前回の続き。
前回、
ペリーは世間
と書いた。
じゃあどうやって追い払えばいい?
いい加減、ペリーに心乱されるのをやめたいんだけど!
僕が世間について腑に落ちたのは、本を読んで。
本の受け売りね。
その通りだなーと感心した。
僕的には辻褄が合うと感じたので、受け売りさせてください。
価格:946円 |
外国では、世間という概念は強くない。
世間より個だ。
「自分が」どう思うかに重きを置く。
日本人はセーフティネットとして『世間』に頼るのに、なぜ外国の人はそれがないの?
外国人は心が強く、日本人は弱いから『世間』に依存する?
そうじゃない。
外国人だって、不安も弱さもある。
人間だもの。
じゃあどうするか。
外国の人は『神様』に依存するんだって。
へー。
トラブルが起きたときや、人生に光が見えないとき。
救いを求めるのは『世間』じゃなくて『神様』。
最後に助けてくれるのは、全知全能の神様だ。
だから個人主義なのだ。
「みんなガー」とか「普通はー」とか、どーでもいい。
『自分』は、神様に誓ってこの行動を選びます!
ってことね。
僕は無宗教だから、この辺の感覚はよくわからないんだけど。
そう、日本人は無宗教が多い。
神様に依存しない。
でも、不安なときは誰かに助けてほしい。
だもんで代わりに(と言っちゃぁなんだけど)『世間』に依存するという仕組み。
これがペリーとなって来航する。
へー。
どうりでみんな浦賀!
ここまでが本の受け売り。
じゃあどうするか。
僕は、今後もペリーはいなくならないと思う。
ただでさえ不安が強い(セロトニン的なアレで)日本人、何かに依存せずにはいられない。
でも現状、宗教が急速に広がるとは思えない。
じゃあ『世間(ペリー)』に頼る。
これしかないでしょう。
だもんでこの流れはなくならないと思う。
揺らぐよ?
ひと昔前と比べて『世間』の持つ力は弱くなってるよ?
でも、なくなりはしない。
だから、この仕組みを知っていることだと思った。
知識として知っておく。
ペリーは世間。
そして、世間はセーフティーネットとして機能しない可能性がある。
世間は気になる。
やっぱ気になるよね。
でも頑張って合わせたところで、特権的に自分を守ってくれるとは限らない。
会社に忠誠を誓ってきた中高年社員が、リストラにあっている。
そういうことだ。
真面目に勉強してきたのに、不景気で非正規社員にしかなれない。
そういうこと。
『世間』に従っても、あなたたち親子を守ってくれるとは限らない。
そもそもその子、『世間』の枠におさまらず、どうしてもはみ出ちゃうわけだし。
※余談だけど、昔もこういう人はいたと思う。枠からはみ出ちゃう人。世間が強大だった時代は、さぞ生きづらかっただろうと想像する。僕もはみ出しタイプだから、今の時代に生まれて本当に良かった。江戸時代なら死んでた。
じゃあさ。
そこに救いを求めるより、『個』を優先した方が勝率が高いと思うんだ。
そう、パンダさんだ。(ダサッ)
パンダの考え方を推奨する。
パンダ派かバナナ派か、生まれつき決まっている部分もあると思う。
でも、環境や文化に左右される要素も大きそうだ。
一時的にでよいので、パンダになる。
軸を『自分』に移す。
一時的でいいよ。
バナナにはバナナの幸せってあると思うから。
自分の本質をねじ曲げる必要はない。
パンダさんへようこそ
ってことだね。
↓結局、ココでの結論と同じ。
知識として、パンダとバナナについて知っておく。
そして自分がどちらに偏って考えるのか知っておくと、ペリーを追い返せるんじゃないでしょうか。
View Comments
世間はサタン
以前、カテキズムで神父さまから教わったような気がします。
サタンは、人を不安にさせたり、気落ちさせたり、失望させたり。
キリスト者は、それらの誘惑と戦い、主の御言葉に従う。
私たちの本籍は天国にある。サタンに従って地獄に行かないように最期まで頑張る。
地上は戦う教会
煉獄は苦しみの教会
天国は勝利の教会
人を励ましたり、希望を与えたりするのが神の御言葉で、私たちは同時に2人の主人に仕えることはできない。神に従うのかサタンか。
人間は、自由意思を与えられているので神に従ってもいいし、従わなくてもいい。
世間という言葉で、色々と思い出す機会を与えて頂きありがとうございます。