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このブログのねらい 〜コメントのお返し〜

なんかこの記事に思いの外たくさんのコメントをいただきまして。↓

「親を支援する仕組み」について僕の考えこのブログでは、困った子(不登校とか起立性調節障害とか思春期とか発達障害とか)の話を書いている。 主に診察室から見えた風景。 ...

 

ウザいかもしれませんが、少しお返しさせてください。

 

困ってないです!

まず断っておきたいのですが、

僕はそんなに困ってないし、気にしてないです!

 

ブログが支援になってますありがとうございます、みたいなコメントをたくさんいただきました。

すごくありがたい!

いやホント、世界は優しい。

僕みたいなクズに。

みなさん優しい……。

 

涙ちょちょぎれているのは紛れもない事実なのですが。

 

 

ただ説明させていただくと、何もできない自分を責めてるとか一切なくて。

さてはコイツ、結構困ってハートブレイクしてるのかな? と気にかけて優しいコメントをくださったものと思うのですが。

あんまり、というか全然ハートブレイクしてなくてですね。

優しさを踏みにじってゴメンナサイ。

クソでゴメンナサイ。

 

ブログのねらい

そもそもこのブログ。

親御さんを支えるとか、たくさんの子供達の笑顔のためにみたいな崇高な意識はほぼないんです。(ぶっちゃけた)

 

僕の視点から分析するとこんな理屈が見えるんだけど、どう?

というつぶやきのブログなわけです。

 

個人的な興味。

「僕はこう思ったけどドヤァ」ってだけ。

考えたことの整理と発表の場。

マジブログ。(マジブログ?)

 

その上で、もし僕の考えに同意するとか一理あるとか思われる方がいらっしゃったら、勝手に役立てていただいて構いませんってだけで。

みんなまとめて僕がなんとかしよう! とか煉獄さんみたいな意識は皆無で。

正しい知識を啓発しよう! とかも1ミリも思ってないんですよ。

 

 

それでも「ブログに支えられてます」と仰っていただけるのは、恐縮というかこそばゆいというか。

狙いの斜め上からのお褒めの言葉、という感じ。

いや、もう、僕なんかにありがとうございます。

 

 

だからあの記事で言いたかったのは、

〇〇がないから詰んでます的なコメントをいただいても、僕には何もできないのでご承知おきください

ってことね。

 

いや、グチならいいんですよ。

解決できないのを承知でグチを書いていただいているのなら、こちらも気に留めないので。

でも、単なるグチなのか、ガチの相談や悩みなのか、判断がつかないもので。

医者の悲しいサガなんですが、何か聞かれると、答えらしきものを出さなきゃいけないような気になっちゃう。

 

あと、そもそも僕ASDなんで、空気が読めないんです。

グチなのか相談かわからない。

加えて自分の中に「解決できないと理解しつつ人にグチることで発散する」という発想がほとんどないもので。

マジでわからないんです。

すぐ『分析』しちゃう。

なぜそうなったのか、どれを選ぶのがお得か、はたまた別の方法がないか、とか。

グチ相手に一番向かないタイプ。

「ただ聞いて欲しかっただけなのに!」って。

 

なので、「〇〇がなくて困ってる」的な書き込みをする場合、解決できないのを承知でお願いします! ってことです。

あと、グチならグチって書いていただけると嬉しいです。

むしろ書いていただかないと僕の能力では判別しようがない。

クソ性能ですみません。

 

コメントのお返し

その上で。

コメントをいくつか抜粋してお返事。

 

私が望んでいた支援は、親の精神状態を知ってほしい、程度でした。

 

これはですね、シンプルなようでとても難しい。

誰に知って欲しいのか、あとどの程度知って欲しいのかにもよりますが、親の精神状態はご本人にしかわからないと思います。

子供の個性も、親の性格もまちまちです。

想像はできますが、完全に理解するのは非常に難しい。

 

ましてまったく当事者じゃない人には、まずわかってもらえないものと僕は思います。

そのような人に心ない言葉をかけられるのは、避けようがない。

何もわかってないくせにばーかばーか、僕にはこれしか思いつきません。

 

 

親支援=ピアサポートの部分が大きいのかなと思っています。居場所、仲間づくり。

 

そうですよね。

そのような活動をしている民間の団体、結構ありますよね。

とりあえずその中に入ってみるのは、すごく良いと思います。

まず行動してみる!

すると見えてくるものがあると思います。

 

 

私も悩むことも泣くことも多々ありますが、自分の考え方をかえると楽になりました。
「少数派かもしれないけれどこの子達はちゃんと生きていける」「学校を我慢して通ってひどい二次障害を持つ大人にならなくて済んだ」

本当は支援があれば一番よいとは思いますが、家庭の状態、子供の特性いろいろあるのでやはり難しいと思います。
私は母親が笑顔でいられるよう外野にはとらわれない考え方をするように心がけてここまできました。

 

そうなんですよ。

マジで最悪なのは二次障害です。

特性より、絶対的にずっとずっと大変です。

特性はどうとでもなる。

本当の問題は二次障害だと僕は思っています。

 

ないものを嘆くより家族笑顔で過ごせる方法を選ぶ。

そのためには外野(ペリー)に囚われない考え方をする。

それしかないと思います。

 

 

今は珍しく2人が普通に登校しているので学校の先生は「お母さん、今までよく頑張りましたね。」とまるでマラソンのゴールしたようなお褒めを頂きますが、私は子供たちの特性がなくなった訳ではないのでたまたま今行けてるだけでまだまだ山あり谷ありだと思っています。

 

まさしく、登校がゴールではないんです。

その後も人生は続いていくわけで。

ここが誤解されていることってすごく多いと感じます。

 

 

起立性調節障害で不登校男子と重度心身障害児(重度脳性麻痺)の二人の中学生男子の母です。
よく、障害者に対する偏見のない社会を!と活動される障害児保護者の方がいらっしゃいますが(たくさん見てきました)、偏見のない社会はおそらく一生かかっても実現しないと思われます。
社会の偏見なんて気にせず、楽しく毎日を送るほうが早いです(笑)
でも、自分が周囲を気にせず明るく生きていれば、周囲の目も自然と変わっていきますよ。
自分と、自分の周りを変えることしか出来ないけれど、それで自分から見える世界が変わるんです。
不登校もおなじかな、と。

 

OD不登校と重心のお母さん、本当にお疲れ様です。(いや本当にお疲れ様です。マジで。)

そして大きい声じゃ言えないけど、リアルじゃ絶対に言えないけど、僕もそう思います。

偏見のない社会とか、まず実現しないと思います。

偏見がある前提で、どう楽しく生きていくかを考える方が僕は好きです。

自分と、自分の周りを少しずつ変える。

すると自分から見える世界が変わる。

全くもってその通りだと思います。

応援しております!

 

 

それまでは表面的な子育てテクニックだけを繰り返して迷走する毎日だったのが、自分の内面や価値観を考えて、変えられる所を変えていくようにしたら、自分の心がなんだか柔らかく温かくなって、穏やかに子供を見守れるようになったと思います。

 

僕がブログを通して伝えたいことは、まさにこれなんです。

表面的な部分だけじゃなくて、子供がなぜそうするのか、親の価値観って本当に正しいのか、そんな『理屈』を考えていただくとうまくいく部分が増えるんじゃないかなっていう提案。

単なる提案です。

 

 

仕事中の親御さんからの訴えで腑に落ちない所のヒントが、匿名コメントを観察していればわかるかもしれない

 

鋭いですね。

これは、ブログを始めた理由として結構大きくて。

 

リアルだと、やっぱり忖度するじゃないですか。患者さんが。

医者の前だと本音って話しづらいと思うんですよ。

サンプル(って言ったら言葉が悪いけど)を増やして、理由を考察したかったんです。

だから奇譚ないコメントは嬉しいのです。

 

でも、だからこそ、本当に困って藁にもすがる思いでコメントされていたら、僕のちっぽけな良心でも痛むんです。

なので「できないことはできない」とお伝えさせていただきました。

グチならグチって書いてもらえると嬉しいのです。

 

 

ウザイとか、ワガママだとか言われても処遇改善を望むなら、リアルに関わりのある方々に直談判するしかないし、ワガママを通すのではなくて、何とかならないか?と話し合ってみる価値はあると思うし、断られたら仕方ないし、次の策を練るしかないし。

結局、誰かが何かを変えてくれるわけでもないし。

変化を望むなら自分で動くしかないと思っています。

小さな小さな一歩でも、かぼそくて弱い声でも、何度も何度も訴えたり、お願いしたり、話し合ったりしながら、少しずつ前に進むわけで。

ゴリ押しだとか、ズルいだとか外野が何と言おうと、相談相手がOKをくれたなら、ありがたく前に進ませてもらうのみ。

感謝するのも謝るのも、世間様じゃなくて、実際に手を貸してくださっている方々だから。

 

ないものはない。

でも、助けてって言えば手を差し伸べてくれる人はいるかもしれない(もちろん、いないかもしれない)。

頼んでみる。

人に迷惑をかける。

迷惑上等!

 

相手がOKしてくれたら、ありがたく受け取って前に進むわけです。

で、余裕ができたら別の困っている誰かの手助けをしたらいい。

もちろん、親御さんの楽しみも尊重しながら。

 

 

この度P先生が言われる様にソーシャルワーカーとして三度通った市の機関から「不登校や引きこもりの定義に合わないから支援は打ち切りに。」っと言われました。

まさに先生の言われる親への支援の打ち切りですね。

定義は理解していましたが淋しく思ってます。

実際は本人(子供)がどう動くかにつきると思ってます。親は何も言わず信じて生活するしかない。自分で目的を見つけて進むしかないですよね。

 

これこれ。

まさに、ですね。

 

支援の打ち切り。

悲しいですよね。

怒りすら湧いてきますよね。

でも、仕方ない。

先方ができないと言うのなら、できないんです。

そこで嘆いて止まるより、自分で目的を見つけて進むしかない。

その通りだと思います。

 

 

先生がクズなら私はもっとクズです。子ども達のために傷ついても外に働きかける頑張る母親にはなれません。
子どもに笑顔で接するために私は守りに入ります。

 

傷ついてまで外に働きかける必要、あります?

お子さんと笑顔で接する以上に大事なことなんて、僕には思い浮かびません。

無理なものは無理、です。

なので僕も世間とか教育委員会とか文部科学省とかには働きかけず、ブログにこもります。

あとどうぶつの森が忙しいし。

できないものはできない!

pediatrician-p

View Comments

  •  動物の森は、友達いなくても気にならないとおっしゃる30代男性がしたいゲームとしては、優先度が低い様な気がしますが、診察の時の潤滑油としての知識の取得も目的ですか?

     大人でも好きなものを語る時に相手に一から説明しないといけないと思うとゲンナリしちゃうので、子供だと余計に、自分の好きなものに対する知識のある先生とお話しするのは楽しいですよね。やっぱりいい先生だと思います。

     目の前の患者さん達を大切になさって、またブログで語りたい事ができたら教えて下さいね。

  •  他の方の特定のコメントに向けた意見ではないのですが、横からコメントさせてください。

     医師免許は医療行為を行う許可証であって、行政に働きかける力があるわけではありません。

     配慮を義務付けられている学校相手ですら、学校の予算とそれに連動したマンパワーの不足についてを頭の片隅に置きながら、このような配慮が望ましいと手紙を書く(学校側にその気があれば面談する)くらいしか、殆どの医師にはできないのではないかと、素人考えですが想像します。

     教育や福祉の予算を決めるのは、議員等、選挙で選ばれた人達で、議員を議員たらしめているのは自分の選挙区の票数。行政に働きかけたい事があるのなら、自分と同じ選挙区内で同じ事を要望している人を探して、まとまった票をアピールできるか、その議員の活動実績として、その議員の今後のアピールに繋げられるか等、考えた方が良い(自分でした事はないので、間違っていたらすみません)。いずれにせよ、行政に働きかけろと医師に言っても、無意味だと思います。

  • 市の支援センターの医師は、制度上保険診療扱いにしてもらえるよう噛ませるだけの存在なので、割り切って付き合って行く方がいいかも知れません。療育の最前線で働いている先生の意見をそのまま追認してもらう以上の価値を期待しない方が良いと私も思います。療育の内容とか聞くだけ時間の無駄です。あんまり子どもを見てないからわからないだろうし。ただ追認してもらうだけ。安くで療育を受けられるようにいて下さる有り難い存在、それ以上でもそれ以下でもないかも。上手く使えば良いように思います。
    私の住む地域ではそんな感じでした。参考まで。

  • P先生はブログの中でこう書かれてます。
    "「僕の視点から分析するとこんな理屈が見えるんだけど、どう?」
    というつぶやきのブログなわけです。"

    読んでイライラするくらいなら始めから読まなければいいだけです。そっとじですよ。

    ブログやSNSなんて、所詮は本人の勝手なつぶやきです。共感できるものだけ読むものと、割り切った方が楽です。

    当たり前のことですが、医師も療育の先生も人間ですから、いろんな人がいます。
    個人的な意見になってしまいますが、結局は資格や立場云々より、人柄や相性の方が大切だと思ってます。

    横から関係のないコメントを、失礼しました。

  • そんな奇譚ない意見が聞きたいなら医者ですって言わなきゃいいのに。肩書きを排したところで話せばいいのに。医師って、私にとっては薬を処方してくれる権限を持った人でしかないです。資格って恐ろしいよ。市の児童発達支援センターの療育の最前線で働いている先生達は、医師の診断がなければ動けず、じゃあと思って医師に療育の内容どうしたらいいですか?って相談しても門外漢ときたもんだ。そりゃそうだなって気付きましたけどね。そこに思い至るまでめちゃくちゃ傷つきましたわ。あなたみたいなこと言う医者だったなあ。ないものをねだっても仕方ないから、自分でやってますけどね。俺も発達障害あるから人の気持ちがわからないってここでゲロってますけど、最低ですよ。開き直ってるだけ。あのさ、資格持ってるわけでしょ?自己満足のために医者やってるの?頼られても応じられませんって、その気になれば行政に働きかけることもできますよね?その立場なら。社会的に責任ありますよね。国家資格だしね。医師だしね。医師にしかできないことたくさんあるでしょ。結局はそこまで踏み込む覚悟がないってことだ。

  • 二次障害ってホントに問題ですよね。

    でも、我が家は二次障害に救われたのかも知れません。

    小学3年まで問題なく過ごした息子は4年の夏休み開けから腹痛理由で遅刻や欠席をするようになり、加えて激しい癇癪を頻繁に起こすようになりました。
    どんどんエスカレートして家庭内暴力に発展。
    夜間の児相に電話すると、暴れているなら警察を呼んで下さいと言われお世話になりました。

    ↑上記があり、児相面談に繋がり、母の疲弊が酷く一時保護を予定したら説得時に興奮して結果、医療保護入院。
    そこで初めて判明しました。発達障害があると。

    二次障害の前に気づけたら、それに越したことはありませんが、そのお陰で支援に繋がるケースもあります。
    (サンプルとして)

    ただ、知的もなく重度ではないので
    さほど支援の選択肢はないんですけどね。

    それでも今後には繋がりました。

  • 障害などなどの受容って、そんなに難しく考えなくて良いのかなと今になって思います。というのも。。

    時間が経つと、どんなにロクデモナイ状況でも慣れてきます(脳の特性と思われます)。
    悩み続けながらも日々を生きていると、段々(疲れて)感覚が麻痺してきます。このロクデモナイ状況が自分にとっての「フツー」になって行きます。

    そんな貴女を、第三者からみると、「受容した親」です。

    無理に受容しようと思わず、ただ日々を生き抜いて下さい。マイナス思考も当たり前の感情なので、大切に感じて下さいね。時間が解決するように思います。受容って、そんなに立派な話ではないのでは、というのが私の実感です。

  • このコメント欄に書かれてるみなさんの気持ちが痛いほど分かり、久々に泣きました。きっとこの涙は、"しんどいのは自分一人じゃなかったんだ"という嬉し涙です。

    我が子は、脳腫瘍による後遺症で片麻痺が少しあり、さらに軽度ASD・HSC。知的の遅れはないので、普通級に数年頑張って通ってましたが、コップの水が溢れたように突然ダウン。その後不登校で、人が変わったように大荒れ。

    健康な体に産んであげられなかった自分を責め、辛いと吐き出せる場所もなく、"母親"というプレッシャーに負け鬱状態になりました。私も精神科にお世話になり、今は考え方が変わり(無理やり変え)、少しずつ前向きになれたところです。

    障害児の子供を殺めようとする母親のニュースを見ると、不謹慎ですがそのお母さんの気持ちが分かります。
    でも、その1秒後にはそれでも生きていかなきゃいけないんだと気持ちを切り替えて日常と向き合う。

    まとまりのない文章になってしまいましたが、このブログがある意味「親の支援」の一つになってると思ってます。お世辞とかではなく、本当にです。少なくとも私には…

    P先生のブログや、同じような立場のお母さんからのコメントは私の参考書です。
    いつもお忙しいなかで書いてくださり、本当にありがとうございます。

  •  既に全部わかってはいるけど、と思うことばかりだったらごめんなさい。切羽詰まったご様子から、前々から何となく分かっていた障がい等ではなく、いきなり訪れた不登校等のお悩みかと感じました。

     望んだ人生を得てきたとのことですが、極端な話、東大で首席卒業だったとか、仕事で世界的に知られている人物になったとか、超人気俳優と結婚された訳じゃないですよね。人間は、叶いそうにない事は無意識に除外して、これなら出来るかもと思った事を目標にして、達成する事が多いです。今お子さんはおそらく、これなら出来ると思える事のボーダーが、すごく低い状態です。親御さんがこの程度の事という認識で接すると、余計に自分は駄目だと思ってボーダーがさらに下がるか、反発して更に悪化するのでは。そして、親御さんの掲げる目標は、お子さん本人が望んで達成したい事じゃない。

     大切な人を実際に亡くすと受容に時間がかかるのと同様、理想の範囲内の子供を失っても、受容に時間がかかります。でも自分がこのラインを超えたら世界が終わると思っていたくらいの事が、お子さんによって訪れても、意外と世界は終わらない。よく見れば小さな幸せもあちこちにあって、前のようにラインを超えない様、必死になって生きなくても良い。不登校になった子の親御さん達が、自分も成長したと言われるのは、本音です。

     ここは素人が匿名で集まる場に過ぎないので(医師はここに限らずSNSで個別の相談には乗らない)、正しいアドバイスを期待する所ではありません。助けを求めるなら、ご自分が専門機関を訪れる事をお勧めします。どこに行くのが正解かは誰にもわからないのですが、どんな専門家が自分に合うか、実際に動いてみる事で、自分が求めているものが具体的に何か、はっきりしてくると良いですね。

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