前回の続き。
HSCとASDって、今現れているコミュニケーション能力で呼び分けているのでは?
本質的な特性を指す言葉じゃないのでは?
って思ったって話です。
僕が個人的に。
でさ。
周囲に興味があるか、コミュニケーション能力がどうかって、確かに大きな問題だけど。
ここに本質的な違いはないんじゃないか? と最近思った。
HSCもASDも、自分と他人の境界、すなわち『自他境界』が弱いのは納得いただけると思う。
HSCは周囲の刺激や人の考えがたくさん入ってきちゃうし。
ASDも、自分と人という区別が弱いから、コミュニケーションエラーを起こす。
これ、考えようによっては、
自他境界が弱いゆえに、周囲(特に対人関係)に『敏感』なのがHSC。
自他境界が弱いゆえに、周囲(特に対人関係)に『鈍感』なのがASD。
と表現できないだろうか。
どっちも本質は『自他境界が弱い』という点で。
弱いから→どうなるのか の違い。
なのではと仮説を立てたわけです。
でね。
これ、興味深い話でさ。
『敏感』と『鈍感』って、同じものなのね。
『感覚過敏』と『感覚鈍麻』って、同じなのよ。
ASDの子あるあるなんだけど、においや肌触りにはめっちゃ敏感、でも痛みには逆に鈍感なんてことがある。
ある刺激には敏感、でも別の刺激には鈍感。
また、状況や精神状態によって敏感になったり鈍感になったり。
入ってきた刺激を、増幅するか縮小するかの違いで。
一説によると、刺激が閾値を超えると逆に感覚が鈍麻して感じなくなるらしい。
大事故で痛みを感じないとか、集中しているときは音が聞こえないとか、同列の現象なのかもしれない。
刺激が強すぎると鈍麻する。
「鈍感=強すぎる敏感」って説だ。
臨床的には「敏感」がフォーカスされやすいけどね。
困るから。
でも実際は「鈍感」も結構あると、僕は思っていて。
でね。
あくまで仮説なんだけど、「敏感」と「鈍感」が同じものだとしたら……。
と表現できないだろうか。
ベースの性質は、どちらも「自他境界が弱い」ことで。
自分と人との境界線が薄いことにより、
なんじゃないかと思ったわけです。
もしそうなら、HSCとASDは同じもので、表現され方の違いだ。
感覚過敏と鈍麻が、同一のものであるように。
出てきた症状に名前をつけているだけで、本質的には同じものなのでは? と思ったわけです。
どっちもベースはイーブイで、サンダースになるかシャワーズになるか、みたいな。
だって、同一の人に、どっちの症状も出るから。
HSCの人も、ASDっぽさを併せ持つことが多い。
逆もそう。
HSCは過剰に刺激を受け取るけど、たいてい「そこお留守⁉︎」って箇所がある。
ASDも、基本無頓着なのに「そこはそんなに気にするの⁉︎」って点がある。
完璧に敏感、もしくは鈍感な人って見たことなくて。
HSCでもASDでも、刺激のキャッチにアンバランスさがあり、敏感と鈍麻の両者が混在している。
僕には「どう出るか」の違いに思える。
ってことで、仮説を立ててみた。
自分と他人の境目、『自他境界』が弱い人たち(イーブイ)がいて。
※対人関係以外の刺激、例えば味覚とか視覚とか触覚とか嗅覚は、各々敏感だったり鈍感だったり。
という理解はいかがでしょうか。
だから、両者の行動に差が出る。
HSCは周囲に合わせがちで、トラブルを起こしづらい。
ASDは空気が読めず、トラブルを起こしやすい。
で、時と場合によって出方が逆転することもある。
「どっちが出やすいか」「より目立つか」でラベリングしているのでは? と。
コミュニケーション、対人関係の差で見分けているように思われる。
HSCの気遣いは、考えすぎてちょっと足りなかったり↓
大きすぎたり↓
ちょっとずれたり。↓
対してASDは、「相手」に鈍感なので、めっちゃずれる。↓
気遣いの暴投!
敏感か鈍感かで、人の行動は大きく変わる。
特に対人関係における敏感or鈍感は、周囲から見たその人にめちゃめちゃ影響する。
痛みに敏感でも鈍感でも、転んだ時と注射の時くらいしか気にしないけど。
コミュニケーション面におけるそれは、常日頃からめちゃめちゃ大きな違いになってくるだろう。
この差に、「HSC」「ASD」と別の名前がついている可能性があるなーなんて考えた。
見た目には別の疾患なのもうなずける。
あくまで仮説ですが。
そして、今そう思っただけで、数ヶ月後には全然違う説を推してるのかもしれないし。
いずれにしても、HSCとASDの見分けは、コミュニケーション能力なのは変わらない。
空気が読めるのがHSCで、読めないのがASDだ。
対処法も変わらない。
その子をよく見て合った対応をする。
「この子はASD (HSC)だから」と一括りにするのではなく、その子の持ったものを丁寧に見てあげること
ただ、ベースの気質は『自他境界が薄い人(イーブイ)』で同一の可能性もあるんじゃなかろうかと思った。
どちらも、本質は『自他境界』の弱さ。
どちらも、ケアすべきはここ。
これをイーブイ仮説と名付けよう。
そんなことを考えた、初秋のある日。
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自閉症の人は脳の容量?から違う可能性があるっていうのをどこかで読んだことがある気がします
出生後の初期の脳の成長を元にして2歳での自閉症を予測する研究があった気がします
Early brain growth may predict autism diagnosis at two years
いつも参考にしていただいてます。
中3なときから朝起きれなくなり、全日制に進んだものの、やっぱり起きられず、起立性調節障害だと思われます。
以前に娘にこんな病気もあるよと教えたつもりでしたが、知らなかったようです。
娘にいろいろ教えるとき、このブログを読んで見てといってもいいものでしょうか。
私はいいかなあと思ったのですが。
今は高校生1年生です。
ブログの記事、いつも楽しみにしています。
ちょっと特性のある子供を育ててるので、すごく参考になります!
気遣いの暴投の図、深く頷きました。
すごくわかりやすかったです。
相手に向かって足りなかったら、大きすぎたり、それたり。
子供のコミュニケーションの取り方を見ててよく思うことがあります、、、!!
本人も、なんかうまくいかないなって気がつき始めてるので、機会があったら子供にも見せたいと思います。
今回の内容もとても興味深く考えさせられました。
小2HSC娘は発達外来でASDは否定されましたが、友人のASD娘ちゃんととても似たような思考を持ち、苦手所も似ています。
なので、娘はASDなのではないか、ASDの中にHSCがあるんじゃないかと思っていました。
やはりベースは同じなんですね。
向かう方向が違うだけで…。
自他境界の弱さはどうケアしていったら良いのかなと思います。
成長とともに、少しずつその境界線が出来てくれるのでしょうか。それとも弱いまま?
こちらで、何か働きかけることは出来るのでしょうか。
娘は先生が周囲の子どもを怒っていると、立ちすくんだり、怯えてるようです。
怒られてる友達をみて泣いてます。
初めてコメントさせていただきます。
いつもとても勉強させていただいております。
今回の記事はもう、、何か言わずにはいられない?衝動に駆られました.
私HSP系、夫ASD系です。
先生の仮説いわく、このカップリングはお互いに境界線が薄い。なので繋がりを感じられる。
ASDはコミュニケーション苦手なのに気持ちがわかってもらえる安堵感。HSPは率直に安堵感を出してくれることによってわかってあげられていると感じられて余計にセンサーを働かさなくていい安堵感。お互い余計な気遣いをしなくていい楽さ。だけど致命的なのはHSPは徹底的に気持ちがわかってもらえない。
そして生まれてくる子もHSPやらASDになりがちで、ちなみにうちはASDよりが3人。私がひとりHSP。こどもらは成長と共に自分が出来てきて、私の感性を発揮させると周りを気にしすぎて毒親一直線なので(涙)出来うる限り我慢して演技して、自分らしく生きられるようにできるだけのびのびさせるとどんどん色濃くなり、、とてもしんどいです。
過敏すぎることと、鈍すぎることは近い!という今回の先生の仮説は本当に目から鱗でした。私の中でとても腑に落ちたのでカサンドラにならないように対策していくヒントになった気がします。理屈がわかれば納得いく部分もあるし、納得できれば対応もできるのではないかと。
全く真逆の異星人なのだと思っていたら、案外似たもの同士なのかもしれないのですね。素敵なヒントをありがとうございました!
こんばんは、今回の記事も興味深く読ませて頂きました。
娘の事を不登校の現状から親族に「発達障害では?」と言われる事があったのですが、〈なんでやねーん!どっからどう見ても周りに気を使いすぎてこうなってるやん、結果的な症状は似てるかもしれないけど根本の原因が違うやーん〉なんて思ってたので、「敏感」と「鈍感」は同じって書いてあってめちゃくちゃビックリしました…そうなんだ…目から鱗。
自他境界が薄いなら「これが私!」って堂々と自信持って言えるとすごく楽になりそうですね。
結局親がすることも目指すところも変わらないですね、うちの可愛いイーブイが立派にバトルこなせるように、めざせポケモンマスター!