母:幼稚園の頃から療育に通っていたんですけど、小学生になって、一度ちゃんと診断してもらうようすすめられて受診しました。
病院の役割は、『検査』『診断』『投薬』の3つ。
今日はその中の診断の話。
発達障害の診断。
これは、医者にしかできない。
療育や通級の先生、さらには幼稚園や保育園、学校の先生でも、「この子は発達障害、中でも自閉症だろうな」と思っていることはあると思う。
でも、多くが口には出さない。
診断は医者にしかできないし、その診断がどれだけ重いものか心得ているためだと思う。
下手なことを言って間違えようものなら、その子と保護者をひどく傷つける。
それは、医者でも同様だ。
診断するならそれなりの覚悟を持つ必要がある。
僕は、本当に必要な時以外、出来るだけ診断しない。
「診断にこだわらず、この子の個性をみて対応してあげてください」と言う。
いや、無責任じゃないよ。
理由があるんだ聞いてください。
『診断するならその先を見据えて』
そう肝に銘じている。
診断することでどんなメリットがある?
具体的なメリットを提示し、デメリットより勝ると僕と親御さんがともに納得できたときのみ、診断をつけるようにしている。
僕が実際に診断をつけるのは、上記のようなケースだ。
「困ったことがあって受診しているんだし、とりあえず診断してくれればいいのにケチ」
そう思われるでしょう。
でも診断しっぱなしが一番タチが悪い。
なぜか。
例えば、「この子は自閉症です」と診断したとする。
一口に自閉症と言っても、性格はみんなバラバラだ。
人間なので当たり前。
特徴にも濃い部分と薄い部分とがある。
ADHDや知的障害を合併するか否かも異なる。
典型的な自閉症の子なんて、まずいない。
親御さんは発達障害のプロではないので、不安になる。
ネットで情報を調べまくって、書かれている情報を鵜呑みにしてしまう。
「そういう子が1人いたよ」というレベルの記事でも、調べまくって我が子に当てはめる。
情報通りにいかない我が子に混乱し、焦り、さらに不安になる。
また、他の子との差異や、学校で気をつけた方がいいことがわからない。
自宅と学校で困る内容は異なることが多いので、学校側が知りたい情報が何か知らない。
あんまりうるさいことを言ってもモンペ(モンスターペアレント)と思われるかしら。
まあ先生は教育プロなんだし、言わなくてもわかってくれるでしょう。
学校にはとりあえず「自閉症の診断でした」とだけ伝える。
すると先生は、いわゆる『自閉症の子』として接する。
比較的重度な子のことを思い浮かべることが多い。
その子にとって不要な配慮がなされる。
その子が本当に必要としている配慮に気づけないことも出てくるだろう。
『自閉症』の診断に引いてしまい、腫れ物扱いしてしまう先生も。
すると本来できるはずのことも、チャレンジする機会を失ってしまう。
教育現場に一番見てもらいたいのは、この部分だ。
十把一絡げに『自閉症』として接するのではなく、その子の特徴をみてほしい。
発達障害や凸凹のある子は、定型発達児より繊細なオーダーメイド教育を必要とする。
うまくはまると問題が問題でなくなることも多い。
でも、『自閉症』の診断があるとそこで思考が止まってしまう。
診断がレッテルを貼ってしまう。
これを避けたいのだ。
医療は、教育をすることはできない。
数ヶ月に一度、外来で話を聞くだけだ。
でも学校は、毎日その子と接する。
点ではなく線で繋がることができる。
この線を、医療が分断したくない。
外来でできるアドバイスなんてしょせん薄っぺらいもので、さして役に立たない。
でも学校は違う。
その子をつぶさに観察し、継続的に接することができる。
成長する様子も間近で観察できる。
苦労も喜びも、医療とは比較にならないほど大きいものと思う。
子供を育てるのは、圧倒的に学校だ。病院ではない。(もちろん一番は家庭ですよ。家以外でという意味で。)
先生方には、試行錯誤しながらその子と向き合ってもらいたい。
それは教育のプロとしてすごく楽しい作業なのだろうと推察する。
僕たち医者は、学校の先生方を尊敬し、信頼している。
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