こんなのとか。
こんなのとか。
子どもの「困り感」のキャッチ方法を尋ねられる場面がある。
はてさて、僕の回答は?
人の「困り感」に上手に気づく人がいる。
日常な些細な変化を敏感にキャッチしたり。
うまいこと質問し、上手にSOSを出させたり。
いるよね、そういう人。
マジ半端ない。
マジ卍。
あやかりたいものだ。
が!
しかし!
僕にはそのようなスキルは備わっていない。
ASDだって言ってるじゃん。
人の気持ちが分からないのよ。
僕レベルじゃないにしても、大多数の人の「困り感」キャッチセンサーは、さほど鋭敏ではないだろう。
大抵気づかない。
ちょっと敏感に「アレ?」とは思ってみたものの、じゃあ何に困っているかの予想は明後日の方向だったり。
人の「困り感」を察知するって難しい。
と、僕は思う。
ASDだからってのもあるけど。
じゃあ、子どもの「困り感」をどうキャッチするか。
僕の答えはコレだ。
言ってくれなきゃわかんない!
これ。
ファイナルアンサー。
身もふたもないけど。
みなさんは僕ほど鈍感じゃないにしても、でもやっぱり言ってもらった方が断然正確だろう。
人の気持ちなんて、言ってくれなきゃわからない。
エスパーじゃないんだから。
僕には人の気持ちは分からない。
だから、僕は努めて傾聴している。
特に子ども相手には。
子どもだから、変なことを言う。
言うよね、変なこと。
ちょっと待てぃ! ってことを言い出すと、どうしても口を挟みたくなる。
そっちの方向に行っちゃダメ! とか。
お主、本質が分かっておらぬな! とかさ。
でも、グッと我慢。
子どもが変なことを言い出しても、僕は我慢して聞くようにしている。
いや、変なことを言い出したときほど努めて傾聴する。
着地点が、思ったのと全然違うから。
え、ちょ、何言ってるの? って時ほど、思いもよらぬ場所に着地するものだ。
最初の話とかなりズレた場所に着地することもしばしば。
で、それを聞くとわかる。
あぁ、この子はコレを気にしていたからあんな言動をしたのね、と。
その視点は僕にはなかったし、きっと学校の先生も親御さんも気づかなかっただろうなーって。
これ。
絶対に聞かなきゃわかんなかった。
推察ムリ。
絶対に。
コナンくん(真実はいつも一つ)でもムリだし、久能整(真実は人の数だけあるんです)でもムリだ。(両者の言い分、矛盾してない?)
僕は、言ってくれなきゃ分かんないと思っている。
だから実は、僕は「喋ってくれない人」が苦手だったりする。
思春期の男子に多いだろうか。
親に無理やり連れてこられたのか、ブスッとして喋らない。
たまに「……別に。」とかエリカ様みたいな発言をする程度。
これが困る。
大人に反抗しているのか、表現する語彙がないのか、そもそも自分の気持ちが自分でわかっていないのか。
サッパリわからない。
似た話で、「いい子の受け答え」をする子も困る。
聞けば喋ってくれる。
でも、通り一遍の、教科書通りの答えが返ってくるだけ。
それって本音なの?
それとも作ってる?
わからない。
本音を言ってくれないことには、僕にはキャッチできない。
やっぱり、言ってくれないことにはわからない。
たどたどしくても自分の言葉で喋ってくれる子は、困り感がなんとなく見えてくる。
こんな経験を繰り返して、僕は「子どもの発言にはものすごい価値がある」と思うに至った。
変なことを言っても、それがその子の今の気持ちなのだ。
偽らざる気持ち。
発言から理解度が分かる。
理解していないからこそこの点にこだわっちゃうんだな、とわかる。
よくよく聞くと、想像よりずっとよく理解し、深く考えていることに気付けるケースもある。
全部、聞かなきゃわかんない。
だからこそ、子どもが喋りやすいように気をつけている。
基本的なことだけど、
こんなことを心がけている。
難しいけどね。
どうしても口を挟みたくなるし、解釈とかまとめをしたくなるけど。
グッと我慢。
男は黙って!
握り飯!(クールポコ)
本人の口から本人の言葉で言ってもらう必要がある。
そうしないと、僕みたいなニブチンには「困り感」なんてキャッチできない。
子どもの「困り感」をキャッチする方法。
言ってくれなきゃわかんない!
もう、これに尽きる。
だからこそ、男は黙って傾聴! だし、こちらとしては喋りやすい環境を整えるくらいしかできない。
言ってくれたらどんな内容でも「ありがとう」だ。
とりあえず、「あなたはそう思うのね」(魔法の言葉)を使っている。
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「ミステリと言う勿れ」ですね。嬉しいです。
「真実は人の数だけあるんですよ」も、もちろん好きですけど、自分が若い頃にちょっと好きだった漫画家さんが、全然知らないけど、きっと思索と行動を重ねて、数十年後にこんな作品を書かれる様になったんだろうなあと思うと、一層素敵だと思います。
溜め込んでどうにもならなくなるタイプの人って、嬉しい時が一番饒舌なのかなと思いますが、P先生の所には、基本溜め込んでどうにもならなくなったお子さん達が受診されるんですよね。嫌なものなんて考えるのも普通嫌だから、本人も何が嫌なのか考えるのも言うのも嫌でしょうし。向いている方にしか続かないお仕事ですね。
私は、子供達が嬉しくて饒舌な時のおしゃべりで、この子はどんな価値観を持っていて、周りのどんな事が見えていて、どんな事が見えていないのかを考える様にしてました。「嫌」を言うのは逡巡してしまう子でも、好きは抵抗なしに口に出しやすいし、その子の価値観は一つだから、好きの反対が嫌である事も結構多いので。
そうは言っても、思春期は本当に手強いですね。頭脳は大人、心は子供、知識はまだらだなあ、と感じています。
高校生の不登校息子はadhdがあるからか、本来ならあまり喋ってくれないお年頃なんでしょうがまあお喋りです。ほぼほぼ自分の趣味の事ばかりですが。時々話してくれる困り事や本音に、私が寄り添える余裕が無いことも多く、その度にこちらのブログを読み返しては、『いかん、いかん。』と思わせてもらっています。
学校再登校は行ったり行かなかったりですが、時々話してくれる困り事を上手くキャッチできるようにして、言ってくれて『ありがとう』と思える余裕を持ちたい‼️ あ~、仏の心が欲しいです。