生を生きてほしいです。
「学校に行かないなんて」「フリーターなんて」「結婚しないなんて」とか世間は言っても私は絶対言わないし、匂わせもしないでおこうと思います。
P先生いつもありがとうございます。
小5の不登校女子の母です。
このブログに出逢ってから、いつもお礼を言いたいと思いながら先延ばししてました^^;
親ガチャに失敗して、医学部に進むしか選択肢がなくて...ひょっとするとP先生にはお辛い半生だったのかもしれないですけれど、その全てが今の小児科医P先生に繋がっていると思うと、私にとっては今のP先生を形作っている全てに感謝です。私以外でもP先生の存在とこのブログに救われている人がたくさんいると思います。
診療もされながらお忙しい毎日と思いますが、ブログを長く続けていただけますとありがたいです。くれぐれもご自愛くださいませ。
P先生、ものすごく納得です。普通という概念にとらわれず、子どもの特性をよく見る!ことですね。
定期テストの成績がめちゃ良くても、授業に出ないと学校の成績表は、1か2。(提出物も一応、家でやって、出せるものは出しに行っているのですけどねー。)褒めてあげられるのは親と家庭教師の先生くらいで。
息子は、意味を感じないことはやりたくないだけで、省エネに生きていきたいタイプ!まさに、それです。柔道とか意味ある?スメタナの本名知って何になる?タグボールのルールとか知らんでもよくね?と。そんなことどーでもいいから、人生の省エネ路線を突き詰めて、うまく戦略立てて、ずる賢く生きていってほしいものです。
でも、今は戦略とかなさそうで、親としては不安で一杯ではありますが。
P先生、いつもくすっと笑えるいい話、ありがとうございます。
全小児科医P読者が泣いた(T_T)
世の中に先生のように考えて下さる方が増えれば生きやすくなる人がたくさんいると思うのに・・・。
でも逆に持っている玉や生育歴によって「頑張れない人は根性がない」としか考えられないタイプの人もいるのかな?と思うと皆が分かり合うって本当に難しいなー、妥協点はないのかなーと思ってしまいます。
やっぱり玉の観察が大事ですね。
わかってはいるのに実行できなかったり、ペリーがやってきたりする時があるんですよね(´;ω;`)
先生、定期的に思い出させてくださりありがとうございます!
いや、ほんとに特性のある人やその家族だけじゃなく、全人類で認識していたい内容だなと思いました。
道徳の時間にこれをやってほしい。
先生方にも定型発達児にもその親御さんにも知っていてほしい。
これって障害の有無に関わらず大事な考え方ですよね。
話しが少しずれますが、
自閉症スペクトラムを表現するときに、
自閉症スペクトラムは黒から淡いグレーとグラデーションになっていて、定型発達児は白という図をよく勉強会で見せられますけど、
その白一色みたいな表現をいつも変なのと思っています。
どこもグラデーションだよ、ひとくくりにできるものじゃないよね、と思います。
(アンミカさんも白って200色あるって言ってるし(`・ω・´)!笑)
なんか生きづらい世の中ですが、みんなそれぞれ自分の戦略をうまく立てたいものですね。
私は自分が小さい時からコツコツ努力するタイプだったのでADHD+LDの息子の宿題ができないのを何時間もかけて一緒にやったこともありました。
読み書き障害でなかなか書けないのに努力すれば書けるから書かすなんて拷問以外なにものでもないですね、
でも本当に早めに診断がついて良かったです。
診断がなければもしかしたらまだ「やればできる」とやらせていたかもしれません。
努力とは無縁の息子をみてると「努力できるっていうのも能力なんだな」と思います。
そして「できることはできるけど、できないいことはできない」と玉を見なきゃですね。
息子に申し訳ないことばかりしてきました。
勉強のセンスはあったけど、身の回りのことや日常動作が苦手だったので何とかしてあげようとしすぎました。私は努力で生き抜きてきたので、その方法しかしらず、大元の玉を見ようとも思ったことなかったんです。
崩れた信頼関係再構築中です。
私からしたらリセットボタンでやり直してるつもりだけど、息子にしたらゲーム機ごと壊れた感覚かもですが。
苦手なものはそのままで良いですね。
玉を大切に…。
そういえばなのですが、先生が以前ブログに載せてくださってた「こたえあわせをする」のをずっと考えていますが、うまくできません。
すこしでも構いませんので、また先生のお考えをブログにしてくださったら嬉しいです。