前回ASDだったので、次はADHDの子の話。
母がご立腹な様子で、診察室に入ってくる。
先日も宿題プリントが見つからず、先生には忘れたって言ったらしくて。
帰宅したら、きっちり仕上げたプリントがランドセルから出てきました。
曰く、探す努力を放棄しているように見えると。
すぐそこにあるのに。
せっかくやった宿題も、パッと目に入る場所になかったら「忘れました」と言ってしまう。
ちゃんとやったのに、宿題自体をやってない感じに。
宿題に付き合った母の時間はどうなるっ!
こんな感じのADHDは多い。
この子は家でもこの調子らしく。
「鉛筆がない」
「ノートがない」
「おもちゃが見当たらない」
「上着がない」
「靴下が片っぽない」
「連絡ノートがないから宿題がわからない」
挙句、
「ランドセルがない」
ときたもんだ。
ちゃんと探しなさい!
果たして、母が探すと必ず見つかるのだと。
「カバンの中も机の中も探したけどやっぱりない」ということは、まずないそうで。
それより僕と踊りませんかーうふっふー。
とか、
とかにあるんだそうな。
探していた場所から、ちょっとだけ目をずらすとある。
なのに、見つけられないなんて!
夢の中でも行ってたのかうふっふー!
まぁまぁお母さん。
これは僕も思い当たるところがあるんだけどね。(僕も片付け苦手)
見えないところって、ブラックホールなんです。
視界の外はブラックホールなの。
見えない物は、「ない」のと一緒。
わかるよ?
視界をちょっと動かせば、探し物はそこにある。
わかる。
でも、できないの。
これは仕様だ。
仕様。
もう、生まれつき。
「ココ(カバンの中)を探す!」
と思ったら、そこ(カバンの中)しか『ない』のだ。
それ以外の場所は、『ない』。
意識の外には無限のブラックホールが広がるのみだ。
ADHDは、「注意のお部屋が1個しかない」と形容される。(これ僕が考えたんじゃなくて、偉い精神科の先生が言ってた。うまいこと言うなぁと思う。)
ある1つのことに注目していると、他はお留守になってしまう。
つまり、注意の部屋に「カバンの中を探す」が入っていたら、それ以外の選択肢が入り込む余地がないのだ。
カバンの中になければ、机の中やベッドサイド、靴下の中、もみの木の下(クリスマスプレゼント置き場だなこりゃ)など、別の候補を考えるのが自然だ。
でも、ADHDには「ない」の。
カバンの中になければ、もう「ない」。
探すのをあきらめ、それより僕と踊りませんかーうふっふーになってしまう。
ADHDにとって、注意の向かない場所(もの・事柄)は、「ない」のと同じ。
よってなくし物や忘れ物が非常に多い。
これは仕様だ。
なので、できる工夫としては、
などでしょうか。
見えない、見ていないものは、存在しないのと一緒。
意識の外はブラックホールなのだ。
冒頭のお母さんにも、これを伝えた。
わざと探さないんじゃないんですよ。
探せないんです。
本気でないと思ってるんです。
ましてや、早くゲームしたいがために「忘れた!」とぶん投げてるわけじゃありません。
腹立つけど、わかってやってください。
視界の外はブラックホール。
怒らないで、一緒に探してやってください。
ね?
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いつも更新楽しみにしています。
今回のADHDのお話、我が家の小4男子にピッタリ…
小1で行き渋りが始まり、親子登校にしてみて、私も息子の学校生活の中での大変さが見えました。
LDがあるので勉強も苦労している上にADHDの特性で机の引きだしの中にあるのに見つからない。体育の縄跳びの授業の前にトイレに行き、トイレの前の棚に縄跳びを置いたら置いたことを忘れて何も持たずにそのまま体育館に行ってしまう…
取りに戻って開始時間に間に合わなければ先生に注意される…
本人も大変だろうな…と思いました。
その後、診断が出て担任にも毎年説明してゆるめに見てもらってなんとか今は一人で学校生活を送っています。
この前なんて…家のトイレの窓にカレーパン(笑)
おそらく息子が車で出かける時に車中で食べようと持って出たらトイレに行きたくなって窓辺に置いたら忘れたパターン。
少しのことじゃ、驚かなくなった母です。
次の日の学校の準備も4年生ですが親子でしています。
一人でやらせれば入れ忘れが多く、人に貸してもらうのが嫌いなので我が家は親子でして今日の勉強したノートを見たりしています。
大人になるまでにできるようになればいいし、無理ならアプリなどを使ってできればいいかな…なんて母はゆるすぎるかしら(笑)
全ての子供は失敗します。悪い事をした時に怒らない、と、困ってる時に怒らない、は全然違う。困っていても、側から見て困っている様に見えない事なんていくらでもある。私は40年前に母に助けてもらった事、40年前に父にかけてもらった一言を今でも覚えています。
個人的な経験ですが、反抗期は、その時期に起きた事だけに反抗するのではなく、子供が小さな頃から嫌だったけれども、思考力や力関係で言葉にできなかった事、口に出さない事をその時子供自身が選択した事が、いっぺんに反抗期に吹き出てくる感じ。親からしたら、そんなの口に出さないと判るわけがないよね、みたいなことも多数あって、防げません。ある程度子供の気持ちが落ち着いてから、子供の中の親に対する天秤の片方に今までの嫌な事が、もう片方に今までの嬉しかったこと、子供が本当に困っている時に親が笑顔で助けてくれた思い出や、子供が嬉しい時に一緒に喜んでくれた思い出が乗るんじゃないかと思ってます。
前回のブログ、ハダカデバネズミの診察室に吹き出し(貴志祐介「新世界より」を思い出しました。どんなお仕置き部屋w)、ハダカデバネズミに対する読者さんの、遊び心の隠されたコメントに笑いました。文字数の違いをつっこみ、植物編で前半明るい流れに乗りつつ、最後は同じ強そうな、私の聞いたことのない植物名を入れてこられてますね。世の中色んな着眼点と知識がありますねえ。私もブログを読んで楽しい一時を過ごしています。ありがとうございます。
P先生
今回のブログ、深夜に小さく「ウフフ」と笑い、今もやっぱり「ウフフ」と笑っています!
私も一緒におどりまーす、って感じです。
ああ、楽しい花金♡。
many thanks