夏休み終盤ですね。
宿題、終わってますか?
みんなの嫌われ者。
せっかくの夏休みに水をさす、憎いアイツ。
まーね。
気持ちはわかる。
でも、僕は宿題肯定派で。
意外?
宿題って、実は素晴らしいシステムでですね。
やればもちろん学力がつくし。
やらなければ、いかに叱責を回避するか、または叱責されてもへこたれない精神力を身につけるという点で役に立つ。
いかにうまく逃げるか。
そう、僕は「宿題はやるもの」という前提には立っておらず、むしろ「いかにサボるか」を学ぶ機会と捉えているきらいがある。
つまり、逃げるは恥だが役に立つ。
ガッキーかわゆす。
やるにしろやらないにしろ、どちらに転んでも役に立つ素晴らしいシステムだ。
どんなガッキーでも絶対にかわいいのと似ている。
どこをどう切り取ってもかわいいとか、かわいさの暴力だ。
まぁ、そうは言っても、まぁみなさん嫌いでしょうし。(宿題がね)(ガッキーは、みんな大好き)
「嫌だけど、やらなきゃいけないからやる」という方がボリュームゾーンでしょう。
個人的にはやらなくても全然いいと思ってるんだけどね。
でも、そこまで割り切れる人は多くないだろう。
でさ。
外来で、子供達に夏休みの宿題について聞くんだけど。
世間話がてら。
聞くと、最近の宿題はかなりハードですよね。
↑こんな感じ。
多種多様でさ。
確かにもう、これだけで夏休み終わっちゃいそう!
確かに。
わかる。
親御さんに結構聞かれる。
ちょっと罪悪感。
僕の意見。
いや、手伝ってください。
むしろ親御さん向けの宿題じゃね? とすら思う。
※個人の見解です。
これだけの多彩な宿題、全部にしっかり取り組める子ってどのくらいいるのだろう。
むしろ親御さんが手伝う前提で課されてるんじゃないかとすら、個人的には思ってしまう。
例えば自由研究とかさ。
手伝う前提ですやん? と。
↑ざっと考えても、これだけのプロセスが必要で。
まず、①のアイデアが出ず、「何を研究したらいいか思いつかない」って子も多いだろう。
②の研究方法なんて、観察するのか、制作するのか、モデル化して再現するのか、何かのツールで調べるのか、仮説を立てて実験するのか……とか考えることが死ぬほどありそうだ。
実行するにも、場所と道具と時間が必要だし。
結果をどう考察し、どうまとめるか、とかさ。
ね。
自由研究って、実行機能の鬼だ。
子どもに出来る?
小学生よ?
無理よな。
親が手伝う前提よな。
と、僕は思ってしまうのだけれど。
そして。
人によって、課題の得意・不得意がある。
上述の感じで自由研究でつまずく子もいるし。
読書感想文がお手上げ! とか。
計算ドリルがマジ発狂! って子も。
発達にデコボコのある子は特に。
だって、発達にデコボコがあるのだ。
得意な課題もあれば、モーレツに苦手な課題もある。
デコボコって、そういうことだ。
全部一人でとか、ムリじゃね?
デコボコだもの。
手伝っていいと思う。
大人の力を借りて、なんとか形にすれば良い。
それを堂々と提出し、晴れやかに新学期を迎えればいいと思う。
「できるところは頑張りましたぁ!」
で、やったことを褒めて貰えばよい。
能力がデコボコなのだ。
頑張る部分もデコボコで、むしろ自然だ。
そうは言っても、まだ罪悪感があるでしょうか。
ちなみに僕の外来で聞く範囲の話ですが。
結構みんな、大人の力を借りている。
手伝ってますよ。
割とガッツリ。
僕の外来に来るってことは、発達デコボコな子だけどね。
だから母集団は偏ってるんだけど。
でも、みんな手伝ってる。
自由研究とか読書感想文なんて、『作・母』になっていると思われる。
誘導尋問で、子どもに「〇〇と思った」とか言わせて。
作文にまとめるのも母だ。
それでいいと思う。
宿題なんて、やってもやらなくても学びになる素晴らしいシステムなんだからさ。
作文系は苦手で、自力ではできない。
でも感想を箇条書きにすることならできる。
なーんてことが分かれば、それは大きな学びだ。
十分に意味がある。
できることは本人にやらせ、苦手な部分は手伝う。
このさじ加減が重要だろう。
少しは頑張らせたいけど、無理な負担をかけて大爆発! なんてことは避けたい。
親子関係を損なわないよう、でも負荷が軽すぎないよう、適度な課題を子に課す。
これが大事だし、同時にめっちゃ難しい!
日頃の観察と親子関係が物を言うよな。
子どもの特性や能力、性格を熟知していないと、適度なハードル設定などできない。
この設定が上手にできるか否か。
これが、親御さんに課された真の夏休みの宿題だ。
※個人の見解です。
そういった意味で、夏休みの宿題は、実は親御さんに向けて出されているのかもしれない。
我々大人が試されている。
恐るべし、夏休みの宿題。
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夏休みの宿題……かぁ。懐かしい。
うちの母は専業主婦で教育ママ(笑)だったので、夏休みの初日に、どの課題がどのくらいあるかの表を作り、1日何個やれば8月半ばまでに終わるか割り振ってくれました。
当時は診断されてませんでしたが、見通しが分からないと不安なASDだったので、後どのくらいあるかわかることで課題に取り組めました。
小学生の夏休みの宿題、手伝うのは罪悪感、とありましたが、現役女子大生の私としては(笑)高校2年の数学IIのレポートまで親に代わりに問題を解かせて、丸写しして提出していました!
というわけで、高校行っても親に手伝わせる子もいますので、小学生なんて全然手伝っちゃっていいと思いますよ!
昨年、友達が、娘(小4)の読書感想文を書いて賞を取ってしまったそうです。なので小5の宿題の読書感想文も「お母さんが居ないとできない」と断言されたというのを思い出した。工作も親の作品多めですよね笑
うちの子が中学の時に、クラスの子、親が描いた絵で入賞してたよ、って笑ってたので、親が手伝う自体は、よくある事だと思います(学内での入選みたいなささやかなものか、もっと大きなものかは知りません)。
私も、家族の思い出としての夏休みの宿題は、それなりに意味があると考えます(家族の協力が得られない子にとっては、しんどいでしょうね)。うちの子の様に、教師の理不尽さに反発して、宿題提出すなわち教師への屈服になっちゃうと、もうどうしようもありませんが。
私の夏休みの自由研究は、毎年母が自分の田舎で手早く取ってくれる野草の植物採集でした。母が取ってくれた植物を、母が教えてくれるもとで、下の兄弟と一緒に新聞紙で挟んで、上に重石を置いて植物標本を作るのが子供の仕事。植物図鑑から説明を抜き書きして終了。一個しかない種類のものは「お姉ちゃんの方が学年が上だから、立派な方が良いよね」と私に回してくれるのが、とても嬉しかったです。母の両手からあぶれる長女だったので。
夏休みの宿題の工作を作ってくれるのは父でした。気難しい所のあった父が、私にどんな風にしたいか聞いて、ぼんやりしたものをきちんとした形にして、生き生きと楽しそうに作ってくれる。最後に、こんなので良いかなと私に見せてくれるのが嬉しかったです。
夏休みの子供の宿題は、ある意味、子供をピンチから救うヒーローに親がなれるチャンス、でもあると思います。
自分の子供達が小学生の時、夏休み子供達を義父母の所に預けているうちに、絵の宿題を絵の得意な義父がさせてくれました。義父はニコニコしながら、「自分は何もしてない、1人でこんな素晴らしいのが書けた」その隣で、子供もニコニコ嬉しそうにしてました...私が見たらくっきりと大人が手を加えた跡があったんですけどね。子供に自信をつけさせるという点では、それでよかったのでしょう。
集団塾に通わせてもついていけない子に、親が個別塾を考えるのは普通の事ですし、学校の授業は集団授業でしかない。集団授業で取りこぼしがあって、そのままわからなくなって困るのはお子さん。自分の思い通りに事が進む事が絶対ではなく、子供の成長が嬉しい、ちゃんとした教師なら、「1人でやる」より、ご家族のサポートでつまづきが少しでも減った方が嬉しいはず(学校の内容に追いつかせようと親が必死になるのは逆効果。P先生、自分の進路についてのブログで、「勉強って、わかると楽しいよね!」って書かれてましたよね。その範囲内に留める匙加減も、親の力量だと思います。)
夏休みの宿題は、完成したものの中に、子供が「自分」を見つければそれでいいし、そうでなくても、こんなお題にはこう答えるという見本を見せられればそれでいいし、本当に興味がない事に対しては「家族が助けてくれる」という思いが残るだけでも良い、と考えます。
蛇足ですが、子供の時に読書感想文書けなかった子の、その後を見ての個人的な感想です。
・あまり本を熱心に読まない子には、登場人物が多い本は避けた方が良い。
・別に今書けなくても、好きな事についてダラダラおしゃべりさせてれば、そのうちなんとかなる。「読書感想文」には間に合わなくても、大学のレポートくらいは。
・「本にあまり興味がない」「自分の考えを言う、書く事が苦手」な状態で、全部1人でやる事を強制しなかったから、今がある。本嫌いにならずにすんだ。
今ではマニアックな実用書をたくさん読むし、その本の中に書かれているものの美しさについて、よく語る。書くのが得意な友達の文章もしっかり読んで、「いつかはこんな文章を書ける様になりたい」と、目標にしているみたいです。
夏休みの宿題、ホント忙しいです。
夏休みなのに夏休めない、と何度思ったことか(^^;
ホント、子供だけの力では無理がある気がします。
長男は年齢と共にうまく手抜きをするようになり、理解出来ているところは答えを写して終わらせてる、と。
英語のライティングはGoogle翻訳でサクッと。
一行日記の天気もやっぱりGoogleで検索して、日記は創作です。
絵画、工作系は私が好きなので、最初から私がやってます。バレてると思うけどって笑
次女は9ヶ月程不登校で、夏休み明けに暇だから学校行ってみよ、と。
宿題まっさらやけどどうするん?と聞いたら、不登校やけ顔パスやろ、と潔く割り切っててこちらも心地よかったです。
物事をいかに割り切れるか、合理的に片付けるか、という生きる力は学べてる気がします(´>∀<`)
夏休みの宿題、特に自由研究は「親がどこまで関わっているか」を先生は見ている、と何かで読んだ事があります。嘘かホントか、真偽のほどはわかりません。
「親がどれだけ子供に関心を持って関わっているか」の度合いが見れるそうです。
凄い研究をさせ、1番とったるで!ではないのです。
小学生の子供に調べろといっても限界があるわけで。どうするのか相談提案し、一緒に楽しんで関わっていく事自体が大事なんだろうかな?と。
うーん、うまく言えませんが、我が家も所謂グレーな子供なので、強いられる宿題を提出させるのに苦労しましたが、自由研究で色々と一緒にやった事はいい思い出です。←これが大事かと。
P先生
こんばんは。そして、私たち親の状況をわかってくださり本当にありがとうございます。
そうです。
夏休みとは、親に課された宿題なのです。
これほんとに意味があるのか?と思いながら…毎年。
先生がおっしゃっているような上記の取り組みを、
できる子ってどのぐらいいるんだろうって、毎年思います。
でもちょっとおもしろいのが、特性ありの我が子。
宿題の冊子はルーティン化したら、自分から進んでやります(笑)それも朝も早よから。
このタイミングを逃すと、1日が長い長い夏休みでも全く手をつけません。
ここに持っていくまで最初が大変でしたが、軌道にのるとおもしろいぐらい、毎日朝イチのドリル。
特性出てるなぁー!って思います。
でも、親が丸つけまでして、直して終わりなので
毎日そこでもめます。それはもう毎日。
お直ししたくないなら、間違えるなよ!!って言いながら毎年毎年、毎日毎日ここで親子喧嘩。
これがもうストレスすぎて、泣けます。
お疲れ様でした。
先生、おっしゃる通りです。が、親が試される意味がわからないよ~