不登校は増加傾向だ。
まぁまぁ、そう言わんで。
増えているのは事実なわけで。
この傾向って、今後どうなる?
まだ増えるの?
それとも、そろそろ頭打ち?
僕は個人的に、今後も『増える』と思っていて。
不登校は増加している。
これにはいろいろな理由が考えられて。
例えば、文科省の報告書には以下のように書かれている。
児童生徒の休養の必要性を明示した「義務教育の段階における普通教育に相当する教育の機会の確保等に関する法律」の趣旨の浸透の側面も考えられる。
つまり……どういうことだってばよ?
つまり、この話。
って文科省が明言したのだ(H28)。
コレね。↓
それまで学校に復帰するのが大前提だったけど、そうじゃなくて、その子に合った多様な教育をしましょうって文科省が言った。
つまり、学校復帰が絶対ではない。
不登校児(や親)をおいつめないでネ!
休む事も大事ダヨ!
って文科省が言ったのだ。
休んでもいいんだ!
これを受けて、背中を押される形で不登校する子が増えたんじゃないか、と文科省は言っているわけです。
確かに、H28頃から増加率が上がっているように見える。
一理ありそうだ。
加えて僕は、別の理由からも、「今後も不登校児は増える」に一票入れたいと思う。
別の理由とは、コレだ。
時代の空気
どうゆうことだってばよ?
説明する。
↓このグラフは、ここ20年ほどの不登校数の推移なんだけど。
↓もっと遡って、昭和の時代から見るとこんな感じらしい。(画像借りました)
Oh! モーレツ。
めっちゃ増えとる。
これを読んでいるのは親御さん世代の方が多いと思うんだけど、あなたが子どもの頃はどうでしょうか。
増えとる。
特に90年代、めっちゃ増えとんな。
何があったんだ。
ゲーム発売は80年代だし。
ネットや携帯の普及は2000年以降だから時期が合わないし。
↓ちなみにインターネット普及率ってこんな感じらしい。
へー。
僕の肌感覚の話で申し訳ないんだけど。
単なる仮説ね。
時代の空気だと思う。
空気が変わった。
なんだよ空気って。
フワッとしたこと言いやがって。空気だけに。
学校や先生は、あながち『絶対』ってわけでもない。
↑この空気。
こんな空気が出てきた。
うまく説明できないけど。
学校イコール正義! ってわけじゃない。
いろんな考え方の人がいるし、正解は一つじゃないよねー的な。
多様性! 的な。
みんな違って、みんないい的な。
金子みすず的な。
こんな考え方が、ふわっと浸透してきた感じ。
90年代って、僕が小・中学生だった時期とピッタリ一致するんだけど。
N=1の個人的な感覚でしかないんだけど、金子みすず的な空気をぼんやりと感じていた気がする。
よくわからんけど、多様性よね! みたいな。
よく分かってないクセに、とにかく多様性! みたいな。
「不登校」が現実的な選択肢になってきたというか。
いろんな人がいていいよねーって空気が浸透してきた時代だったように思う。
ぼんやりみすず。
不登校は今後も増えるだろうと、僕は予想する。
日本の空気が、バナナ派からパンダ派に寄ってきているように感じるから。
『関係』から『個』に重心が移っているように感じる。
『個』を重視したら、当然見えてくる。
「学校が合わない子がいる」
という事実。
『関係』で見れば、みんな学校に行くのが基本だ。
だって『関係』の中を生きているのだ。
学校という舞台に立たないと、話が始まらない。
つまり、不登校はありえない。
でも、『個』をベースにすると話が違ってくる。
いろんな子がいる。
学校が合う子もいるし、合わない子もどうしたって存在する。
『個』で考えると、学校がなんかしんどいことに気づく。
「自分は」しんどい。
そこに気づいちゃうんだよね。
「自分は」しんどいのだ。
じゃあ、「自分は」学校に行きたくない。
これが不登校が増える理由だと僕は思う。
『関係』で考えると、そこに個人のしんどさは考慮されない。
『個』で考えると、関係性より自分の気持ちに目がいく。
パンダ派が増えると、必然的に不登校も増えると思う。
っていうのが、パンダ派の僕の考察。
僕だったらこう考えるなーって。
僕が不登校になるとしたらそうだ。
だって「僕が」しんどいんだもん!
こう考える。
他の人とか普通とかペリーとか知らない。
「僕が」しんどいんだ!
自己中なのよ。
※もちろんペリーをめっちゃ気にした上で、それでもしんどくて不登校になる子もいっぱいいます。「自分」vs「ペリー」になったとき、昔と比較すると「自分」が勝ちやすくなってるんじゃないかって話ね。
勘違いしないでほしいのは、僕は
今の空気:最高!
昔の空気:ダメ!
って言ってるわけじゃない。
一長一短あると思う。
どちらが良い・悪いの話ではない。
ただ事実として、以前より『個』を重んじる空気になってきてるんじゃ? というだけだ。
そして、この流れはしばらく続きそうだ。
じゃあ、不登校は増えるだろう、というのが僕の推測。
そして。
ややこしいんだけど、じゃあパンダ派が台頭してこのまま個人主義の国になっていくかと、そんなことはないと思う。
パンダ派は増えたが、今でも優勢はバナナ派だろう。
昔:バナナ97% パンダ3%
今:バナナ70% パンダ30%
くらいのイメージ。(僕のイメージです)
3%の主張は無視されるけど、30%なら一大勢力でしょ? くらいの感覚。
今後もきっと、パンダがバナナを追い越すことはないだろう。
日本が欧米のように個人主義になることはないと、個人的には思っている。
この先も多分、日本人のベースはバナナ。
だから、外国と同じ不登校対応をしてもうまくいかないと思う。
不登校でオッケー!
個人的な学びを推奨すればすべて解決!
ってわけじゃないだろう。
『関係』の重要性は、ずっと大きいままだ。
ゆえに不登校対応は難しいし、結論が出ない。
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P先生こんにちは。不登校の数、右肩上がりですし今後も増えそうですよね。
「不登校=問題行動」だったのが、H28年の法整備で問題行動とはみなさないことになり、学校側の意識も変わって無理矢理に出席日数を稼ぐことをやめたのかなと感じます。いまだに「正門くぐったから、今日は出席扱いにしてあげますね」とか、どんだけ意味あるん??と思うこともありますが‥。
90年代といえば、バブル崩壊ですね。社会全体に漂う閉塞感、親は失業したりストレスでイライラして家庭内も息苦しい。そのへんはコロナ禍も似ている気がします。社会や家庭が子どもに与える影響がいかに大きいか。そして敏感な子ほどネガティブな空気を受け取ってしまうのでしょうか‥。
令和2年度は不登校がまた増えてますが、児童生徒の自殺者が前年より100人くらい増えてます‥。これは本当に見過ごせない事態だと思います。
個を重視する教育といいながら、中身はいまだに競争主義&連帯責任を重視する学校現場です。大阪市立の小学校の校長先生が市長あてに公教育に関する提言を出して処分されましたが、不登校児の親としては提言内容に一字一句同意します。タブレット配布もいいけど、もっと子どもの心を見てほしいです。
P先生、私の疑問に答えて頂いた様で嬉しいです。
なるほどそうなんですね、時代が変わって行っている、の意味がなんとなくわかりました。
ウチのHSC娘は、小学校で2年間ほど完全不登校でしたが、緩い私立中学に行き、何とかやっています。
昨年くらいから、東京の私立のいわゆる偏差値が高くない学校も人気があるみたいです。今までは、偏差値が高くない学校なら、わざわざ私立に入れなくて良い、と言う考えの人が多かったし、私もそうでしたが。
普通の子供を持つ親は、コロナ禍の休校でタブレット学習ができた私立はやはり手厚いと思ったのでしょうが、不登校親としては理不尽が少ないのが私立中のメリットですね。
決して公立の先生が悪いのではなくて、時代に対応して、臨機応変に動けない公立の体制が大変だなと思います。
そのしんどさを子供達は、敏感に感じとってしまうんでしょうね。
バナナ派優位ですか、、、
いつも優しく寄り添ってくださってありがとうございます。わたしの中でP先生は佐藤健や綾野剛に脳内変換されてた、イケメンドクターです。(笑)
最近、非認知能力が話題に上がっていますが不登校の子にはただ暗記するのが苦手、やらない子も少なくなく、そうするとペーパーテストでは良い点が取れない、だから学校嫌いって子もいると思います。ひるがえって、彼彼女らは、非認知能力に長けているんじゃないか、ようやく不登校の子の時代、多様な学び方の時代がきたーと喜んでいたのですが、、
楽天元副社長の、風越学園などの学校もできているし。
また、昔は学校に通っていないと、親まで非国民扱いだった気がし、そうするとクタクタのまま学校に行っていたんじゃないかなと考えます。
よって、ひきこもりの数では、今の40代のほうが、早くから無理せず学校を休ませてもらえてきた、10代の若い人より多いのではと考えるのですが、、実際どうなんでしょうね。
P先生こんにちは。松潤の一コ下の者です。
先生のおっしゃること、ふわっとしてますが分かります。
私自身、小一の時には担任から左利き矯正のために教室に残されたり、給食を残すのは許さない先生もまだ複数いました。
左利き矯正は、当時でも 人に話せば驚かれるくらいの珍しい案件ではあったと思いますが。
それが小学校高学年ごろには、生徒の自主性、とか個性、とかいう言葉をよく聞くようになり、中一の時の担任の先生が給食残しちゃダメ派だったのですが、それに関して生徒達は 時代錯誤な…という目で見ていた記憶があります。
昔から「男子は坊主」が校則の中学校で、入学当初から「古いよね、何の意味が?」という声は生徒からも、たぶん保護者の間でも多かったのですが、とうとうその校則が無くなったのが中3の時でした。
不登校に関しては小学校高学年の時に、学校に来なくなった生徒へ、クラスの全員がそれぞれ「学校へ来てね。待ってるよ」という内容のお手紙を書いた事も。
その子が来なくなった経緯も何も知らない生徒は、先生が書けというから書く、って感じでした…。
なんであの頃、個性が大事!な空気がどんどん広まっていったのでしょう?教育の専門家の誰かが、論文か本など出した、とか…?いじめ問題…?分かりません。