ASDは、人と自分の境界が薄い。
だから人の気持ちが分からないし、空気が読めない。
かと思ったら、周囲に共鳴して自分ごとのように嬉しんだり悲しんだり。
でさ。
人と自分の境界が薄いゆえに、「自分」が行方不明になりがちだったりする。
「自分」って、人とは違う、相対的な存在だからさー。
自分が行方不明
ASDの支援で一番困るのが、ココ。↑
不登校とか起立生調節障害とか自律神経失調とかの子。
話を聞くと、どうやらストレスがありそう。
それ、学校がストレスなんでしょ?
家族がストレスで、家でも休まらないんじゃ?
客観的に聞くとそう思える。
なのに本人は納得しないってケースがある。
勉強もまぁ大丈夫。
別にストレスってほどではない。
僕も頑張って突っつくんだけど、本人はYesと言わない。
それは別にストレスじゃない。
大丈夫。
じゃあ、他にどんなことがストレスかと聞くと。
わかんない。
特にストレスはない。
でも、体調が悪くて学校へはいけない。
もちろん身体の検査では何の異常も見当たらない。
日曜は調子いいし、午後からは元気なのに学校に行かないって。
やっぱり学校がストレスなんだと思うけど。
家族のいない日中は調子良く好きなことができて、親が帰宅するとずっと寝ていると。
やっぱり家族がストレス源に思えるけども。
↑こんな子。
ASDなのかな? と思う。
自分の気持ちが分からない。
自覚して敢えて隠してる子もいるだろうけど、やっぱり自分でも分かってないんじゃね? って子もいる。
「どう思う?」
「それはどうして?」
に答えるのが苦手。
明確な答えがある質問や、はい/いいえで答えられるものは、比較的得意なんだけど。
ASDの支援の難しい点は、ここだと思う。
自分が行方不明。
あなたはどうしたい? が通用しない。
「学校は行くべきもの。」
白か黒か、ゼロか100かの極端な思考。
なので「理屈では行くべきなのは分かるけど、感情的には行きたくないんだよねー」という曖昧な感情がキャッチできない。
学校は大事。
行くべき場所。
以上!
↑こうなっちゃう。
本当は行きたくないけどーみたいな、曖昧な、主観的な感情が入り込めない。
「他の人と比較し、相対的に自分の行きたくない度は高い」という視点が持てない。
これが難しい。
気持ちを言語化する練習を重ねるしかないんだけれど。
AかBかでいうとどっち?(closed question)
とか、
あなたが思うのは〇〇ってこと?(気持ちの代弁)
とかさ。
絵カードみたいなツールを使うとか。
でも、付け焼き刃では難しい。
習得には時間がかかる。
練習してないけどハイとりあえず目の前の問題に対峙しよう! となると、困っちゃう。
固まってしまう(文字通り固まってしまう)子も多い。
自覚しないことには、話が進まない。
自分の気持ちを自覚してくれると、スタートが切れる。
支援する側も、そこからがスタートだ。
促すと、少しずつ気づく子がいる。
促しても、ちっとも気づかない子もいる。
きっと気づいているのに、気づかないようにしている子もいる。
この辺、とても難しいと僕は思う。
ASD支援って、ここからスタートだ。
そして、ここが一番難しい。
View Comments
自分が行方不明とは、納得。だから、言ったって何も変わらないし、面倒なことになるからっていうんですね。そりゃ、本人にしたら、大変な事ですね。うまく説明つかないし、自分を探しに行くなんて心中穏やかでいられませんね。そして、もうひとつよくいうのが、先生とはいえ、よく知らない大人のカテゴリーなんですよね。そんな初めて会った人に、自分のことあれこれ説明して、あれこれ言われたくないというんですよね。生意気ですが。多分、明確な自分がそこにいないことがわかってしまうのを恐れているんですね。ただ単に、人見知りをしてるだけでなく。大いに納得しました。
自分の気持ちを言えるようになったら、支援の一歩が踏み出せる。まず、自己表現の方法を学ぶという前段階を踏まなければ難しいですね。しかし、なんで人間のコミュニケーション手段は言葉だけなんでしょうね。わかりやすいからでしょうが。この子達には難しすぎる気がします。自分を表す言葉が見つからないし、しっくりこない。正確でないので言えない。とりつくしまがない。と言ったところです。
すごくよくわかるお話でした。
うちの子もこだわる部分はとことんこだわるのにその他は本当にどっちでもいい、もしくはどちらも選べないになります。極端ですね。
学校でも明らかに困っているだろうに困っていることすら分からないからSOSを出せない、その状況を先生に伝えてはいますが汲み取って支援してもらうのもなかなか難しく歯がゆい思いをすることばかりです。そしてこの歯がゆい思いをするのも親だけで本人は何も歯がゆく思っていないのがなんだかなあと常々思っています。
P先生の記事を見てからコメントを見て、本人が本人を分かっていないと周りが支援する事は非常に難しいんだなと思い知りました。
支援する側ももどかしいですよね…P先生もお母様方も、本当に日々お疲れ様です。
こだわりが強すぎるのも、こだわりがなさすぎるのも、人間てこんなにも幅があるんだなと勉強になりました。
息子(小3、完全不登校一年)がこのタイプだと思います。そして、私もなのかなあと思います。
ほかの人の経験談を見たり、こういうこと?と聞かれるとわかる。でも自分の中から湧き出るそれがない感じ。
子供は学校行かなくなって長くなって、なんで行かなくなったのか、わからないそうです。だけど、学校への拒否感はすごく強い。
私も子供も、誰かに搾取されるだけの人生にはなりたくない。どうしたらいいのか、もがく毎日です。
不登校になりたての頃、ASDの娘は、思春期外来で「私は学校に行こうと思ったら行けます」と堂々と言いましたね。医師からは「あなたは学校がストレスだから行けないし、朝起きられないの。通信制を薦めるわ」とはっきり教えてくれましたが、不登校1年半経っても、娘はまだ理解していません。好きなことをやって幸せな不登校を過ごしています。
そして、「4月から普通に登校して普通科の高校を受験する!」、と勉強を始めました。
学校に毎日通わないと内申取れないよと説明しましたが、「勢いで乗り切るよ」と。不安や心配や限界を自覚できていません。あっぱれです。
これがASDなのか、とP先生の話を読んで納得しまくりです。
このタイプのウチの子。年齢があがってきて少しずつメタ認知の精度があがってきたように思います。
行き渋りから不登校になり、不安でドキドキしながら勇気を出して初めて児童精神科に行ったら、親だけのときに「このタイプの子は誰も担当したがらないのよね、でも私が担当してあげるわ」と先生が言い放ってきました。
お世話になった面もありましたが、結果的にその病院に行くのはやめました。別でとても嫌なことを言われたので。
最初からP先生のような先生に巡り合っていたかったなあと思います。先生に何を言われるか怖くて、しばらく他の児童精神科にも行かれなくなりました。
うちも、その通り!です。カウンセリング受けても、「別にー」だし、困っているポイントがちっとも見えてこないので、楽しい不登校やってるだけじゃん、と思えてきます。不登校一年半になっても、ちっとも見えてこない。プライドは高いから、自分は全然大丈夫、って思い込もうとしているようにもみえます。
お医者さんからみても、難しいパターンなのですね。
ほんとにその通り!
これができないと、SOSが出せないんですよねー。
困ったな、不便だな、難しいな、という気持ちに自分で気づいて言葉にしてくれると、こちらもとっても助かるんですけどー!
日々の生活の中で意識的に伝え続けているつもりですが、少しずつ習得してるようなしてないような…。
長年の課題です。
"自分がわからない"
納得です。
こないだ、長男を連れて靴屋さんに行ったときのこと。自分で選ぶよう促し、試し履きさせたときに、「きつくない?」と聞いたところ、「なにが?」って
返ってきて、なにがって、、
今履いてる靴だよ!て叫びそうになったけど、抑えて、「幅とか指の部分とか?」と言うと「特には」って。。。あの子のニュアンスに全然慣れません(汗)
本人いわく、何でもいい(こだわりなし)から何がいいのかわからない。らしいんです。
好きなものもわからないんですね。
次男の方はこだわりがありすぎて、決まらないんです。今履いてる靴がもうボロボロで、買ってあげたいけど、今履いてる靴が好きだから要らないらしい。。
その通りです。
ウチの高機能自閉症息子は、自覚が出来ておらず、家で暴言暴力で当たり散らします。
こちらは資格支援やスケジュール、選ぶ活動、ほめる、スルーする、と色々やってますが、本人の自覚がないので、暖簾に腕押しです。
その難しい「自覚」。病院のドクターやカウンセラーでどうにかならないもんでしょうか?
このままだと家族が終わってしまいます。