僕の外来を受診される患者さんの年齢層、そのボリュームゾーンは思春期だ。
思春期。
暴れたり、反抗したり、ワルぶったり、何も喋らず考えていることが分からない。
かと思えばくっついて、甘えてきたり。
振り回されてしまう。
もう、思春期って一体なんなの⁉︎
思春期の定義・捉え方は色々あると思うので、
ここでは僕の考え方を述べる。
子供の頃、親は神様だ。
なんでも知っていて、なんでもできて。
どんな親でも子供は大好き。
なので、基本的に親のいうことをきく。
反抗しても、最後は折れることが多いだろう。
「とにかく言うことをききなさい!」で制御できた。
神様だから。
しかし、これが揺らいでくる。
思春期になると、自分って何だろうという疑問が湧く。
これは自然なこと。
じゃあ自分を作った親って何者? に容易に結びつく。
自然な流れ。
あれ?
親ってもしかして普通の人間?
不完全な中年のオジサン(オバサン)?
いやいや僕(私)を生み出した親なんだから完璧に決まっている。
でもそうでもないのか?
いや完璧であってくれ・・・。
こうやって、親に対する見方が揺らぐ。
行ったり来たり、ぐわんぐわん揺らぐ。
自分自身でもどうしたらいいかわからない。
閑話休題。
地球から遠くの星までの距離って、どうやって測るか知っていますか?
実際に行って測るわけにいかない、遠く遠ーくまでの距離の測定方法。
地球の公転を使う。
冬と夏とで、それぞれ星までの角度から距離を割り出すそうだ。
三角関数とか、そんなやつ。
冬から夏で、太陽を挟んで地球が反対側に移動するから。
この距離を使う。
大きく移動することが大事。
なんで突然こんな話を?
遠くのものを評価するには、自分の立ち位置を変える必要があるってこと。
ずっと親とべったりだと、親の一面しか見えない。
近づいたり離れたりしながら、角度を変え、視野を変え、親のことを見ているのではないだろうか。
だから離れてみたり、反発してみたり、かと思えばべったり甘えてきたり。
思春期とはそんな時期なのかなと個人的に思っている。
だから反抗するのも、生意気な口を聞くのも、成長に必要なステージと思って許してあげてほしい。
どれだけ揺れても、それまでの期間に親との愛着をしっかり育んでいる子は必ず戻ってくるものだ。
思春期の子との接し方。
今まで素直だった子供がこんな風になって、親御さんは驚く。
どう接したらいいかわからない。
『離れたら放っておく、近づいたら受け入れる』
これが基本だ。
反発して離れたら追わない。
近づいてきた時は受け入れる。
そんな距離感がおすすめだ。
親がブレないことだ。
子供に振り回され、感情的になってはいけない。
腫れ物扱いもしないでほしい。
親がブレると、子供はさらに揺れる。
位置を測っている目標物の場所がずれたら、観測者は混乱するだろう。
「うちの子、何を考えているか全然わからないんです」
思春期の子供は親に喋ってくれない。
なぜか。
きっと、以前は話していた。
彼/彼女なりの言葉で。
でも聞いてもらえなかった過去がある。
子供の興味の内容は、大人にとってはくだらないと感じるものだ。
「ねーねーこのゲームすげーんだぜ!」
「ゲームする前に宿題は終わったの⁉︎」
きっと、こんなやりとりがあった。
子供は思う。
友達はこの話に乗ってくれるのに、親は聞いてくれない。
じゃあ友達と話す方がいい。
親には何も言わないようになる。
最近、何も話してくれない……。
子供の考えがわからない……。
気になった親が、子供に聞く。
「近ごろ、学校はどうなんだ?」
「べつにふつう・・・」
いや、わかりますよ。
子供に話をふって、学校の様子を教えてもらいたい親御さんの気持ち。
でも子供からすると、「学校はどうか」なんてざっくりした質問の意味がわからない。
別に普通だから、そう答えるしかない。
細かい話をしても、前提を知らない親には通じないだろうし。
そういうのはツーカーの仲の友達と話すので、親に言う必要はない。
むしろわけわからないことを言ってくる親、マジうざい。マジ卍。
と、こうなるわけだ。
こういう時の話しかけ方。
コツは、クローズドクエスチョンだ。
聞きたい内容を具体的に、Yes/Noで答えられる質問形式にする。
タイミングも重要。
子供が機嫌よく、近寄ってきたときがおすすめ。
そして注意したいのは、子供がどんな話をしても否定せず聞くこと。
どんなにくだらなくても、あぁそうなんだと聞いてください。
それが彼/彼女にとって今興味のある内容なのだから。
まちがっても勉強や受験の話(お小言のことです!)にすり替えてはいけない。
『雑談』してください。
これを繰り返すと子供は、『親は話を聞いてくれる存在』と思う。
いつもブレずにそこにいて、自分を見ていてくれる存在だと理解する。
すると、距離を測る必要がなくなる。
気づくと思春期の揺らぎがなくなって、穏やかな我が子が戻ってきているはずだ。