小児科という科の特性上、僕の外来受診は基本的に親子セットだ。
なんかね、子どもだけで受診しちゃいけないんだって。
保護者と一緒に来るのがルールなんだって。
でね。
年単位で親子を見ていると思う。
親子って似てくるね!
思春期の子は、口数が少ないことが多い。
症状を聞いても、饒舌に喋ってくれることは、あまりなくて。
「……別に」
みたいなエリカ様的な感じか、
「えっと……多分それは……やっぱよくわかんないです」
みたいに、一生懸命答えようとしてくれるんだけどうまく表現できないか。
会話がテンポ良く進むことは、多くない。
(たまにいるけどね)(多分言語能力が高い子)(同世代より大人と話す方が得意な子)
だもんで、親御さんが助け舟を出す。
そんなに気にしなくていいと思うんですけどねーオホホホ。
親御さんは大抵、お話上手。
客観的な説明と、付随する感情とを、臨場感豊かに話してくれる。
さすが大人。
でも、代わりに軽く説明するはずだったのが、気づくと話題をかっさらっていたり。
勝手な解釈をつけて、「……それ、全然違うんだけど」とお子さんに睨まれるケースもしばしば。
片や口下手で無愛想。
片やお喋りでにこやか。
親子なのに似てないなーと思うことは、実際よくある。
これがね。
数年経つと、めっっっちゃ似ていて驚かされる。
お母さんは、いかにも社交的でにこやか。
感じがよく、人当たりも良い。
一方お子さんはというと、前髪を長くたらし、隙間から様子をうかがうようにこちらを見ている。
こんな感じ。↓
「長い前髪は外界との壁」とは、よく言ったもので。
外の世界との間に、前髪で壁を作っている。
案の定、なにを問いかけても、響かず。
ウンとかスンとか、答えにならぬ返答ばかり。
何を考えているのか、正直サッパリわからない子だった。
お母さんの不安や考えが非常にわかりやすいのと対照的に。
この子がね。
3年くらい経つと、あらまぁお母さんそっくり!
不登校だったが、今は社会復帰している。
人当たりの良い喋り方、感情表現の豊かさ、笑い方の癖や仕草まで、まぁそっくり。
僕はビックリ。
大人になるってこういうことかと。
社会性を身につけると、印象がこうも変わるのかと思った。
そして身につけた社会性のお手本は、疑う余地なくお母さんだ。
まーよく似ていること。
お子さん、お母さんのことをよく見ている。
全然喋らなくても、エリカ様でも、ブラインドから覗くゴルゴでも、親のことをしっかり観察しているのだ。
このようなことは、枚挙にいとまがなくて。
未就学くらいの小さい子の物言いがお母さんソックリなんて、よくある話で。
「もうっ、いい加減にしないと怒るよ!」
なんて。
きっと、まんまお母さんの口癖なのだろう。
採血で、
「注射は痛いけどすぐ終わるんだよ。動くと危ないから気をつけ! するんだよ。」
なーんて僕たち医療者に教えてくれる子は、きっとそのまま親御さんに言い聞かされているのだ。
同様に、悪い言葉も真似る。
妹や弟に対し、必要以上に強い口調の子を見ると、親御さんがそう言ってるのかなーなんて思ったり。
言い草で、友達の影響か大人からかはなんとなく分かりますよね。
やっかいなのが、思春期前〜思春期の子。
親への反発を、親御さんとソックリ同じやり方でやろうとするのだ。
それまで力で押さえつけられていた子。
自分の力が強くなると、親に同様のことをする。
俺は悪くない、言うことを聞かない親が悪い!
それまで、同様にされてきたのだろう。
力が弱いうちは従うしかなかったが、今度は自分が従わせる番だ。
「支配的に振る舞うお父さんと、思春期の男の子」が最も表面化しやすいように思う。
自分より弱いお母さんや弟、妹に対し、支配的に振る舞うようになる。
これはよく聞く。
お父さんソックリと聞いちゃうと、本人を強く批判するのも気が引ける。
だってこの子はこれまで、こうされてきた。
このやり方が正しいと思って生きてきたのだから。
自分は、それに耐えてきたのだ。
同じやり方が正当化されないなら、今までの我慢ってなんだったの?
だから、思春期前で
なんてケース。
早めに手を打った方が良いと、個人的には思う。
近年、似てきますよ。
おんなじことを、おんなじ口調で言ってきます。
子は親に似てくる。
良くも悪くも。
今は無愛想な子も、愛想よく世間話ができるようになるし。
今はやられるがまま耐えているだけの子も、そのうち逆の立場になる。
スゲー似てくる。
親子って興味深い。
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私も人と関わるのは苦手だけれど、それでも
引きこもりの高2娘が少しでも似てくれたら
いいなあ・・・。
これから先、電話で美容院の予約ができたり、
店員に聞きたいことが聞けたり、生活が自由に
送れるようになったらいいなあ。
そうしたら
やっぱり 人との付き合いが下手で
避けてきた私に
子供も似てくると言うことですね。
同じ辛さを味わうのかな…
時間がたつと見えてくるものって、ありますね。
子連れでグループでたまに集まる、親同士が子供の頃からの付き合い。大きくなって一時期もうついて来なくなっていたお子さんをなぜまた連れてくるようになったのか、イジメではないのだけれど自分の教室に入れないので、学校には行っているけれどそういう子達の集まる教室で自習している、というのがどういう事だったのかが、今ならわかります。そのお子さんは高校進学してからそれなりに楽しくやっているみたいで、もう来なくなりました。その友人が再び一人で集まりにやって来るようになってから、初めてお子さんが一時期学校行けてなかったのを知りました。その友人が、一人で来るようになってから、自分の所属しているアマチュア音楽サークルや推しのスポーツ選手達について熱く語るようになった理由も、今ならわかります。過干渉にならないよう、自分が熱中できるものを見つけようとの彼女なりの試行錯誤だったんだなと思います。
ところで、前回のブログ記事についてですが。
うつむいたまま大きく息を吐き出すのが、ため息。
胸を張って少し上を向いて、一度大きく息を吸い込むのが、深呼吸。
そこまで考えられた上での言葉選びなら、P先生のセンスは、やっぱりさすがだな、と歩いている途中に、ふと思いました。
‥......上を見上げたら、街路樹にちょっとずつ、春の気配を感じますね。
長い前髪で前が見えねぇ
という歌を思い出しました!