先日、知り合いの子(幼児)と喋っていたのだけれど。
「お片付けしてね」「ご飯にしようか」など、こちらが言うことにことごとく「なんで?」で返してきましてですね。
なんでなんで攻撃。
いや、僕だって分かってるんです。
そういう時期って。
本気で理由が知りたいんじゃなく、反射的に「なんで?」って言ってるだけって。
で。
相手は幼児だが、人としての接し方のマナーってもんはある。
一応、「ご飯が食べられないからだよ」「お腹がすいたからだよ」とか、ちゃんと答えてたわけですが。
うがーーーーー!!!
このクソガキお子様!!!!!
子ども相手の仕事のプロフェッショナルとして失格だが、イラついてしまったわけです。
いや、でも仕事とプライベートは別だ。
でね。
このお子様に触発されてってわけじゃないけど、最近診療でとある工夫をしてみたのだけど。
「なんで?」
ココをしっかり、場合によってはしつこいくらい確認するようにした。
例えばですね。
お子さんの問題行動について相談されたとき。
このときに、お子さんが「なんで」その行動をしたかを、詳しく聞くようにした。
なんで叩いたんですか?
どんな状況で、何に我慢できなかったのでしょうか。
うわっ、いやな聞き方。
なんでなんで攻撃だ。
案の定「えっ……」みたいな顔をする親御さん。
でも、僕は聞く。
嫌われる勇気をもって。
嫌われるのは慣れてるし!(悲しい主張)
というのもですね。
それはなぜか
によって、話が大きく変わってくるから。
友達を殴ったのですね。
OK、その「事実」は承知した。
じゃあ次はそうなった「理由」だ。
ちょっかい出されて、反射的に手が出た。
のか、
ちょっかい出されて、10回は無視したけど11回目に相手が手を出してきたのでさすがに我慢できなかった。
のかでは、全然違う。
前者は衝動性を疑うし、後者のケースなら明らかに相手に非がある。
じゃあ、対処法やアドバイスも全然違うだろう。
だから、敢えて聞くのだ。
嫌われる覚悟で。
ねぇねぇなんでなんで?
「何を」したかより、「なんで」したか。
僕はこっちの方が重要とすら思う。
親御さんにも聞くし、もちろん本人にも聞く。
答えによって、もちろん対処法が異なる。
フワッと雰囲気で言ってるのか、深い理由があるのか。
なのか、
その上で、どーしても騒音が気になってしまい、耐えられない。
ただ自分のワガママで「全員静かにしましょう」も違うと思うし。
どうしよう、つらたん。
なのかで、全然違うじゃん?
※もちろん「うるさいから」の一言で片付ける子の中にも、実はよく考えていて言わない(言えない)だけの場合があります。その辺も含めてよく観察したい。
宿題しない子に、
自分は全て授業中に理解しており、すでにマスターした内容を繰り返すことに意味はない。
できないことをできるようにするのが勉強であり、この宿題は自分にとっては勉強ではない。
とか言われたら(そして実際出来ていたら)、もう宿題しなくてよくない?
課された単元を完璧にマスターし、かつ勉強の意義の自分なりの理解、そして自分にとって必要なことの取捨選択までできている。
その子はもう、宿題の次元を超越してるよ。
※東大生?かなにかが、「100点とれるテストに意味はない」と言っていたのを思い出す。すでに出来ている問題からは、学ぶものがないと。カッケー。そんなこと言ってみたい。
積極的に本人に確認するといい。
案外、予想外の回答をしてくるものだ。
「そこ気にしてたの?」とか、「じゃあ問題の本質はAじゃなくてBじゃん」みたいな。
解決の糸口が掴めたりする。
子どもは、子どもなりの理屈を持っている。
もちろん表面的に喋っている子や自分の意見を言葉にできない子もいるけどね。
でも、聞いてみるとかなりの高確率で新たな発見がある。
子どもって、おもしろいよ。
大きなことは答えられなくても、日常で起こる些細なことなら答えやすかったりするし。
小さなことが分かると、大きなことも大体似た感じ。
小さなカケラを集めて、その子の本質に迫ると良いと思う。
「パズル方式」ね。
「なんで」そうしたかが、解決の糸口。
だと、僕は思う。
でも、人からなんでなんで攻撃をされるとムカつきますよね。
僕だってムカつく。
あと不登校初期とか土足で踏み込むと危険な時期もあるし。
地雷を踏むとその後心を閉ざされちゃう。
まぁ、だからこそ僕みたいな第三者が聞く意味があるのだろう。
嫌われても構わないから。
慣れてるから!(悲しい)
嫌われるのは構わない。
でも、僕のことは嫌いでもAKBのことは嫌いにならないでください!
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嫌われても構わないから聞いてみる…..子供の年齢にもよりますが、今後の事を考えると、親にはなかなか出来ませんね。専門家に介在してもらえる大きなメリットですよね。深刻な問題じゃない事ならば、嫌われそうにないし、親でも気軽に聞けます。むしろ気軽に色々聞ける事の、子供の返答の端から、今親には踏み込まれたくない事を察する感じ。
子供によっては、思春期、デリケートな問題を、言葉にしなくても親には察して欲しい気持ちの強い子もいて、親を等身大の人間として見る様になるまでの一過程と頭ではわかっていても、要求レベル高すぎて親もしんどい事もある。そんな専門家と繋がれて、第三者の見方が聞ける親御さんは、今すぐ問題は解決しなくても、気が楽になるでしょうね。
今後の事を考えると、嫌われてもいいから聞いてみるが気軽に出来ない、親としての私が取った方法は、自分が子供の頃はどうだったかをまず黙って考える、でした。
私も宿題そんなに出来なかったけど、あまり怒られた記憶はなく、高校の宿題ができない事で後で困った記憶もないので。テストは悪くなく、大人しい生徒で、今より1クラスの人数の多い時代だったからかもしれませんが。
なぜ出来なかったかを考えると、自分や他の人の感情と結びついた「勉強」は比較的頭に入っても、勉強内容自体には興味が薄かったのだと思います。教室で授業を聴きながら、先生の説明の熱や、ここみんなが集中してるなとか、この内容に絡めたジョークにみんなが受けたり白けたりとかを感じながらであれば、それなりに話も聞けて覚えられたけど、宿題になると興味のないものがむき出し。塾で聞くのは、この先生はどこを強調してどこを省略して、こんな風に捉えてるんだと、先生ごとの個性を感じ、学校で習う事を違う角度からみられて面白かったです。
テスト前には学校の数学の問題解いたけど、やっぱりやってよかったと思える問題は、それを一回解いたら、少なくとも次はこの部分は引っかからないと思える、一問解くごとに自分で何を得たかがはっきりする難易度の問題。もう考えるのが面倒になるくらい疲れると、やっても意味ない、余計疲れるだけだと思いました。
自分の過去を振り返って、自分と似ている子に宿題強制するのは、学力向上を目的にするならかえってマイナスと結論。後は、それほど成績悪くなく、授業もそれなりに真面目に聞いているこの子が、なぜ学校の宿題できないだけでこれほど苦しむのか、担当教師の方針を他学年や他校とも比較しながら考えましたね。
学校の教師には言えないけど、大学入試までに覚えなくてはいけない事は、総合的に見ると、いずれ役に立つかも知れないけど面白くない事で、嫌々覚えた知識は定着率、活用率が悪い。それを子供にとって少しでも面白くして使いこなせるようにするために教育産業があるし、高校だってその一部。学校は、制度的に一斉授業しか出来ないし、みんな一緒の宿題しか出せない。学校の先生方が授業を工夫してくださってるのはわかるしありがたいと思ってるけど、宿題までは面白くできない。宿題の代わりに自分で選んだ塾で楽しく学んでテストで点を取れるなら(もしくは学校の授業以外は勉強しなくてもそこそこの点が取れるなら)、それでみんなハッピー、何より子供がハッピー。学校だって合格した大学名は盛大にアピールしても、うちの子たちはみんな学校の宿題きちんとやりますなんてアピールしないし。受験生とその親にとってはそのアピール、何の魅力もないですものね。学校の宿題自体は、授業の補完として一般的に有用だと思いますが、それしか認めないなら、そもそも教育の目的はなんですか、と問いたくなりますね。
今はウチの子の環境がガラッと変わって、細かい事は聞いてませんが、投げやりになってないので、それでいいです。