リクエストをいただいた。
「自分が男か女かわからない」
「かわいいと言われ気分がいい日と、女と思われたくない日が交互にくる」
「生理が嫌すぎる自分は女ではない」
・・・第2次性徴とともに性別のゆらぎを持つ子。
ゆらぎは治るのか?
とのことです。
ご質問ありがとうございます。
思春期女子の性別のゆらぎ。
珍しくない。
むしろ、ごく一般的なことだと思っている。
※以下説明するのは、一般的な思春期の性別への違和感、ゆらぎみたいなものの話です。性同一性障害やセクシャルマイノリティーはまた別の話。
中学生、高校生くらいの時期、「自分が女性である」ってことが、なんとなーく受け入れがたいことがある。
女らしくなることに、なんか違和感。
かといって、別に男になりたいわけでもないんだけど。
普通のことだ。
外来でもよく聞く。
敢えてボーイッシュな服を着たり、クラスの女子らしい女子(ぶりっことか)に嫌悪感を抱いたり。
女になりたくなくて、でも男になりたいわけでもない。
自分は自分だし!
よく聞く。
実際、この年頃は一人称が「ウチ」になる子が増える。
それまで「私」を使っていた子が、「ウチ」になる。
周囲と合わせてという理由ももちろんあるだろうが、背景にはこの「女性性に対する違和感」がある気がする。
大人(成熟した女性)が使う「私」は、なんか違う。
でも、「俺」や「僕」も違う。
それで、ニュートラルというか、性を感じさせない「ウチ」になるんじゃないかと僕は考察している。
そんな感じで、中高生が女性性を遠ざけるのはよくあることだ。
ちょっとステキな女性の先輩にキャーキャーする。
思春期特有の、「男」と「女」の二項へ分類されることへの違和感からかな、となんとなく思っている。
ちなみに沖縄には姉妹制度というのがあって、先輩の妹分になって文通するらしい。
まるで恋、らしい。
下手に彼氏を作るより、よっぽどステータスなんだそうだ。
へー。
ここから完全に私見というか、勝手な考察なんだけど。
研究したわけでも統計をとったわけでもなく、僕の勝手な考えね。
思春期の女子。
身体は大人でも、精神的・社会的にはまだまだ子どもだ。
生物学的には妊娠が可能。
でも、育てられないだろうことは、容易に想像がつく。
(あと、妊娠しても流産率が高かったような。うろ覚えだけど。)
だからこそ、自分を守るために女性性を否定しているんじゃないかと僕は考えている。
妊娠・出産で傷つくのは、多くの場合女性だ。
身体的にも、精神的にも傷つく。
ぶっちゃけ、すごく大雑把に言うと、この年代の女子はまだ「産めない」わけ。
でも、生物学的に妊娠は可能。
だからこそ、女性性を受け取り拒否することで、自分を守っているんじゃないかなぁというのが、僕の考え。
自分の女性性を受け入れ、女性らしく振る舞ってしまうと、産めないのに妊娠しちゃうリスクが高まる。
これを避けるために女性性を否定してるんじゃないかと。
※もちろん個人差はあります。この年齢でも女性性を受け入れ、女子らしく振る舞う子ももちろんいます。あくまで一般的な傾向の話です。
だから一人称は「ウチ」だし、キャーキャー熱を上げるのはステキな先輩女子だし、バレンタインは女子同士で友チョコを配るわけ。
この辺、安全じゃん?
女の先輩にいくら熱をあげても、傷つくことはない。
現実ではなく、どこかファンタジーだと自分でも分かっているのだろう。
もっと言うと、ジャニーズとか二次元に熱をあげるのも、同じ理由が絡んでいそうだ。
中高生の女子は、アイドルやアニメにハマることが多々あると思うんだけど。
現実じゃないから。
ファンタジーだから。
自分が傷つくリスクがないからこそ、安心してキャーキャーできるんじゃないかと想像する。
年齢と共に揺らぎは収束していくように思う。
僕のイメージだと、大学生くらいになると自分の女性性を受け入れることが多いように思う。
女子大生って、みんな小綺麗にしてるイメージ。
(高校までは校則が厳しいっていう社会的な理由もありそうだけど)
そうやって、「女性として」大人になっていく。
いつかは自分の性別を受け入れ、自我を確立していく。
女子なら「女子としての私」を肯定できるってことね。
だから、中高生の性別のゆらぎは、あまり神経質にならず見守ってあげていいんじゃないかなーと僕は思っている。
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発達障害女子は脳が男性寄りなことがあると思います
そしてそれはゆらぎではなく受精卵のときから決まったものと感じます
成長して女性らしくなったりするほうが過剰適応です
ショートカットですっぴんで一人称ウチのままでは大学以降就職やその先の人生やっていけるようなシステムになっていません
中一娘が小学校高学年の頃から男児物を選ぶようになり、トランスジェンダーなんだろう、受け入れようと育ててきました。
中学に入学後すぐに男子用のズボン(兄のおさがり)で登校し、体育は受けずに別室で自習となりました。ロッカーなどできる限りのものは男子の方でと学校もう配慮してくれてます。
そして五月雨登校となり、そろそろ完全不登校かなーというところです。
夏頃から家での口調は完全に女の子。俺と言っていたのもすっかり忘れ、時々あたしとも言ってます。
なので今回の先生のブログを呼んで、こういうことなのかなーと思っております。
診察は断固拒否なのでスクールカウンセラーさんにアドバイスをうけていますが(私のみ)、なぜ体育を受けられない女子が多いのでしょうか?未だに謎です。
そして娘はお金にすごくシビアで、兄へのお小遣いにも口をだし、私のランチ代やなんなら牛肉は高いなどなど、すごいんです。
発達検査してませんが不登校気味の娘。発達障害の子はお金にルーズとよく目にしますが、娘は違うのです。
お時間ある時にその辺の先生の見解をきけたらなと思ってます。
いつも楽しく勇気と元気をありがとうございます。
女性として見られたくない、関心を持たれたくないと思う時期ってありますよね。女性として見られるのが嫌→女性である事に違和感→性自認の揺らぎ というのも理解できる気がします。
それなりに多くの女子が通る道なのかもしれませんが、冒頭に書かれている文を見て、お子さんしんどそうだなというのと、かわいいと言われて...の部分が気になりました。私は、中高時代自分が可愛いと思われるかどうかなんて、かけらも頭に浮かんだ事がなかったので(当時の男子集団は、詰め襟、一分?刈りで私には個体識別不能。まさにカラスの群れでした)。
両性具有のイズァローン伝説、秘めた同性への想いの日出処の天子、男装の麗人のオルフェウスの窓....
色んな漫画に夢中になったし、友達に教えてもらって、吉屋信子の花物語や森茉莉も読んだし、何人かで連れ立ってコミケに行った事もあります。楽しかった。約50年生きて振り返ってみると、親にかけてもらったお金の中で、一番コスパがいいのは、ラノベ代と漫画代だったと思います(改めて親に感謝ですね)。
自分が誰かの好みで関心を持たれうる存在である事に意識を向けるより、自分の好みの物に意識を向けた方が、人生絶対楽しい。何に興味を持つかはお子さんによって違いますが(私も振り切ったものばかり読んでたわけじゃない)。
性自認はおそらく親が介入しても結果は変わらないものですが、楽しい事がそこそこある人生の中でなら、いずれどんな性自認に落ち着いても、大した問題にはならなさそう。親にできるのは、楽しい事がそこそこある人生へのサポート、子供が何かに自分から興味を持った時に、親自身が無理なくできる範囲でのサポートをする事じゃないかと思います。
断片的な文面を読んだだけの感想なので、的外れだったら申し訳ありません。