先日、場面緘黙の子の診察をしたんだけど。
ベースに発達障害があるのでしょうか。
うーん、分からんなぁ。
この子は緘黙症なので、新しい場所ではまず喋らない。
特に、僕みたいな不審な大人、しかも初対面になんて、喋るはずがない。
この時ばかりは自分の顔面を恨んだね。
いや、いつも恨んでるか。
喋ってくれないので、当然だけど、何を考えているかわからない。
コミュニケーションの様子も観察できないから、自閉特性の有無も判断が難しい。
この子がどんな子で、どう考えているか。
発達障害的な特性が、ありそうかなさそうか。
知的にはどの程度か。
分からない。
家ではよく喋るとのことなので、「場面緘黙でしょうね」とは言える。
でも、それ以上のことはまるで分からない。
このように緘黙症の子で顕著だけど、そこまでいかずとも、喋らない子の診察は難しい。
無口な子とか。
思春期で、反抗的な子とか。
アーニャと同じく人の心を読む超能力者の僕でも、ちょっと難しい。
思っていることがあっても、うまく言葉にならない子がいる。
気持ちの言語化が苦手な子がいる。(ASDとか)
考えてるうちにワケわかんなくなっちゃう子もいる。(知的障害とか)
HSCとか、変なことを言わないよう慎重に言葉を選びまくり、結果喋れなくなるし。
喋らないと、わからない。
その子の心の中は覗けない。
言葉って、その人の心と外の世界とを繋ぐ、非常に有用なツールで。
逆に言うと、言わないとまず伝わらないわけです。
もちろん、アイコンタクトやジェスチャーなんかの非言語的なコミュニケーションもあるけど。
でもやっぱり、ハッキリ言葉にしてくれる方がずっと情報量が多いし、伝わりやすいと思う。
言ってくれなきゃ分からない。
当たり前だけど、そうなんだ。
その子、本当は色々考えているのかもしれない。
ちゃんと分かって、目的意識を持って行動しているのかもしれない。
でも、言ってくれなきゃわからない。
人は、発言で判断する。
何も喋らない子は、判断のしようがない。
その子がどんな子で、何を思っているのか。
言ってくれなきゃ分からない。
反対に、よく分かってなくてもペラペラ喋る子ってのもいる。
この子たちは評価されやすい。
よく理解せずに口先だけ喋っている子でも、まわりは「よく分かってる子」と評価してしまう。
これはこれで弊害があるんだけどね。
まぁ、周囲は発言から理解度や考えを判断するしかないってことだ。
同様に、「やればできるんだけど」ってのもそうだ。
やればできるのかもしれない。
つまり、能力はあるのだろう。
でもその能力を発揮してくれないことには、周囲は評価できない。
人は、行動で判断する。
やればできるんだけど、やらない
なら、
できない
とほぼ同じように評価されてしまう。
能ある鷹が爪を隠し続け、そのまま一生を終えたとしたら。
それはもう、爪のない鷹、むしろハトと判断されても文句は言えまい。
失敗してもいいからやってみろっていうのは、つまりそういうことだと思う。
失敗したらフォローなりアドバイスなりできるけど、失敗すらしなければ手の出しようがない。
WISC (知能テスト)なんてまさにそうで。
小さい子だと特に、
「能力的にはできるハズだけど、検査のときは気分が乗らずにやらなかった」
なんてことがよくある。
この場合、本来の能力は評価できない。
実際に取り組んだもの、つまり『パフォーマンス』が数字となる。
だからWISCでその人の能力は評価できないってのは、そういうこと。
あくまで「その時のパフォーマンスの評価」でしかない。
※だから意味ないってことじゃない。「パフォーマンス」は実生活での実際の行動に直結する。能力があっても発揮しないなら、それは普段の生活には出てこない。家ではできても学校ではやらないとか。よって、あえて「パフォーマンス」を評価する意義は大いにあると思う。
自分を表現するって、社会生活を営む上でとっっっっっても大事なスキルだと思う。
言わなきゃわかんないもん。
発達にデコボコがある子は特に、自分の心の内をさらけ出して、周囲に助けてもらう方がよい場面がある。
自分一人で抱えるより、周りを巻き込んだ方がいいことがある。
能力も、あるなら表現しないと。
「その気になれば勉強できるんだけどねー」とか斜に構えてたって、成績は上がらない。
できるなら、やってみせないと評価対象にならないのだ。
発達障害特性のある子は特に、自分を表現するのが苦手な傾向がある。
親や近しい大人は、それでもその子の内側を知ろうと奮闘する。
でも、その他大勢の他人はそうはいかない。
そして今後の人生で数多く接するのは、その他大勢の他人だ。
喋ろう。
喋る練習をしよう。
「自分はこう思う」
「こんなことで困っている」
少しずつでも発信する練習をしよう。
失敗しないように頑張るより、失敗しても助けてもらう方が、ずっとラクだしずっと現実的。
発達に特性のある人ほど特に。
僕はそう思っている。
あ、もちろん場面緘黙の子は喋れないだろうから、家の中で練習すればよいです。
ASDやHSCなんかは、ゆっくりでいいから自己主張する練習を。
「言っていいんだよ」という環境づくりは有用だと思う。
ADHDも、喉元すぎると忘れちゃうところがあるから、その場できちんと言う方がよい。
そうやって自分を出していくと、周囲の人がうまく拾ってくれ、いい感じに治めてくれる。
世界は優しい。
自分の発言(発信・行動)には、価値がある。
子どもがそう思えるとよい。
自信をもって、ちゃんと表現できるとよいと思う。
社会とつながって、助けられ、時に助けて。
人と響き合いながら、豊かな人生を歩めるとよいと、切に願う。
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いつも先生のブログを楽しみにしています。
大学1年長男、高校1年次男とも診断名なしですが、不登校経験者(まだ怪しい)、不登校3か月目。タイプは全く違いますが、言葉で表現するのが苦手な二人。長男はどう言っていいかわからず固まるタイプ、次男は相手にどう思われるかと身構えて何も言わないタイプです。
私自身もずっとしゃべるのが苦手だったので気持ちはわかるのですが、大人になってわかったのはしゃべって表現したほうがいいな、ということです。
へたなりに、怖がらずに気持ちを表出してくれたらいいなあと願う日々です。