Categories: ブログ

初詣に行くか行かないか、帰省するかしないか

コロナ禍のお正月。

みなさん、初詣は行きました?

実家に帰省はしましたか?

 

そして、それはなぜですか?

 

お正月の起源

僕は初詣は行かない派。

コロナ関係なく、毎年そうだ。

ただでさえクソ寒いのに、人混みの中に外出するのがダルいという理由。

コタツでみかん食べて寝ていたいという、至極真っ当な理由だ。

 

で。

今年は分散初詣が推進されたじゃないですか。

駅前に大きな神社? お寺?(違いが分かってない)があるんだけど、12月27日頃から初詣が始まってたっぽいんですよ。

年明けてねーけど何でもアリか!

そう思って、せっかくの機会なので調べてみた。

 

 

そもそも正月、年の始めって、どうやって決めたんだろう?

 

今使っている太陽暦は、天文学を元にしているのは分かる。

1日が24時間なのは地球の自転周期だし、1ヶ月は月の公転周期が元だろう。

1年が365日なのは地球の公転周期なのはわかる。

 

でも、そのスタートって何を基準に決めているの?

なんで冬がスタートなの?

なにか天文学上のイベントがあるの?

それとも、『西暦はキリストの誕生した年が基準』みたいな、宗教的な理由?

 

1月1日というのは、古代ローマ時代の暦の上で、名前もついていなかった冬の期間の前半がIanuariusと呼ばれるようになり、それがいろいろな変更を経ながらも現在まで続いてきたという、長い歴史的経緯で決まったものです。天文学上の理由があって「1月1日をこの日とする」と決めたものではありません。

国立天文台HP

 

つまり、それまで冬に暦はなかった。

農業をしないから。

正確な暦を作ったときに、宗教とか政治とか戦争とかが影響し、こうなったらしい。

あと農業では春分が大事で(種まきや収穫にアレだから)、春分を優先して日付けを合わせた結果、今の1月1日が決まったらしい。

ひとつ賢くなった。

 

ってことは、正月にあんまり深い意味はないっぽい。

「なんかそうなった」ってだけで、明確な理由はどうやらなさそうだ。

じゃあ年末に初詣しても、クリスマスに初詣しても別にいいんじゃね? と思った。

もう、初詣の時期は自由! で良い気がする。

 

僕は暖かくなったら行こうかな。4月頃かな。

 

それでも初詣に行く人

そうは言っても初詣は1月1日に! っていう人がたくさんいるのも知ってる。

実際今年の元旦も、神社だかお寺だかはかなり混んでいた。

(仕事してたんだよぅ) (年末年始も休みじゃないよ) (褒めてください) (やっぱ褒めなくていいんでお金ください) (同情するなら金をくれ)

 

密だ、けしからん!

 

そう言うのは簡単だけど、でも僕はそう思わない。

どんなに密と言われようが、一年の計は元旦にあり、俺ぁ絶対に初詣に行くぜ! という人を僕は否定しない。

その人にとって、感染よりも初詣がプライオリティーが高いのだ。

価値観の問題だ。

そこに他人が口を出すべきではないと思う。

1月1日が新しい年のスタートでありしっかり祝わないと気持ち悪いのなら、そうすればよい。

個人的にはその多様性を尊重したいと思っている。

 

感染?

する人はするでしょ。

止めるのはムリでしょ。

(「コロナは恐ろしい派」と「コロナで騒ぎ過ぎ派」で論争になりそうだから、これ以上深く突っ込まないけど)

 

帰省するかしないか

同様に、年末年始の帰省についても、今年は控えた人が多いようだ。

僕はもう10年以上帰ってなくて、すでに実家までの道を忘れたから帰りようがないし、今年も安定して帰らないんだけど。

 

でも、そんな中でも帰省する人。

きっと思うところがあるのだろうし、すれば良いと思う。

  • 高齢の親の調子が悪い
  • なんとしても初孫を会わせたい
  • 感染リスクより実家で過ごす安心感が自分にとっては大事

きっと何か理由があるだろうし、別に帰省すれば良い。

文句を言う人は言うだろうが、無視一択だ。

 

逆に、今まで「正月だから」というフワッとした理由で行きたくもない義実家に行っていた人。

今年は大手を振って行かない選択ができる。

今年やってみて快適なら、来年以降も行かないという選択肢はどうですか?

行きたくないなら行かなくていいし、後ろめたく思う必要はないと思う。

 

「当たり前」を疑う

何が言いたいかというと。

 

コロナが流行し、『普通』『当たり前』の概念が揺らいでいるように思う。

もちろんコロナは厄介で、終息してくれるに越したことはないんだけど。

僕もコロナは嫌い。コロナビールは好きだけど。

でもそんな中で、今まで当然と思われてきた理由のないことを見直すという視点に立つと、とても良い機会だと思った。

 

今まで当たり前に思っていたその『当たり前』、ホントに当たり前なの?

 

時差出勤やテレワークもそうだし、オンライン授業とか、飲み会の縮小もそうだと思う。

この正月で僕は、「普通」とか「常識」って全然意味ないなと再確認した。

「みんなで」がしにくくなり、「個人で」を選ばざるを得ない時代だ。

みんながどう思うか、普通はどうか、とか、意味ないなと。

 

自分で決める。

初詣に行くか行かないか、はたまた4月に行くか。

実家に帰省するかしないか。

「こういう理由で自分はこうする」という判断が大事なんじゃないかと思う。

何を選ぶかより、自分で決めることが大事。

 

 

もうお分かりですね。

発達外来を受診する子供たち。

『普通』ではしんどくなっちゃう子たち。

普通にこだわる必要が薄らいでいる時代。

この子たちにとっては追い風の時代だ。

 

自分で判断し、自分で決める。

自分はどんな特性を持ち、どうしたいのか。

 

もっともっと自分本位で生きていって良いのだと思った。

pediatrician-p

View Comments

  • 人がすぐ近くに立ったり座るのも、触られるのも苦手です。
    でもマスクと距離があると人と話しやすいです。
    永遠にマスクで他人と関わりたいです。

Recent Posts

鉢ごと移動しろ! 詳細

  合う場所で咲けば…

4週間 ago

ぼくのかんがえる「さいきょう」のはったつしょうがいりろん

結局この子には、発達障害がある…

1か月 ago

発達特性と山 〜特性は標高で考える〜

発達障害は、山に似ている とい…

2か月 ago

医者って、30分の診察で発達障害がわかるものんなの?

発達外来の初診。 これまでの経…

3か月 ago

子どもがうまく育っているサイン

興味深い議題だ。  …

3か月 ago