ある精神科医の話を聞いて。
ADHDもASDも、根っこは同じで「先が予測できない」人たち。
ほぅ。
非常に興味深い。
ADHDとASDの合併って非常に多くて。
ってゆーか、大抵合併しているんだけど。
純粋にどっちかだけって人には、あまりお目にかからない。
曰く、未来を想像する力が弱い人たちがいて。
「分かんないからやっちまう」のがADHD。
「分かんないから動かない」のがASD。
とな。
非常に面白い視点だ。
そう言われてみると、合点のいくところがある。
片や「やっちまう」、片や「動かない」。
ベクトルは逆だが、根っこは同じという考え方。
確かに、同じ人が時と場合により「なぜそこはやっちまって、なぜこっちは動かない⁉︎」という事例は、大いにある。
状況によって、ADHDっぽくなったり、ASDっぽくなったりするのだ。
根っこは同じ説。
一理あるのかもしれない。
僕は以前、ASDとHSCとで、もしかしたら根っこ(出発点)は同じなんじゃね? という仮説を立てた。
イーブイ仮説だ。
あくまで仮説ね。
これが正しいってわけじゃないし、僕も「絶対コレだ!!!」とは思ってないからね。
同様に、ASDとADHDにもイーブイ仮説が適応できるのか。
もとはイーブイ(想像力の弱い人)で、
ってことでしょうか。
繰り返すけど、あくまで仮説ね!
コミュニケーション面の違いとか脳内の伝達物質がなんだとか、この仮説では説明できないところも多々あるからね。
でもまぁ、正直ASDとADHDもかなり似てると個人的には思っていたのよ。
この視点で考えると、ASDとかADHDとかHSCとか、その合併とか、あんまり考える必要はないのかもしれない。
区別をつけなくていいのかも。
結局、これらの分類って「どう動くか」で分けているだけだ。
結果(行動)を見ているだけで。
原因となる性質は、案外同じなのかもしれない。
閑話休題。
この話を聞いて、個人的にめっちゃ腑に落ちたことがあるので紹介させてください。
僕、ASDタイプと自称しているのだけど。
診断を受けたことはないけど、イレギュラーが苦手とか、興味の偏りとか、コミュニケーションが下手とか、ポンコツモードとか、それっぽい点を多々自覚している。
ま、ASDってことにしといてください。
でね。
個々の困りごとは、個々で対応策を考えて生活している。
こんな感じ。
なんだけどさ。
元をたどると、
先が想像できないから、秩序を重んじまくっている
と考えると、そうかもしれないなーと。
秩序だよ。
秩序なのだよ。
僕には、何より秩序が大切なのだ。
イレギュラーはイヤなのだ。
新しいことはニガテ。
このあとどうなるか想像がつき、対処法もわかるシチュエーションが安心安全。
だから、ルーチンワークなのだ。
突発的なことはイヤ。
興味の内容にこだわるのは、そこが「安心・安全」なフィールドだから。
自分の陣地からはみ出したくない。
着地点の分からない話はニガテ。(←つまりコミュ障。雑談ニガテ。)
疲れたら早々に休むのも、疲れた状態でイレギュラーが襲いかかってくるのをめっちゃ恐れているのだろう。
太刀打ちできないもん。
↑これ。
この、「先が見えないがゆえに秩序を重んじまくる」って、ASDの、少なくとも僕の根幹となる考え方なんじゃなかろうかと。
で、度を越えて重んじまくっちゃったときに、トラブルとなる。
ここから論が飛躍する自覚があるので、話半分で聞いて欲しいんだけど。
そう考えると、例えば不登校でまったく動けないASDタイプの子ってさ。
「何がイヤか分からないけど、とにかくイヤ!」的なASDって。
何がイヤか分からない
↑これがとにかくイヤ なのではなかろうか、と。
未知の行動を起こすと、つまり学校というよくわからん場所へ行くと、そこはカオスだ。
秩序を重んじるASDにとって、学校なんてまじカオス(混沌)。
秩序の対義語、混沌。
一番の恐怖だ。
だもんで、今の場所にこだわる。
つまり、家から出られないのではなかろうかと思った。
家は少なくとも既知であり、秩序があり、安全だからね。
でさ。でさ。
以前から疑問だったんだけど、
学校が不安なのは分かるけど、このまま不登校ってもっと不安じゃね?
なのになんで動かないの?
って。
みなさん思いません?
コレ、
過敏と鈍麻は同じもの
ってヤツじゃ? と。
敏感は、度を超えると鈍麻となる。
※詳しくはコチラ。
学校は、カオスではあるけどなんとなーく想像できる。
自分の秩序(マイルール)が通用しない、不安定な場所だ。
だから全力で避ける。(過敏)
でも、「将来」とか「進路」って、全くの未知だ。
経験したことないし、あまりにも想像がつかない。
だから、考えることすらしない。
見たくないし、見て見ぬフリ。(鈍麻)
なんじゃないか? って。
だから延々動かないのでは?
HSCタイプの「学校が不安で不安で」的な不登校は、そのうち動く。
だって、不登校のまま未知の「将来」へ突入する方が、もっと不安だから。
でも、ASDは動かない。
つまり、こういうことでしょうか。↓
ASD
学校:過敏 将来:鈍麻 →動かない
HSC
学校:過敏 将来:過敏 →そのうち動く
※もちろん「そういう傾向がある」ってだけです。全員が全員そうじゃない。
さらに言うと、ASDやHSCによく見られる、完璧主義。
これも、先が分からないがゆえに、秩序を当て嵌めたいのではないかと。
平均的な考え方が、
それなりになんとかなるっしょ。
だとすると、完璧主義な子は
完璧にできないのなら、学校へは行かない!
だ。
グレーがないのだ。
これ、「グレー」ってつまりカオス(混沌)じゃね? と。
グレーとかどっちに転ぶかよく分からんもの、怖くて仕方がない。
白黒つけてくれぃ!
この子が、秩序を持って安心して行動する方法は、以下の二つだ。
この二択となる。
うん、めっちゃ秩序。
こういうことじゃね?
あくまで仮説です。
でも、こう考えると、
という問いに、一つの答えが提示できるように思った。
「先が見えないから」だ。
とりあえず、僕個人としては秩序がめっっっっっちゃ大事なんだな、という気づき。
ゲームとか漫画とか、「ゲームや漫画」という枠に収まっている(つまり秩序)から好きなのだろう。
お菓子やアイスの新商品は食べず定番ばかり、レストランでも毎回同じものを頼むのも、マジ秩序だよなーと。
そんなことを思った。
サイゼでは毎回、ミラノ風ドリアです。
安心・安定の美味しさです。
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P先生、いつもありがとうございます。
色々な人が色んな事を言ってるし、その全てを満たす仮説なんて立てようがないけれど、そもそも同じ患者さんを見てるわけじゃないですものね。たくさんの情報の中でとりあえずこれは今は置いておくと決めた上で、仮説を立てて考える。
バリバリの秩序だった考察、面白かったです。ことわりの積み重ねで世界を説明しようとする姿勢は、確かにASDタイプに多いのかもしれませんね。
「このあとどうなるか想像がつき、対処法もわかる安心安全」のために、長年ご自分なりの考察方法を磨いてこられたのかなあと思いました。自分なりに「何故か」を考えられる様になったら、この先の想像もつきますね。想像と違ったことが起きても、また「何故」想像と違ったのかを考えれば大体の対処はできる。まずはどんな事についてでもいいので、「何故なのか」を自分で考えられる様になると、先が楽になるのかもしれませんね。
中1の息子、本当にこのお話の通りです。
不登校ではないのですが本人の気持ちを聞いても、イヤというけど何がイヤなのかわからない(本人も親も)ことは、今までたくさんありました。
根本が“先の見えない不安”だったのかなーと思うと、すごく納得できます。
親目線だと、無鉄砲のようにも見えるのに変なとこだけ固まってしまうしどういうことなの!?とよく思っていますが(^_^;)。
そう言いながらも私自身も似た部分もあるので、私の自己理解にもつながります。
ありがとうございます_(._.)_
初めてコメントします。ASD疑いで某医大病院に2年通っている中3娘がいます。このブログの話は、主治医の教授先生のカウンセリングとほぼ同じなので、受診と合わせて読んで、とても理解が深まっています。
で、先日の受診で、教授先生に「白か黒かだけでなく、グレーを認められるように心のあり方を工夫をして」とアドバイスされました。ですが、完璧主義や白黒はっきりつけたがるのは生まれ持ったものだとすれば、ASDの子にはとても難しいのでは?とも思います。
(教授先生自身はちっちゃな頃から優等生で、不登校の経験もなく、具体的な解決法はわからない、と)
そこで質問です。ASD傾向だというP先生は、どうやって完璧主義を緩めたり、グレーを認められるようになったのでしょうか?そのあたりについて、もう少し深掘りしていただけると、参考になります。どうぞ、よろしくお願いします。